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「トリエステの方が音楽に触れられる」:コントラバス奏者、原田光嗣さん②

行け!イタリアの風にのって ~若手音楽家の手紙~
自宅でコントラバスを練習する原田光嗣さん=2019年6月、河原田慎一撮影

17歳の時に出会ったコントラバスの深い音色に魅了され、来日したイタリア人コントラバス奏者のステファノ・シャシャ氏に「歓迎するよ」の一言をもらった僕は、5年制の高等専門学校の卒業旅行で、イタリアのトリエステを訪れました。

トリエステは、長靴の形をしたイタリア半島の右上にある港町で、すぐそこにはスロベニアとの国境があります。1920年にイタリア王国に編入されるまで、かつてはオーストリアのハプスブルク帝国が統治していた歴史があり、イタリアのほかの地域とは違う街並みや文化を感じ取ることができます。

僕は、シャシャ氏がこの街に住んでいなければ、トリエステに来ることもなかったでしょう。でも、来てみて思ったのは、僕の出身の神戸ととてもよく似た雰囲気がある、ということです。トリエステに来てもう13年になりますが、海に面した中心街を歩いていると、もう「神戸市中央区元町」に住んでいるような気分になれます。

トリエステの風景

さて、シャシャ氏のもとでコントラバスを学ぶにあたっては、国立音楽院(コンセルバトーリオ)に入学する必要がありました。奨学金を得るあてはありませんでしたから、3年間の学費と滞在費用を捻出しないといけません。僕は、その資金をためるべく、というと何ですが、高専卒業時に内定していた化学工場にいったん就職して、1年間働くことに決めました。

兵庫県内の化学工場では、3交代制の仕事で、同僚との遊びにも付き合わず、ストイックな生活を送りました。とにかくお金をためようと、1年が経ち退職した後も引っ越しや倉庫作業のアルバイトにもいそしむ日々。両親が「もう成人もしているし、やりたいことがみつかったんやったら自己責任でやってみれば」と言ってくれたのもありがたかったです。

音楽院の入学試験直前までバイトをして、いざイタリアへ。生まれて初めて音楽で受ける入試は大変なストレスでしたが、2006年秋に、晴れてトリエステ音楽院に入学することができました。

ただ、いくら神戸に似ていると言っても、日本とは文化も習慣も違う海外での生活が嫌にならなかったのか。そう聞かれることもありますが、僕にとってみれば、初めて実家を出たのですから、トラブルがあったとしても、それがイタリアだからなのか、それとも一人暮らしとはそういうものなのかすらも分かっていないわけです。最初はクラスメートに紹介してもらったアルゼンチン人とのルームシェアでしたが、それも初めての体験でした。しかも、根は吉本で育った関西人のノリのまま。せっかくイタリアまで来たから、ここの社会に入り込んでやろう、という強い気持ちがありました。ちゃんとしたイタリア語と並行して方言やパロラッチャ(俗語)を覚えて、とにかく「ウケ」を狙って話しまくりました。おかげで、引きこもることもなく周りに溶け込めていったように思います。

トリエステの海岸で開かれたコンサートで演奏する原田光嗣さん(右奥)=2018年7月、原田さん提供

気がつけば、音楽院の3年間と専攻科の2年間を過ごし、さらに11年からはジャズ学科の学部にも入り直して学びました。音楽院の課程を終えて、日本に帰るべきかまじめに考えましたが、結論から言うと、イタリアにいた方が音楽に触れあうチャンスが多かった。こちらで築いた人間関係を生かしていった方が、プロのコントラバス奏者として活動できる可能性が大きいと判断しました。

もちろん、仕事をして食べていけないとトリエステにもいられません。基本はフリーランスですが、地元の「フェルッチョ・ブゾーニ室内管弦楽団」のメンバーとなり、シーズン中は各地で演奏会に出演しています。またジャズの仕事も少しずつ増えてきました。ジャズギタリストと組んで、日本の音楽をアレンジしたものを演奏したり、詩の朗読会に即興で伴奏をしたり、ということもありました。音楽院のジャズ学科で即興やアレンジについても学び、経験を積んできましたが、次回は僕が実践する音楽の方向性などについて書きます。