エジプトに起源を持つと言われるベリーダンス。アメリアは、かつて駐在していたアフリカ南部ジンバブエで出合った。いまダンサー仲間は、国内はもちろん海外にも多い。アフリカ南部ザンビアでアメリカ人のダンサーと知り合い、意気投合して現地でワークショップやイベントを開催したこともある。昨年は、国内外のダンス仲間たちと、東京で本格的なダンス公演を開いた。来年は、これまでに知り合ったダンサーたちと南アフリカのイベントで踊る計画だ。
ベリーダンスにプロにも劣らない情熱を注ぐアメリアの素顔は、アフリカなどへの開発支援コンサルタント会社(東京)で働く横山仁美さん(42)。この夏は、横浜で開かれる第7回アフリカ開発会議(TICAD7)に向けて、アフリカ支援事業に関する提案書などの作成に追われた。
横山さんは日本やスコットランドの大学でアフリカの地域研究を専攻し、国際協力や開発支援に興味を持つようになった。ジンバブエやザンビアへの駐在は本業だ。
「持続可能な開発目標(SDGs)は、政府開発援助(ODA)だけでは達成できません。アフリカの成長につながる投資を呼び込むため、民間企業との連携が開発業界のなかでもより重要になっています」。TICADに向けた開発支援の課題を尋ねると、現状の課題などを詳しく説明してくれた。こちらは、本業の顔。
実は横山さんには、「あふりかくじら」というもう一つの別名がある。この名前で、アフリカの人たちが手作りしている装飾品や工芸品を販売するウェブサイト「Rupurara Moon(ルプララ・ムーン)」を運営する。
ジンバブエ、ウガンダ、タンザニア、ブルキナファソ、南アフリカなど、訪問先の国で目にしたものの中から、自分のセンスで選んだ品々を買い集め、売っている。「アフリカの素敵なものを紹介する」をコンセプトに、「アフリカの人がデザインし、つくった製品」を扱うのがポリシーだ。
横山さんのお気に入りのひとつは、色とりどりのビーズと針金でジンバブエの人がつくった動物の置物だ。アフリカでは、ビーズをつかった工芸品が多くの国で作られているが、ジンバブエの置物は特にかわいらしいと感じた。サイトではゾウ、キリン、サイ、シマウマなどが人気だ。
ほかにタンザニアやケニアなど東アフリカでよく見られる「カンガ」と呼ばれる色鮮やかな布や、ウガンダからは紙製のビーズを仕入れている。ウガンダでは紙製ビーズの製作が家計収入の増加につながるからと、製作に力を入れる女性団体が多いと聞き、そうした活動を後押しできればとも考えている。
「あふりかくじら」の名は、別の場面にも登場する。横山さんが、敬愛する南アフリカ出身の女性作家、ベッシー・ヘッドについて、文章を紡ぐときのペンネームでもあるのだ。
日本ではほとんど知られていないベッシー・ヘッドは、アパルトヘイト(人種隔離政策)下の南アフリカの実情を、差別されていた非白人の視点から描いた文学作品を残した作家・ジャーナリストだ。反アパルトヘイトの政治活動にも関わっていたため母国を追われ、亡命先のボツワナで1986年に48年の生涯を閉じた。
横山さんはベッシー・ヘッドが残した数々の文章に魅せられ、作品を読んだり、自分なりに翻訳したりすることを「ライフワーク」と感じている。
横山さんがベッシー・ヘッドの作品に出合ったのは、没後12年を経た1998年。大学のゼミで南アフリカのアパルトヘイトについて卒論を書こうとしていたが、なかなか身が入らずにいた。非白人の視点から描くベッシー・ヘッドの作品に出合ったことで、方向性がはっきりし、動き出すことができたという。
ネットやメールがいまほど普及していなかった時代。南アフリカやボツワナの大学や博物館、文学研究会に手当たり次第に手紙を書き、研究の手がかりを探った。その後、東京にあるボツワナ大使館の一等書記官(当時)にも助けられ、ベッシー・ヘッドが人生の後半、22年間を過ごしたボツワナのセロウェ村に向かった。
村では博物館に残されたベッシー・ヘッドの数千通に及ぶ書簡をむさぼるように読み、当時はまだ存命だった長男のハワード・ヘッドにも会って、話を聞いた。
アパルトヘイト下の南アフリカでは、白人と非白人との結婚も性交も禁じられていたが、ベッシー・ヘッドの母は白人、父親は黒人だった。母が入院していた精神病院で産まれたベッシー・ヘッドは、里親の家や孤児院で育った。結婚して一児をもうけたが離婚。反アパルトヘイトの政治活動に関わったことから、亡命するようにして南アフリカからボツワナに移住し、祖国には二度と戻れなかった。
わたしにはこの地球にひとりの親戚もいない。長々と述べられる先祖の系譜や、遺伝のつながりや、親譲りの性格を受け継いだという感覚、ある種の感情的な不安定さ、あるいは祖母やら曾祖母から受け継いだ爪の形などというものがない
わたしはいつも、わたし自身だけの存在だった。わたし以外、何にもつながることのない
これは、横山さんが翻訳したベッシー・ヘッドの一文だ。
過酷で孤独な境遇でベッシー・ヘッドが紡いだ文学について、横山さんは、「彼女の先見性、文章の美しさ、人間を見る目の鋭さ。アパルトヘイトの闇を心に抱え、自分もまた苦しんできたベッシー・ヘッドだからこそ書けるすばらしい作品の数々。わたしのライフワークとして、それをできるだけうつしい日本語にしたい」と、ブログにつづっている。
当時の南アフリカとはまったく違う状況で育ったはずなのに、ベッシー・ヘッドがどうしてそんなに心に響くのか。
横山さんは航空会社に務めていた父親の転勤に伴って、日本国内と米国で育ち、3つの小学校と2つの中学校に通った。「自分には、地元や故郷と言える場所がない。いわば自分のいるところがホーム」と考えている。この点が、南アフリカを追われ、新天地のボツワナでも終生、「よそもの」として帰属意識を持てずにいたベッシーと似ている点かもしれないと考えている。
ベリーダンサーとしての名前「アメリア」も、実はベッシー・ヘッドのミドルネームからとっている。2007年、ベッシー・ヘッドの生誕70年を記念するセロウェ村でのイベントにも参加し、各国の研究者と交流した。
ベッシー・ヘッドの作品を自分の翻訳で出版する、という横山さんの夢は、まだ実現していない。仕事が忙しく、翻訳の作業から離れた時期もあったが、最近、過去の翻訳を読み返し、出版に向けて手直しもしている。横山さんは「ベッシーについて、レビューするたびに、自分と向き合うような気がする」「いろんな人に、自分のなかの『アフリカ』を見つけていってほしいな」という。
横山さんのなかの「アフリカ」とは、なにか。改めて聞いてみた。
「私が出会ったアフリカの人たちは、だれもが自分のほしいものに正直で、自分を高みに置いたりしていない。自分がほしいもののためにウソをついても、自分自身にはウソをつかない。だから私はいつも、『おまえはどうなんだ』と問われているような気がしています。アフリカの人たちのように、自分がワクワクするものに正直に、自分にウソをつかずに生きていきたい」
■短期集中連載「私の中のアフリカ」は、横浜で8月28日~30日に開かれる第7回アフリカ開発会議(TICAD7)に合わせて日本に住む人たちとアフリカとのバラエティに富んだ関わり方を紹介し、アフリカの開発と発展に私たちはどう伴走すればいいのかを考える企画です。
- 星野ルネ(漫画家、タレント)「あなたの『アフリカ』は先入観だらけ。ぶっ壊すのが僕の役目」
- アフリカでビジネス、大勝負がしたい 「ウガンダで日本料理」に挑む
- アニャンゴ(ミュージシャン)「アフリカで手に入れた『もう一つの命』」
- 白戸圭一(立命館大教授)「『アフリカ市場の未来は明るい』は本当か そこに誇張はないか
」 - 横山仁美(開発コンサルタント、ベリーダンサー)「ダンス、アート、文学。アフリカに学んだ『ワクワクに正直に生きる』」
- 高橋基樹(京都大教授)「アフリカでの中国との競争は無意味 ビジネスだけでない付き合い方を
」