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脇園彩さん「イタリアの伝統を背負い込まない。自分の声に正直に」

行け!イタリアの風にのって ~若手音楽家の手紙~
脇園彩さん=イタリア・トリエステの歌劇場前で。河原田慎一撮影

私の声楽の師であるマリエッラ・デビーアがタイトルロールを演じたベッリーニの歌劇「ノルマ」を、5月にベネチアで見ました。デビーアはこの公演の後、オペラの舞台からの引退を表明しましたので、これが最後の公演となりました。

ノルマの台本をよく読むと、主役の巫女ノルマは、完璧なヒロインではなく人間らしい弱さを持った人物だということが分かります。ですがオペラの世界にはこれまで、ノルマは強い女性で、カラスやカバリエといった偉大な先人の中でも、低い音域も出てある意味声が澄み切っていない歌手がやるものだ、といった先入観がありました。

デビーアは、そのイメージにつぶされず、彼女にしかできないノルマ像を表現したと思います。アリアの後は5分ぐらい観客の拍手がなりやまず、私も涙が止まりませんでした。

4月にトリエステの歌劇場で、歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」を演じたキャストたち

彼女は40歳近くでミラノ・スカラ座デビューを果たした努力の人。批評家からは「完璧主義過ぎて魅力がない」と言われることもありました。でも彼女のもとで学んだ私から見ると、人一倍繊細で、商業主義とも向き合いながら自分の声を大切に育て、守ってきたのだと思います。そうでないと、70歳でノルマを歌いきることはできません。他人の価値観に左右されずに、自分に一番厳しく、ただ自分の芸術を追究する。こういうアーティストになりたいと思う人です。

いま、5年前には想像もしてなかったような自分がいます。私の持っているテンポはもっとゆっくりなので、ちょっと急ぎすぎたかもしれません。

考えてみると、そこには外国人としてイタリアの伝統文化に「お邪魔させてもらっている」、だからイタリア人より何倍も頑張らないと、といった「責任感」のようなものがあって、それを背負い込んでしまっていたように思います。最近は、イタリア国内でナショナリズムの台頭も感じます。「外国人がイタリア人の仕事を奪っている」という人もいますし、私の住むミラノの街にはそういう空気が色濃いところもあります。

でも、そこで感じる変な「責任感」は、私自身が自分をおとしめるものだ、と気づきました。もちろん伝統文化をやる以上、そのスタイルを追究することは必須なのですが、芸術家に人種や国籍は関係ありません。人種差別は、異質なものに対する恐怖感や「自分から遠ざけたい」という気持ちからくるのではないでしょうか。むしろ、知らない人がする言動の意味が分かってくると、共感できるようになります。芸術はその「共感」の最たるもの。受け手と共感して一体感が生まれるからこそ、生産的でもあるのです。「イタリア人のようにあらねばならない」というのは、表現する可能性を自ら狭めることになってしまいます。

ミラノ・スカラ座での歌劇「セヴィリアの理髪師」の終演後に、フィガロを演じたマッシモ・カバッレッティ(左)と=2015年8月

私がオペラの舞台をともにした仲間たちは、様々な国からイタリアにやってきています。南アフリカ、エジプト、ロシア……。彼らは人知れぬ苦労と努力を重ねてきたのでしょう。だからこそ、かけてくれる言葉から重みと温かさが伝わってきます。

若さから無理をして、体と心のバランスが取れなくなることもありました。私の場合、1カ月ぐらい自分の時間を持てないと、だんだん自分が分からなくなってきます。そういう時は、1週間ぐらい家にこもり、掃除や料理をして取り戻す。一人になって自分と向き合う時間を定期的に持つことが大事です。

でもここまでの人生に後悔はしていません。これからは「すぐにスターに」と焦りすぎず、私が持っている声に正直に、キャリアを積んでいきたいです。

恩師マリエッラ・デヴィーアと=2014年、ヴェローナで(本人提供)

◆脇園彩さんの回はこれで終わります。次回はコレペティートルの斎藤優奈さんです。