国連で仕事を初めて14年になりますが、最初に働き始めてびっくりしたのは「終業時間にみんながちゃんと帰る」ということでした。私は大学卒業後、大学院に行くまでの3年弱の間、派遣や契約社員として日本の省庁や研究所、新聞社で仕事をしていました。どこも終業時間に帰ったことがなかったですし、特に選挙前や年度末など忙しい時期は終電まで残るのが「当然」だったので、短い期間ではありますが勝手に「仕事とはこういうものだ」と思っていました。やることもたくさんあるし、休暇というのは基本的に身体を壊すか、親に不幸があればとるものでした。
国連職員としての私の最初の赴任地はスリランカでしたが、外国人スタッフは若干残ることもありましたが、現地スタッフは基本的に就業時間にちゃんと来て、終業時間にちゃんと帰ることに驚きました。若干残るといっても1-2時間くらいで、夕方の7時になるともうすっかり事務所はがらんどうになりました。一年目に全く休暇を取らなかったことを、アメリカ人の当時の上司に「自分のWell beingをちゃんと管理できないのはプロとして失格だよ」と怒られて、日本での短い社会人生活で勝手に刷り込まれた「休暇はとらないもの」という考えを改めたのでした。
スリランカのあとに赴任したハードシップの国(南スーダン、ソマリア、イエメン)では通常の休暇(1か月に2.5日)に加えて6-8週間ごとに1週間の強制休暇がもらえました。家族と離れてハードな環境で住む職員に対する慰労の意味もあり、安全面やハード面で生活環境が厳しい場所でのテント暮らしやキャンプ暮らしがずっと続くと精神的に参ってしまわないように、という配慮から来るものですが、通常もらえる休暇に加えてですので、6週間おきだと2か月に1回、1年で見るとトータルで72日もお休みがもらえる計算になります。基本的に休暇ですので、その間どこにいっても構いません。私もケニアの海でダイビングしたり、モロッコにいったり、エジプトにいったり、時にキューバまで行ったりしてハードシップの合間のハードな(!)休暇を楽しんだものです。最初はなんて贅沢な!と思っていましたが、慣れとは恐ろしいものでそのうち休暇が2か月に一回あるのが当たり前のように思うようになってしまいました。
イエメンで働いたのを最後に出産したので産休4カ月と今までに溜まった休暇、数か月無給休暇を加えて1年間まるまる休暇をとったことはとてもいい選択だったと思います。日本を出て12年、一年に一回帰ってくるかこないかという中で久しぶりに日本に戻り、両親と時間をすごし、娘とまっすぐに向き合って母娘の関係の土壌を耕せた一年でした。それからセネガルの赴任が決まりましたのでちょうど娘が一歳の時に復帰して、2週間目には初の出張(ちょっと早いなとは思ったんですがこれで断乳となりました)あっという間に今年で2年目になりました。
ここは家族帯同が許されている国なので強制休暇はありません。ハードな仕事のあとのご褒美の休暇があった昔の日々を懐かしく思い出しつつ、今は子どもの幼稚園の長期休みに合わせて、もしくは週末に+1~2日して休暇をとっています。学校がお休みの7月~8月、12月~1月に3週間から1か月くらいの長期休暇を取るスタッフが多く、仕事はその間は少なからず影響を受けますが、休暇は「親の不幸があるか、体調を崩したときに使うもの」ではなく、生活を充実させるためのものだという共通認識があるので、お互い協力しあいながら仕事とプライベートのバランスを実現しています。休暇は「仕事後のごほうび」ではなくて「人生を充実させるために必須」なものという認識です。
普段も5時半の終業時間に帰る時もないわけではありませんが、残っても6時半には事務所を出て夜の時間は娘との時間ですので、家でなるべく仕事はしないようにしています。保育園が朝の7時半から午後の6時まで預かってくれるのと、何より信頼のおける住み込みのベビーシッターさんがいてこそ可能な働き方です。2か月に一回帰ってくると一カ月間はいる夫は24時間育児参加してくれますが、普段はシッターさんなしではまわりません。
日本ではここ数年「働き方改革」が問題になっていて、自分の時間をしっかり確保するために若い世代は飲み会に付き合わないとか、周りがとっていなくても休みをとる若手の話が多少のため息を伴って酒の席の話題になったりしますが、長期休暇をとるのが当然な国際機関にいると今も日本社会は多分に個人の犠牲になりたっているのだなと思わざるを得ません。夫の帰宅は連日夜の10時、11時で、ワンオペを余儀なくされる母としての友人の話や、尋常ではない残業をこなして体や精神を壊してしまう同世代の話を聞きながら、「和を大切にする」日本社会の暗闇の部分を場外から見るわけです。
国際機関で働いている友人と「今から日本に帰っても日本社会で仕事するのは難しいだろうね」と半分本気で話しますが、それはとりにくい休暇だったり、毎日の満員電車だったり、保育園のとりにくさだったり、メディアを通して報道される強調された日本社会の窮屈さのせいかもしれません。でも、たぶんご縁があってまた日本社会で仕事する機会があったら、私もなんだかんだ言って同化してしまうのかもしれませんね。自分の意見があっても、社会のシステムとしてそれが生かされることがなければ、あえて「我が道を行く」のは難しいことです。上司も同僚も休暇を取らない会社だったら私でも自分だけ休暇をとることはないと思います。「なんか違うよな」と思いつつ、真正面から上司や同僚と対立して自分の権利を執行するやり方をとったら、いい人間関係を築けませんし、仕事もやりにくくなります。個人がもっと自由に人生をデザインできるように日本ももっと社会のしくみそのものが働く世代のワークライフバランスがとりやすくなるような環境に変わっていくことを願っています。
今年は、上司と同僚がクリスマスの時期長い休暇をとるので、私はダカールに残ることにしました。その代わり11月の研修に合わせて一週間のお休みを追加して3歳になる娘の七五三のお祝いをしてきました。これで、今年の休暇はおしまいですので私はオフィスの人口が半減する休暇の時期にはたまった仕事を粛々としあげ、普段読み込めない長い参考資料を読んだり、関連分野の最新の情報を入手したり、フランス語の勉強をしたりします。そんな静かな勤務時間、実は私は結構好きだったりするのです。
今年は年明けは夫の実家カナダに帰省。5月に週末+2日でロシアでママ友会、7月に3週間家族でスペインとアンドラを回りました。しっかり仕事して、しっかり遊ぶ。来年はどこで休暇をとって何をしようかなと楽しみに考えつつ、12月も頑張って仕事することにします。