■私のON
路上で暮らす子どもたちを保護・教育するバングラデシュのNGOエクマットラで活動しています。NGOの共同設立者である夫、渡辺大樹(ひろき)と2012年に結婚したのを機に、ダッカで暮らし始めました。
バングラデシュを初めて訪れたのは09年。その時の印象がとても良かったのです。夫と知り合ったのもこの時でした。停電や衛生面など日本と異なり気を配らないといけない点については移住の前に覚悟をしてきたので、気にはなりませんでした。
日本では、高校卒業後に俳優として小劇場の劇団に入って舞台に立っていました。お金を稼ぐため、アルバイトの日々。そんなとき、芸能事務所からスカウトされたので、なんの疑いもなく契約しました。
しかし、ここがいわゆる「悪徳事務所」でした。売れているタレントもいましたが、パワハラやセクハラの毎日。お金も時間も、そして体も搾取されている感じがして、しまいには心身を壊してしまいました。
そのころ、先輩が事務所を相手に起こしたハラスメント訴訟の代理人になった弁護士が、私のことも助けたいと声をかけてくれたのです。先輩は結局、訴訟では負けました。しかし、どうしたらその状況から抜け出せるのか分からずに絶望していた私は、何も見えない暗闇にやっと光が差して救われた気がして、なんとか生きていこうと思いました。2年でなんとか事務所を辞めることができました。
バングラデシュの女性たちは、社会的に弱い立場にあり、就労支援は大きな課題です。私の場合は自業自得な部分もありますが、彼女たちは何も悪いことをしていないのに、女性に生まれたということだけで理不尽な精神的・肉体的暴力に耐えながら生きています。
私は外国人で、彼女たちの本当の痛みや苦しみは分からないかもしれません。でも、苦しい状況からはい上がった自分の経験から、あきらめずに努力すれば道は開けるということを伝えることはできると考えました。今度は私が彼女たちに光を当てる存在になりたい。私の過去とシンクロしていると思っています。
夫は日本の大学を出た後、ダッカに渡り、ダッカ大学で公用語のベンガル語を学んでいました。国の現状を心配するバングラデシュの同級生らと02年にNGOを立ち上げました。私と同い年ですが、初めて会ったときは、立派すぎて、私には不釣り合いだと思っていました。
私はバングラデシュに移住し、エクマットラの女性たちから体の悩みや恋愛について同性の立場から相談を受けました。「本当のお姉さんになってくれたらいいのになあ」とも言われ、うれしかったです。ベンガル語をまったく話せなかったのですが、この子たちが悩んだ時にお姉ちゃんとしてアドバイスをしてあげられるように、わたしもこの国の言葉を本気で学ぼうと決意しました。
いま5歳になる長男がまだおなかの中にいたとき、現地の妊婦を保護する施設を訪問しました。夫から暴力を受けて命からがら逃げてきたり、性的暴力によって望まない妊娠をしたりした女性がたくさんいることに胸を痛めました。また、出産しても経済力がないため、多くの女性たちは里子に出してしまう現実があります。
貧困層の妊婦女性らと接すると、初めは表情が硬くて心を閉じていて、「あなたのような裕福な外国人に何がわかるの」と言われたりもしました。しかし、違う立場だからこそ、違う視点に立ってできることもあるのです。今の自分にできることとして伝統衣装であるサリーの装飾品に使うキラキラした石で飾ったペンなどの雑貨作りを教えたり、様々な話をしたり一緒に妊婦のエクササイズをしたり映画を見たりするうちに、打ち解けてくれるようになりました。
「彼女たちの役に立ちたい」と思い、16年、女性たちが経済的・精神的に自立することをめざしてインド国境近くの農村に「キラキラ雑貨」を作るハンディクラフト工房を立ち上げました。8人の女性たちと始めたこの工房ですが、今は15人の女性たちと一緒に働いています。製品は国外でも販売され、17年からは日本でのウェブ販売も始まりました。
工房がある地域でもまだまだ働きたい女性はたくさんいて、毎日のように「仕事をください」と私たちの工房にやってきます。そうした女性たちを雇用していけるように、少しずつでもこのハンディクラフト工房の規模を拡大していけたらと思います。
■私のOFF
ダッカでアニメスタジオを運営する水谷俊亮さんと17年に音楽ユニット「Bajna Beat(バズナビート)」を結成し、ベンガル語で歌っています。
日本人がベンガル語で歌うのが珍しいのか、お陰様で人気も出て、様々なプログラムに呼んでいただき、この年、現地の「紅白歌合戦」とも言われるテレビ番組にも出演、また昨秋からは一緒に即席麺のテレビCMにも出ています。日本では俳優として舞台に立ったこともあり、10代の頃から舞台演劇を学んできたので、文化活動を通じて日本とバングラデシュの架け橋になりたいと思っています。
ベンガル語は、子どもたちや農村の女性たちとコミュニケーションする上で絶対に必要だと思ったのでそれこそ「死ぬ気」で勉強しました。これは今もとても役立っています。現地の人たちと現地の言葉で会話をして思いを伝えることで、とても喜んでもらえるし、現地の方々が本当に何を望んでいるのか、何を思っているのかを知ることで本当の意味で近い関係になれます。
経済が成長し発展して格差が広がる中、取り残されてしまうような人々に寄り添いながらこれからもここで共に歩いていきたいと思います。
これまで、あまり「サバイバル」したという思いはないのですが、12年、ダッカ市内で乗用車に乗っていたとき、落雷を受けた木が折れて天井に落ちてきました。車は潰れ、中にいた私たちが外に出られなくなりました。車が爆発する可能性もあり、その時は命の覚悟もしました。すると、周りから大勢の人たちが駆け寄ってきて、木をどかして私たちを助け出してくれたのです。現地の人たちの正義感と温かさを知りました。
食べ物ですが、ベンガル料理は、外で食べると辛くて脂っこいです。でも家庭のものはフレッシュで辛くなくて、とてもおいしいです。
バングラデシュはまだ生まれて50年経っていない若い国で、これからの可能性と未来に満ちあふれた国です。この国では、今日よりも明日が良くなっているという発展のエネルギーを肌で感じられます。そして、地域みんなで子どもの面倒を見てくれるので助かっています。みんなから愛をもらい、わたしはこの国で、笑顔で生きています。(構成=中野渉)
■「私の海外サバイバル」は月1回配信。次回は5月8日(水)の予定です。