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薬物と薬物を使用する人にまつわる嘘とまこと ラモス=ホルタ元東ティモール大統領寄稿

World Now 更新日: 公開日:
ラモス=ホルタ氏=2015年1月、石原孝撮影

ノーベル平和賞を1996年に受賞したジョゼ・ラモス=ホルタ元東ティモール大統領の寄稿です。ラモス=ホルタ氏は、元国連事務総長の故コフィ・アナン氏らが名を連ねるNGO「世界薬物政策委員会(GCDP)」(本部・スイス)のメンバーで、薬物や薬物使用者らについて非科学的で間違った認識や政策を改め、人道的で効果的な方法で人びとと社会にもたらす害を減らそうと訴えます。
(原文は英語で、薬物問題や政策に詳しい佐藤哲彦・関西学院大学教授が翻訳を担当。注は編集部)

ジョゼ・ラモス=ホルタ 元東ティモール大統領、1996年にノーベル平和賞を受賞。NGO世界薬物政策委員会(GCDP)のメンバー

 

米国における最新の調査で、多くの人は薬物依存を問題行動とみなし、近隣・職場・家族のなかに依存を抱える人を迎え入れたくない、と捉えていることが報告された。依存に対するこのような捉え方は、米国以外の多くの国々でも見受けられるものであり、薬物に関するあり余るほどの間違った語りを世界中で存続させている。

薬物に関する誤った情報は、それらを使う人々へのスティグマ(烙印)と差別をあおり、効果的な改革の試みを妨げ、人間の尊厳と法による統制をむしばんでいる。

私たちは事実を伝えることで薬物使用に対する偏見に対抗し、次のような悪循環を食い止める方法を見つけなければならない。すなわち、薬物は悪→薬物の使用と所持は違法であるから、それを摂取する人は不道徳である→差別とスティグマの発生→薬物は悪であり違法とすべきだ、という思考の増強といった悪循環である。

■社会における薬物の位置

大統領現職時に来日し、広島を訪問。当時の秋葉忠利広島市長(右)の案内で平和記念資料館に向かうラモス=ホルタ氏=2010年3月19日、青山芳久撮影

社会を脅かす不自然な物質であるとして薬物は悪いものだ、と多くの人たちは捉えている。しかしながら、この信念は恐怖から生まれたものであり、事実上の根拠はほとんどない。精神になにかしら変化を与える物質の摂取は、何千年もの間、文化の垣根を越えて記録されている、ほとんど普遍的な衝動である。

禁止することで薬物の根絶を試みることは効果的でないばかりか、同時に、暴力と日常的な人権侵害という形で、個人と地域社会に非常に高いコスト負担をもたらしている。例えば、マリファナがそうされているように一方を悪のドラッグとし、それに対してアルコールがそうであるようにもう一方を使用可能な物質と判断できるような、合理的な理由は存在しない。つまり、薬物使用を排除しようとすることは、イデオロギーと主観的な道徳的判断によって促されているのである。

現在ある特定な文化が認めたり、あるいは少なくとも歴史上のある時点ではそのような文化が認めたとみなされる伝統的な方法で、薬物を使用したりすることは一般に受け入れられている。西洋社会におけるアルコール、モロッコや南アフリカでの大麻、アンデス地方ではコカの葉、オセアニア地方ではカヴァ(※注 南太平洋 諸島原産で、コショウ科に属する植物またはそれから作られる嗜好品。南太平洋地域で長い間、儀式での飲み物として使われてきた。かつては睡眠を促したり、ぜんそくなどの治療や局部麻酔用物質として使われたりしたという)、インドや他のアジア地域におけるアヘン、または東南アジアのクラトム(※注 学名 ミトラガイナ。タイ、マレーシア、インドネシアなどに自生する植物で、痛みやうつの改善など様々な効果があるとされるが、現在はタイやマレーシア、日本などで規制されている)などが例として挙げられる。

コーヒーやタバコがヨーロッパに初めてもたらされたときもそうだったように、その物質を使用する習慣が異なる文化からやってきたとき、人はそれを非難することが多い。同様に、同じ物質であっても、それが医療で使用される場合(モルヒネなど)と、路上で使用される場合(ヘロインなど)とでは、異なった見方がなされるのである。

薬物を使用する人の人物像

もうひとつ広く行き渡っているのは、薬物を使用する人は、「法を遵守する」市民と同じ権利を持つに値しない、弱く、反社会的で、道徳的に腐敗した人物であるという誤った認識である。こうした人物像のために、いわゆる麻薬戦争は失敗だったと認識している人たちの多くも、依然として厳罰で臨む薬物政策を支持している。

非犯罪化や合法的な管理によって、国主導でよりよく状況がコントロールできると言おうものなら、地域社会に薬物、売人、薬物中毒者が押し寄せ、若者を堕落させ、社会の根幹がむしばまれるという反応がすぐに出現する。薬物が悪いという信念と同様に、薬物を使用する人は堕落しているという人物像には根拠がないのである。

ポルトガルでは、登録手続きをしたヘロイン依存者らに毎日、メタドンを配布していた。メタドンはヘロインと同じような効果があって長く効く、安価な経口剤。ポルトガルは2001年、世界で初めて全薬物の個人所持・使用を非犯罪化した=丹内敦子撮影

薬物を使用するすべての人は人間であり、そして誰かの親、兄弟、子ども、親族、友人、隣人、同僚などであるということを忘れてはならない。したがって、世界人権宣言前文の最初の文章で示されているように、使用者たちも尊厳、健康、公正な判断、および生活様式の選択などを含めて、全ての人類と同じように、譲ることのできない権利を持つのである。

人が薬物を摂取する理由はたくさんあるし、それはその人の性格や倫理観とはほとんど関係がない。それには(薬物に限らず向こう見ずなことをしようとする)若さゆえの冒険心、娯楽、人付き合い、痛み・不安・うつ状態に対するリラクゼーションや自己治療などがあり、心に変化を与える物質を使いたいと思うほどのトラウマ経験・傷つき・生きづらさ・精神疾患といった諸状況など、さまざまな理由がある。

薬物使用の最も一般的な形態は、しばしば指摘されているように、問題のあるものではなく、一時的なものである。

薬物を使用する人のうち、何かしらの問題(障害)を持つ人はわずか11%にすぎない。そして、依存症を抱える人であっても、ほとんどの場合、規律正しく暮らしている。つまり、学校や職場にきちんと通い、自宅や友人と共同で暮らし、買い物や礼拝など日常的な活動をして過ごしている。薬物を摂取するということは非暴力的な行為であり、直接的に影響を受けるのは使用した本人の健康だけである。その人のおこないが法律違反となるのは、その薬物の摂取が違法であると規定されたからに他ならない。

したがって、薬物を使用する人が直面する主要なリスクとは、本人の将来を潰しかねない犯罪記録が残ることである。当事者が必要とするのは、刑事司法制度による重大な脅威ではなく、必要に応じて適切な保健サービスにアクセスできることなのである。

■薬物の現実的な害

ある人が薬物を使用することで何かしら健康上の問題が生じた場合、それに対するケアを見つけることは容易ではない。というのも、そもそもそうしたサービスが存在しないか、本人が法的に影響を受けることを恐れているか、もしくは医療現場でさえも差別的な対応をされるからである。これは世界人権宣言に明らかに違反している。人権宣言では、誰もが平等な権利を保有していると述べているのである。

スイスには看護師らの監視下で、薬物依存者が安全に薬物を摂取できる部屋がある。薬物の使用や所持を一義的に犯罪行為ではなく、健康問題や公衆衛生問題とも捉えている=丹内敦子撮影

「リスクがあるとわかっているものに、なぜ手を出すのか」というような単純な話ではないのだが、多くの人にはそれがなかなか理解されない。実際には、人間がたずさわるほとんどの活動は、リスクといった要素が含まれている。それには、車の運転であったり、飛行機で空を飛ぶことであったり、あるいは食べ過ぎたり、不適切な食事をすることなどが挙げられる。

薬物使用のリスクというのも決して単純に抽出できるものではない。そのリスクの多くは、その物質が法令により管理されていないために生じている。これらのリスクには、闇市場に特有の暴力、危険な使用法や環境、感染症の罹患、受刑、そして薬物に有害物質が混入されることなどが含まれている。

1920年から1933年にかけて、米国ではアルコール飲料の生産と販売が全面的に禁止されたが、その間、飲酒はとても危険で不健康なものになった。法令で管理されない違法アルコールは、品質が悪く、以前より度数の高い場合も多かったからである。そして今日、米国のオピオイド危機で同じようなことが起きている。薬物の売人が、モルヒネよりも50倍強力な合成オピオイドであるフェンタニルをヘロインに混ぜて売っているため、より恐ろしい状況になっているのである。

精神作用物質が実際にどれほど害を及ぼすのかについては誤解がからみ合っており、科学的な研究に依ることはほとんどなく、恣意的に決められたような法律上の位置づけによって、人々の見解が形成されてきた。国連は今でも、大麻をヘロインやコカインと同様に“最も危険な物質”に分類しているのだが、これは1926年になされた決定であり、それ以来一度も見直されていない。一方で、バルビツール酸系(編集部注 鎮静剤や催眠剤として使われた)は、コカインやヘロインと同レベルに強い害をもたらすと研究報告されてきているにもかかわらず、程度の低い規制の対象となっている。

悪循環を断ち切る

薬物を悪とみなすことで、薬物の使用や所持は違法となり、薬物使用者は不道徳とされ、それが差別やスティグマをもたらし、ひいては薬物を違法と扱うべきであるという考え方がさらに強化される。今や、この悪循環を断ち切る時である。

そこで、まずは薬物とその使用を適切な文脈で捉え直したい。そうすることで、薬物の本当のリスクと害について理解することができるようになり、そのようなリスクと害を軽減する効果的な予防措置や治療の選択肢につながる道が開かれる。

この問題は根本的には複雑なものではない。人々は精神作用物質を使用することがあり、そうした物質は潜在的に有害性があるもので、より効果的に対処する第一歩は、それらの使用や個人的使用のための所持を非犯罪化することである。とはいえ、最終的には政府が全責任をもって何らかの管理モデルを探求すべきである。その管理モデルにおいては、精神作用物質の生産、流通、販売、使用が、それぞれの物質の問題性に応じて、合法的に厳密に管理されるものとなるべきであろう。

GCDPとは 2011年に設立されたNGO。メンバーにはホルタ氏のほか、元国連事務総長の故コフィ・アナンや元米国務長官のジョージ・シュルツ、英ヴァージングループ創業者のリチャード・ブランソンなど、国際機関や各国の元トップ、経済界の有力者らが名を連ねる。同年にGCDP最初の報告書で「薬物との戦争は失敗した」と発表し、世界に衝撃を与えた。薬物と薬物政策が人々と社会にもたらす被害を減らすため、人道的で効果的な方法について、国際的レベルで十分な情報と科学的な根拠に基づいた対話を目指すとしている。