イタリアに今すぐ行って、声楽の勉強がしたい。そう思うきっかけになったのは、大学院生の時に参加した声楽の講習会で受けた衝撃でした。
イタリア語で「美しい声」という意味のベルカントとは、こういうものだったのか――。東京・上野の東京文化会館の舞台で、5㍍ほど離れたところにいる超一流歌手マリエッラ・デヴィーアが発する声は、まさに「本物」。私は、半ば本能的に「この声を手に入れたい」と思って、デヴィーアにこんな質問をぶつけました。
「どうやったらそんな声が出るのですか」
デビーアは淡々と、こう答えたのです。
「東京には高層ビルがたくさんあるけど、上からは建てませんよね」
要するに、努力と研究なくして、技術は一朝一夕に身につくものではない、ということです。ばかな質問をしたものです。
でも、どうしてもこの人のところで、ベルカントを身につけたい。講習会が終わってすぐに、デヴィーアのもとに行って「個人レッスンをしてください」とお願いしましたが、「時間がないから無理」というつれない返事でした。
そもそも私がイタリア・オペラに魅了されたのは、東京藝術大学の受験に失敗した一浪の夏です。米国のメトロポリタン歌劇場の来日公演で、ヴェルディの歌劇「椿姫」の舞台に釘付けになりました。
第2幕1場。主役のヴィオレッタに、息子との同居生活をやめるよう父親のジェルモンが迫るシーン。ジェルモンが去った後、ひとり残されたヴィオレッタが別れの手紙を書き残す演技と歌に、胸を打たれました。マイクを通さない生の声が伝えるライブ感と、豪華な舞台装置、オーケストラの響き。舞台芸術の最高峰がそこにありました。それまでミュージカルに興味があったのですが、「オペラの舞台に立つ」と心を決めたのです。
舞台好きなのは、元劇団員だった両親の影響があったのかもしれません。でも、小学生のころの夢は小児科医でした。医者になるには有名中学に入って大学に進学しないと。そう信じた私は受験戦争の最前線で知識をがむしゃらに詰め込み、桜蔭中学に合格しました。この時の猛勉強も、今となっては雑学を含めていろんなことを知るきっかけになったという意味で、よかったと思っています。さて、入学した桜蔭中学は、周りが天才ばかりでした。自分のアイデンテティを失いかけましたが、中学2年の時に入った英語劇部で、舞台に立つ快感を覚えました。
そのころから将来の夢は小児科医からミュージカルの舞台へと変わっていきました。習い始めた声楽の先生の薦めで、東京藝術大学に一浪で入学。それも異例の追加合格で、滑り込みでした。合格者の1人に辞退が出たそうで、要するに入学した時点で、学年で一番下ということです。周りは確かに美声ぞろい。この同級生たちとどうやったら対等に渡り合えるのでしょう?
この時、自分で出した答えが「アジリタを極める」でした。アジリタとは、細かい音型を正確な音程で歌う技巧のことです。ロッシーニの作品には、私のようなメゾソプラノ歌手がアジリタの技巧を聴かせるものが多くあります。私の歌を聴いた同級生たちも「すごいじゃん」と言ってくれます。よし、これを徹底的に勉強しよう、と思うようになりました。
冒頭のデヴィーアにレッスンを断られ、心がボキッと折れた私は「もうイタリアに行くしかない」と決意を新たにしました。留学先に選んだのは、生ハムで有名な北部の地方都市パルマです。有名な音楽院があり、現地にいる日本人の先輩歌手を頼ることができたからです。大学院を2013年に修了し、その年の夏、人生で初めての一人暮らしが始まりました。
パルマは人々がとても温かい街でした。でも東京の実家を初めて出て、まったく違う文化の中で生活するのは大変です。最初はパン一つを買うのにも苦労しました。イタリア語の響きが好きで、高校2年からテレビのイタリア語講座を見て覚えたはずなのに。いざ住み始めると、全然コミュニケーションが取れません。秋が深まり、だんだん人に会って話すこともつらくなった私は、ついにアパートで引きこもるようになってしまいました。