ベトナムでは2月1日に多くの人が仕事納めをし、10日まで旧正月のお休みだった。
もうベトナム在住の人は働く気力はないだろうなあ、と思っていた1月末、南部ホーチミンで思いがけず取材のアポイントが入った。やったーと喜んだのもつかのま、日程をみて、この日はまずいと、頭を下げて変更をお願いした。その日はポコの通う学校で、先生と家族の面談がある日だったからだ。なかなか頻繁には学校行事に参加できないけれど、この日ぐらい、ポコの成長ぶりを間近にみてくれている先生に話を聞かないと。昨日もポコにピアノを教えてくれたベトナム人の先生とばったり会ったら、「お母さんは仕事でいつもいないとポコが言っていました、お忙しいですね」とねぎらわれてしまった。汗。
とくに年末は、ベトナム国内やフィリピン、カンボジア、ミャンマー、タイ、シンガポールなどにしょっちゅう出張していた。自分の携帯電話を見て、「あれっ、ポコの写真が少ない」と思っていた。月の半分は出張するお母さんの「地位急落」は、ポコのお絵かきにまで表されることとなった。
それは「ぼくの家族」という課題で、ポコが学校から持ち帰ってきた絵だった。どれどれ、と見ると、真ん中に、にこにこ笑った子どもと体の大きな人の絵が、緑の色鉛筆で描かれていた。小さい方にはポコの名前、大きい方には「DAD(おとうさん)」とでかでかと書いてある。さて、紙の右はしに目をやると、つけたしのように、違う色の鉛筆で何かが描かれていた。これ虫の絵かな?と思ったら、先生の字で小さく「Mom(おかあさん)」と書いてあった。表情もない。おとっつあんはほくほく顔で「ポコはチームお父さんだよな」と話している。ちっ。
先日は、ポコとお風呂に入りながら、「おとうさんの作る好きなごはん」を一緒にあげていくゲームをした。ポコからは「からあげでしょ、それからとんかつ、スパレッキー(パスタ)、たまごやき、すき焼き、サラダ……」と次々出てくる。それじゃあお母さんの作るごはんは?と聞くと、うーんとねーとポコは考え、言った。「ピザ」。
いや、それお母さん作ってないから。頼んだから。
ポコに聞くと、そのピザは東京にいる頃に食べたものだという。「シッターさんが来た時におかあさんが頼んだでしょう」。そういえば、東京にいるとき一度だけ、どうしても遅い時間に仕事をしなくてはならず、ベビーシッターさんに1時間ほどポコをみてもらったことがあった。ポコが4歳か3歳のときだ。「そのピザはさびしかったの、うれしかったの?」と聞くと、ポコは即座に「うれしかった!」という。シッターさんも一緒に食べられるように頼んだピザは、たまにしかありつけないめずらしい食べ物で、しかも妖怪ウォッチのおまけがついていて、しかも若くて優しいベビーシッターのお姉さんと一緒に食べられて、すごく楽しかったのだという。
自分の子ども時代を振り返ってみる。両親共働きで、いわゆる「鍵っ子」だったけれど、自分がかわいそうな立場にあると思ったことは一度もなかった。誰もいない小学校でお迎えを待っている姿を見て「かわいそうで涙が出た」という祖母の話を聞いて、えっ、そうなの?と、成長してから驚いたことがある。大人が見たら確かに胸を締め付けられただろう、と今ならわかるが、子ども自身はなんてことはなかったのだ。それは、家族に愛されているという自信がきちんとあったからだと思う。
「おと…、じゃないおかあさん」。ハノイに来て以来ずっと、ポコは「おとうさん」と「おかあさん」がごっちゃになっている。まあそれもいいか。家族それぞれがいきいきと過ごし、一緒にのんびりする時間もつくる。その両立はどこにいたって難しいもの。でも日々修正しながらやっていくしかないよ。ポコよ、今度のお休みは、お母さんの出張先のカンボジアかフィリピンにおとうさんと一緒に行って、おいしいごはんを食べられるといいね。