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アフリカで手に入れた「もう一つの命」 ニャティティ奏者アニャンゴさん

LifeStyle 更新日: 公開日:
ニャティティを手にするアニャンゴさん=伊ケ崎忍撮影

ケニアのルオー民族に伝わる弦楽器「ニャティティ」。アニャンゴ(Anyango)さんは、選ばれた男性のみが弾くことを許されるこの楽器に惚れ込み、西ケニア奥地の村で修業をして世界初の女性外国人ニャティティ奏者となった。初めてケニアを訪問した2004年から15年がたった今、思うことを聞いた。

―東アフリカ音楽のバンドに加わったことをきっかけにアフリカに興味を抱き、初めてケニアを訪れたとのことですが、それ以前はアフリカやケニアに対してどんなイメージを抱いていましたか?

アニャンゴ:それまでは考えたことはほとんどなかったです。ただ、子どものころから自分でも演奏したりバンドを組んだりするほど音楽が好きで、その中でも特に、ジャズやR&B、ブルースといったブラックミュージックには惹かれていました。

―ケニアを初めて訪れたときの印象は?

アニャンゴ:すごく懐かしい感じがして、「母なる大地に帰ってきた!」と思いました。初めて来た気がしなくて、「おかえり」と言われているような感覚です。人類発祥の地とされるグレート・リフト・バレーもありますし、そのせいかはわからないですけど、そこにいることに違和感がなく、“しっくりきた感じ”がありました。

―現地での暮らしを通して、ケニアの魅力はどんなところだと感じましたか。

アニャンゴ:広大な自然、過ごしやすい気候、おいしい食べ物……。挙げるとキリがないですが、やっぱり一番の魅力は“人”。みんな底抜けに明るくてたくましい。大変なことがあっても、自然体で受け入れながらしなやかに乗り越えていくんです。大人がそうだから、もちろん子どもも同じ。「何があろうとめげずに乗り越えていくポジティブさ」はケニアの人たちから学んだことの一つですね。

大師匠の演奏に踊る。女の人たちのレレレレレ...という合いの手がにぎやかに響き渡る©Benjamin Singer

―ケニアと日本、似ているところはありますか。

日本でも昔はみんな、目に見えないものへの感謝や尊敬の気持ちを大事にしていたし、今でも地域によっては強く残っていると思いますが、そういう所がすごく似ているんです。

例えば、日本ではお盆には亡くなったご先祖を迎え火して送り火して、お仏壇には毎日お水やご飯を備え、受験の前には神社に合格祈願に行く。その全部がアフリカっぽい。どちらもアミニズム信仰がある地域だからか、ヨーロッパでは感じることのない“近さ”を感じます。

それから、「忖度」。ケニアでは直接的な表現や相手に対する怒りの感情を見せることは失礼だと考えられていて、みんなものすごく回りくどい言い方をするんです。回りくどければ回りくどいほどいい、くらいに考えているし、しかも比喩を織り交ぜながら言いたいことを伝えてくるから、「さっき言っただろ!」って言われても、「え? そういう意味だったの?」なんてこともしょっちゅう。単にスワヒリ語やルオー語を話せるだけだと表面的な意味しかわからなくて、結局通じ合えないんです。

インタビューに答えるアニャンゴさん=伊ケ崎忍撮影

―それは意外ですね!

アニャンゴ:ケニアには全部で42の民族が暮らしているんですけど、その中でもとりわけ言葉の天才とされるのがルオー民族。現地には、どちらが饒舌に言葉のトリックを用いてなにかを言い表すことができるかを競う「パクルオック」という言葉の競技会があるくらい。オバマ前大統領のお父様はルオー民族なんですけど、オバマさんも言葉を巧みに操りますよね。

―歌詞にもその国民性が反映されそうですね。

アニャンゴ:そうなんです。ニャティティでよく演奏される曲の一つに、「ウェイチェンゲイン(Weche Ng'eny)」、直訳すると「問題だらけ」という曲があって、歌詞にもその通りの言葉が綴られているんですけど、でも本当のメッセージは「問題だらけの世の中だけど、なんとか折り合いをつけてしなやかに乗り越えていこうよ」というもの。直訳だと、歌い手が本当に言いたいことが汲み取れないものが多いです。

2005年11月26日、ニャティティの卒業試験。数百人の村人の前で演奏する©JOWI music

―それは聴く方にも言葉のスキルが必要ですね。しかも、日本語で同じことをするのも難しそうです。

アニャンゴ:日本語曲をつくるにあたってもその高みを目指したいんですけど、ハードルは高いですね。第一に、ニャティティで奏でる音とルオー語のイントネーションは一心同体だけど、日本語のリズムだとそうはいかない。でもわたしがやるしかないし、わたしに課せられた使命だと思ってトライしています。とはいえ、まだまだ歌詞に裏の裏の意味まで持たせた奥行きのある歌をつくる域には到達できていないのでこれからの課題ですね。

録音機材に向かうアニャンゴさん=伊ケ崎忍撮影

わたしは東京生まれ四代目の江戸っ子なんですけど、祖父がかっぽれの芸人だったこともあり、最近では、日本の伝統芸能とニャティティを組み合わせて曲をつくることにも力を入れています。ニャティティの名人は、目の前のお客さんに合わせて曲に即興性を加えていくんですが、これはかっぽれにも通じることなので、そういう発見があるのもおもしろいです。

―ニャティティの免許皆伝の際には師匠から、「あなたが世界中、わたしの行けないところにまで行ってこの楽器を奏でてきなさい」との言葉を頂いたと聞きました。その言葉に応えられていますか?

アニャンゴ:師匠が亡くなった今となってはその言葉は遺言のようにも感じられるし、年を重ねるほどに、言葉の重みと深さが増しているように感じられます。当時は地理的な意味だけだと思っていましたが、師匠が行けないアメリカやヨーロッパでも演奏するようになってからは、その真意を考えさせられる経験が何度もありました。

ヨーロッパに演奏に訪れた際は、日本人のわたしがアフリカの楽器を演奏するということに対し、演奏が始まるまで全く関心を持ってもらえませんでした。ポーランド近郊のドイツの都市でフェスに出演したときは、会場入口に「ここから先、差別思想の持込禁止」と書かれているのを見て驚きました。わざわざ書くということは、裏を返せば差別思想があるということ。そうした現状を認識しつつも、フランス在住のコートジボワール人パーカッショニストと、マダガスカル人ベーシスト、わたしのトリオで演奏しました。でも、音楽が始まれば関係ない。「ここに地球がある!」という感覚を覚えました。

ニャティティを演奏する大師匠オクム・オレンゴ©JOWI music

また、生涯“伝統的な”奏者だった師匠がたどり着けなかったところに到達するためには、ニャティティで新たな音楽的地平線を切り開くことが大切だと思うようになりました。伝統や古典を軸にしつつも、そこから脱却して新たなニャティティの可能性を開拓すべく、世界中のミュージシャンとコラボしたり、ニャティティ・ジャズやニャティティ・ロックを演奏したり。生音でしか奏でられていなかったニャティティを何千人の聴衆に届くよう、ギターアンプにつなげるエレキ・ニャティティに改造してフジロックで演奏したこともそのひとつ。ニャティティでどんな新しいクリエーションを生み出していけるのかを考えることは、わたしにとっての大きな課題です。

―アニャンゴさんは、小中学校を訪問して活動されることにも積極的ですね。

アニャンゴ:日本全国の小中学校で演奏やお話をさせていただく機会が多く、この10年でトータル100校くらい回らせていただいているんですけど、一つ残念に感じているのは、音楽が鳴り響き始めたとき、どんなふうに踊ればいいかがわからない子が多いことです。アフリカの人たちは、こちらがアプローチしなくてもみんな自然と踊りだすし、ステージと会場が一体になるのが常。生活の中に音楽があるからそれが当たり前なんです。

だけど日本では生活と音楽は離れたところにあるもので、延長線上にあるものといえば盆踊りくらい。だから、躍るための陽気な音楽に包まれても、身体が硬直しちゃって動かない。中には躍りたそうなやんちゃな男の子もいるんですけど、そうすると先生が「静かにしてなさい」と制したりするんです。いやいや、その子が合ってるんですよ! みんな手拍子して躍る音楽です! と促すとようやく身体を動かし始めてくれますが、音楽に乗りたいのにそれを押さえつけてしまう大人がいるのは残念なことですね。これから日本の音楽教育に関われることがあるなら、みんなの身体の動きと音が一体となるようなことを積極的にやっていきたいです。

2013年、オクム師匠のお墓の前で演奏する© JOWI music

―子どもと関わるのは楽しいですか?

アニャンゴ:もちろん! そして、日本の子どもたちに多くの学びの場が与えられていることは、本当にすばらしいことだと改めて思います。ケニアでは学校に行きたくても行けない子が山ほどいるし、格差が絶望的。村に暮らしていてお金がなければ、畑の作物や牛のミルクを売ったり、「ハランベー」といわれる相互扶助によって、みんなから大学進学費を支援してもらえたりもあるけど、都会のスラム街に暮らす人たちはそうはいきません。電気も水道も通っていないところで生活している何百万人の人たちの中には、スラムで育った両親から生まれた三代目もいて、そうなると犯罪も病気もまん延するし、この問題はなかなか根が深いなと思います。

スラムの子と© JOWI music

―振り返って、アフリカやニャティティとの出逢いはアニャンゴさんに何をもたらしてくれたと思いますか?

アニャンゴ:アフリカは“人生のもう半分”を教えてくれたところです。広い世界の中でしたたかにしなやかに生きていくためには、「人は信用するもの」という日本の倫理観しか持ち合わせていないと痛い目や危ない目に逢うことも多いですから。そしてニャティティは、わたしに“もう一つの人生”“もう一つの命”をくれた相棒です。

―アフリカやニャティティに出逢ったことで、人生がさらに豊かに色づいたのですね。

アニャンゴ:わたしは全国の学校で演奏とあわせてスピーチさせていただくたびに、もともとは歌手になりたくてNYを目指したけど、9.11やイラク戦争の余波を受けてすぐにUターンという経験が2度続いたことから、現在に至るまでのストーリーをお話させていただいています。

東京に戻らざるを得なくなったことで、思いがけずアフリカの音楽と巡り合い、ニャティティに出逢ったこと。ケニアでは弟子入りを何度も断られたけど諦めなかったこと。毎日の水くみからスタートして、スワヒリ語もルオー語もマスターしたこと。マラリアにも負けなかったこと。どこかで諦めていたら今のわたしはなかった。今のわたしがいるのはニャティティとの出逢いがあったからだけど、みんなにとっての「ニャティティ」もきっとあると思う。だから心から好きなことに出逢ったときに、誰になんと言われようと、どんなにその状況が不可能だと思われようと、どうか諦めないでほしいと話します。本当に好きなものに出逢ったら、何があってもめげることなく、好きだという気持ちを貫き通してほしいですね。

(取材・執筆:松本玲子)

■短期集中連載「私の中のアフリカ」は、横浜で8月28日~30日に開かれる第7回アフリカ開発会議(TICAD7)に合わせて日本に住む人たちとアフリカとのバラエティに富んだ関わり方を紹介し、アフリカの開発と発展に私たちはどう伴走すればいいのかを考える企画です。

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