1. HOME
  2. 特集
  3. 「麻薬」のある世界
  4. ヘロインに揺れたポルトガル、それでも厳罰より治療を選んだ

ヘロインに揺れたポルトガル、それでも厳罰より治療を選んだ

World Now 更新日: 公開日:
看護師の女性(右)がパソコンでデータを確認し、バンの窓口から依存者にメタドンを渡す=丹内敦子撮影

かつて「人口の1%が使用者」と言われるほどヘロインが蔓延していたポルトガルは2001年、思い切った手に売って出た。世界で初めて、薬物の種類を問わず、個人の所持や使用を罪に問わないことにしたのだ。「薬物使用者が劇的に増えるのでは」と危惧されたが、結果は逆だった。首都リスボンから、ポルトガルの薬物対策最前線をリポートする。

10月末の朝8時半、首都リスボンには冷たい雨が降っていた。市南西部の車道脇に、20人ほどの中年男性が集まっている。みな少しいら立っていた。 

「まだ着かないのか!」「もう着くよ。鉄道のストで道が渋滞しているんだ」 

薬物依存者らを支援するNGO「アレスドピニャル」の担当者がなだめる。このNGOは政府の委託を受け、市内でヘロイン依存者ら1200人に鎮痛剤メタドンを配布する。メタドンはヘロインと同じような作用があって長く効く、安価な経口液剤だ。メタドンには健康保険が利き、毎日飲めば、依存者でも離脱症状にならず普通の生活を送れる。 

バンが着くと、依存者らはわれ先にと各自に決められた量のメタドンを看護師から受け取る。給水器の水と混ぜて一気に飲み干し、足早に立ち去る。 

「メタドンがあるとヘロインを使う量が少なくて済むから助かるよ」とネルソン(40)は話す。12歳の時、兄がすでに中毒だった。兵役から戻った21歳の時、知人に誘われて使い始めた。「やめるのは苦しい。でも治療プログラムでメタドンの量を減らし、最終的にやめたい。仕事に就きたい」 

看護師の男性はパソコンでデータを確認してからメタドンを量り、窓口から渡していた

バンには、心理学者が同乗していた。フランシスコ・アルネイダ(38)。「メタドンをもらいながらヘロインを打つ人もいる。でも僕たちは止めない。安全に薬物を使う方法を伝えながら信頼関係を築いていく。そこから治療が始まるから」 

ポルトガルは2001年から麻薬などの使用や所持を法律で原則禁止しつつ、個人使用やそのための少量の所持(平均的な10日分の使用量)は、逮捕や投獄をしない「非刑罰化」した。 

かつてポルトガルは、ヘロイン問題で大きく揺れていた。 

1974年の革命で社会が一気に民主化。同時にアンゴラやモザンビークなどの旧植民地からの帰還兵が大麻やヘロインを持ち込み、広まった。90年代半ばにはヘロイン使用者が人口約1000万の約1%に達したとみられ、注射器の使い回しでエイズウイルス(HIV)感染症による死者も急増した。

当時の首相で、現在は国連事務総長を務めるアントニオ・グテーレスが、専門家らに緊急に対策を練るよう指示。国会から地方まで様々な議論を重ね、「非刑罰化」を採用し、メタドン維持療法などのハームリダクション(害を減らす政策)を重視することになった。

【もっとくわしく】「使わせない」でなく「ダメージを減らす」 欧州で主流の対策「ハームリダクション」

バンの窓口からメタドンを受け取る男性=丹内敦子撮影

健康省の機関で薬物や依存症治療を担当する「SICAD」副局長マニュエル・カルドーソ(63)は「依存者も同じ人間で、同じ権利を持つ。私たちは人間の尊厳を尊重し、刑罰より治療を重んじることにした。メタドンが必要な人は、毎日インスリンが必要な糖尿病患者と多かれ少なかれ同じだ」と話す。 

少量の薬物の所持が見つかっても逮捕はされないが、違反者は健康省傘下の「薬物依存抑制委員会(CDT)」に出頭しなければならない。法律家や心理学者らが、依存症かどうかを判断し、治療の必要性や、罰金などの制裁を科すべきかどうかを決める。

リスボンのCDT副局長で社会学者のヌーノ・カパージュ(42)は、薬物使用者を刑務所に入れても問題は解決しないと言う。「私たちの目標は使用者に何か問題はないか、あれば解決に向けて手助けできないか見極めること」と話す。 

こうした態勢を整え、薬物使用者で新たにHIV感染と診断されたのは、2000年の1430人から10年には164人まで減少。最も問題が多いとされるヘロイン使用者の増加は抑えられている。 

日本で重要視される「薬物を断つ」ことについてカパージュに問うと「ポルトガルでは選択肢の一つ」としたうえで、続けた。「薬物のない世界はこれからもないだろう。私たちがしようとしていることは、問題を管理するための政策をつくることだ」