■「失うことの恐れ」から停滞した日本
――日本は長くデフレや低成長に苦しんでいると言われますが、どのように見ていますか?
まず、歴史を振り返ってみたいと思います。1960~70年代、日本は自動車、二輪車、電気製品など、いろんなものを世界に送り出しました。日本にはハングリー精神があり、何にでもトライして、世界のナンバー2に躍り出るという大きなムーブメントがありました。
ところが、いざそうなってみると、保守的になりました。得たものを失うことが怖くなったのです。現状を維持したいという思いが強くなり、オフェンシブ(攻撃)ではなく、ディフェンシブ(守備)モードでプレーするようになったのです。そして、1990年代以降、20年間の眠れる経済に入っていきました。
その時代を経て、いまは産業革命後の新たな事象が起きています。インターネット、デジタルエコノミー、そしてスマートマシン(※)といったものがどんどん出てきて、日本も「何かをしなくてはいけない」と考える時代に入ってきました。成功は得たけれど、その後に世界は変わってきた。そしていま「何かはしなくてはいけない」という気持ちになっているのです。
※スマートマシン…ロボットや自動運転車など、人工知能(AI)などを搭載し、自律的に動く機械のこと。
――「失うことへの恐れ」は、日本特有なんでしょうか。
経営学を専門にしている人間から見ると、誰にでも起こりうることです。米国にも欧州にもあります。むしろ最も成功した米国にこそ、最も大きな「失うことへの恐れ」があるとも言えます。
何も持っていないハングリーな時代には、人々が生き残るためによりアグレッシブに動き、より結束するといったことが起こります。しかしひとたび豊かになると、組織が分断して個人主義が蔓延していく。これはどこでもそうです。勝者が、ずっと勝利し続けることは難しい。改革なしに現状を維持していると、勝ち続けることはできない。それも、どこでも共通の認識だと思います。
――「失うことへの恐れ」から停滞した日本も、いまは「変わらなくてはいけない」という思いになっているというのですね。
そうです。改革への気づきはあると思います。あとはそれをどう成し遂げればいいかという手法の問題でしょう。日本社会は高齢化している一方、若い世代は西洋の考え方の影響を受けているので、世代によっても手法についての考え方は違うと思います。それでも「変わらなくてはいけない」という認識は共有されていると思います。
――そんな日本に必要なことは、なんだと思いますか。
鍵となるのはイノベーション(技術革新)と、クリエーティビティー(創造性)を伸ばすことです。
そして、これらを伸ばす道はふたつあると思っています。ひとつは米国・シリコンバレーのアプローチです。ベンチャーキャピタルが介在して、起業家精神を持った人たちがトライ&エラーを何回も繰り返していくのです。これは日本でも、すでに取り組まれていると思います。ベンチャーキャピタルを育てたり、起業家精神を育てたり、トライ&エラーを繰り返そうという取り組みも、すでにやっているとは思います。それはそれで続ければいい。
ただし通常は、こういうことがうまくいくのは個人主義社会です。個人個人がリスクを恐れない、そして個人個人がそれぞれ動いていく結果として、大きな社会全体でも、それがうまくいくような社会です。ですから、日本のような集団主義の社会では、それだけでは十分でないと思います。日本は長い歴史の中で、人間の「調和」を実践してきました。その強みを生かした、もうひとつのアプローチが必要だと考えています。
■日本の改革に必要な「もうひとつの道」
――それは、どんなものでしょうか。
全体的な(Holistic)なアプローチです。さまざまな(経営管理や組織改革の)手法とプロセスを、体系的に、段階を踏んで、みんなで実践していく道です。そしてそれは日本企業が、TQM(総合的品質管理)で採ってきたアプローチです。1960年代、70年代の日本の躍進を支えたのは、TQMの「再発明」です。それは「人間」を中心に置いた発想でした。
もともとTQMは西洋の考え方です。その米国的な理解では、製品の品質チェックに主眼が置かれていました。ところが日本では、品質を管理するにあたって「人間が介在するプロセス」に着目しました。人間がどう動けば、品質が向上するかを考え、それを実践するために、もともとの日本の強みである「人間の調和」を持ち込んだのです。
おかげで今度は米国が、プロセスに人間のつながりを入れるとどうなるかを理解し、そこから「6シグマ」といった新しい経営管理の手法が生まれていったのです。
――つまりみんなでまとまって、段階的に技術革新と創造性を生むための経営改革、たとえば「ブルー・オーシャン戦略」に取り組むというイメージでしょうか。
ブルーオーシャン戦略は、30年間の実証研究を積み重ねた、科学的な、実証された手法です。前著から10年をかけてさらに研究を重ねています。考え方のフレームワークは用意できたと思っています。
ただ、それはひとつの考え方だと思いますが、ほかにも有効なオプションはあると思います。いろんな手法があるなかで、どれが採るべき道なのかということは議論が必要だと思います。政界も学術界も、大企業も小企業も、論理的な、科学的な方法論をもとに、よって立つところを固めていかなければいけません。
必要なことは、どんな手法を採るにせよ、人々がそれを共有し、結束することです。それができればデジタルエコノミーの最前線においても、日本が前に進んでいくことができると思っています。だから私の著書をきっかけに、みんなが議論を始めてくれるならありがたいと思います。私もどんな手法があるのか日本から学びたいと思っていますし、学ぶこともたくさんあると思っています。
――近著『ブルー・オーシャン・シフト』(ダイヤモンド社)では、「人間らしさ(Humanness)」への配慮の重要性を繰り返し強調されていますね。
前著の出版後、「それを実証しましたか」という反応がありました。その手法を適用した結果、どう失敗して、どう成功したかということを、もっと具体的に教えてほしいという声があったのです。
確かに手法だけ分かっても、どう実践するのかは難しい。たとえば経営者がひとりでやるべきなのか、チームをつくるべきなのかすら分からないわけです。それに、自分のブルーオーションが他社にマネをされて、レッドオーシャンになってしまったら、再び、どうやってスタートを切ればいいのか。そういうことは前の本には書いていなかったのです。ですから今回は、経営改革の手法のより具体的な実践例を書きました。
そして、そこでとても重要な要素として、「人間らしさ」を強調しています。一歩一歩、イノベーションとクリエーティビティーを探求するなかで、人間性を取り込んで、どう実践につなげていくかを書いたのです。
――私がかつて取材した企業でも、経営改革に取り組もうとしても、なかなかうまくいかないというケースがありました。
人間の魂を入れずに手法を適用しようとすると、そういうことが起きると思っています。つまり、人間を介在させないで(経営改革の)ステップだけを踏もうとすると、そうなるのです。実際には、そのプロセスには、必ず人間への思いが込められていなければいけません。
経営改革のために導入した機械が、奇跡を起こすのではありません。奇跡を起こすのは人間なのです。
■「人間らしさ」への配慮が改革の成否を分ける
――「人間らしさ」への配慮について、もう少し具体的に教えてください。
例を挙げましょう。同じ製品をつくる二つの工場の話です。一方の工場は好業績で、さらに新しい手法を採り入れよう、技術を導入しようということで、改革を進めました。ところが労働組合の問題や、人事の問題などが起きて業績が下がり、2年後には同じような改革を進めたもう一つの工場に追い越されてしまったのです。そして、追い越された側の工場の幹部が私たちに「なぜこうなったのか。この謎を解いてほしい」と依頼してきたのです。
私たちは、何が起きたのかを調べました。この工場はコンサルティング会社の助言を受け――名前は挙げませんが、誰もが知る著名なコンサルティング会社です――経営改革のための調査を内密に進めていました。静かに、目立たないようにやろうとしたのです。ところが社員からすると、ぴしっとネクタイを締めた知らない人が工場の中をうろうろしているんです。そして、経営幹部のいる会議室に行って、報告をしている。
すぐにうわさが広がりました。たとえば社員どうしが夜飲みに行きます。しかし情報を与えられていませんから、みんなが臆測で話をする。そして「人員削減では」「早期退職勧告か」といった臆測が広がり、「仕事を失うわけにはいかない。会社と戦おう」という話になったのです。
1カ月後にトップが経営改革案を発表したとき、どうなったと思いますか? 社員は「No」と言ったのです。社員も改革が必要だと分かってはいました。いろんなことをやらなくてはいけない。もっと、効率的にしなければいけない、と。でも、感情的に拒否してしまった。
――確かに理解できる反応ですね。
もともと事業が低迷していたもう一つの工場は、まったく違うやり方をしました。うわさになる前に社員を集め、トップが「あと1年このままなら人員を削減せざるを得ない。でも今年中に結束してテコ入れできれば、みんなが残れる」と率直に話しました。全体に目配りし、社員と議論し、関与させながら改革を進めました。社員食堂に集まって「がんばりましょう、乾杯!」とやって、1年の猶予しかない中で結束したのです。
これがストーリーです。では、その背景にあった論理とは何か。それは「人間は、どんな層の人間であっても、自分を尊重してもらいたい欲望を持っている」ということです。そして組織とは、大企業でも中小企業でも、政府でも、すべて人間の集まりなのです。でも先の例の工場では、改革の進め方にそんな「人間らしさ」への配慮が欠けていた。同じ問題は、日本でも日々起きています。
■情熱は処方箋ではつくれない
――人がやる気になって取り組まないと改革は進まないのですね。
私が重要視しているのは「ヒューマンダイナミクス」と呼んでいるものです。人々の感情、情熱が、イノベーションとクリエーティビティーを探求するなかでも、最終的に最大限の効果を生むものだと思っているのです。
人間が何をするにも、動機づけが必要です。考えてみてください。誰かに何かをしてもらうとき、「あなた、クリエーティブになりなさい」と言ってもダメですよね。それにイノベーションとか、クリエーティビティーを感じるのはいつでしょうか。オフィスに朝から晩までいさせられるときでしょうか。それとも、ハイキングや何かをしているときに感じるのでしょうか。
何かをしてもらうためには、動機づけをしなければなりません。しかも、その人自身が情熱と夢を持ってやろうすることが非常に重要です。情熱というのは処方箋でつくりだすことはできない。それをその人が自分で感じていくことが必要です。
そこで何が必要かというと、公正なプロセスです。絶対に真実を隠さない。これが実態だときちんと伝えて、そこで「この問題に取り組むんだ」「自分たちは運命共同体なんだ」という認識を共有して、みんなが情熱とスピリットを発揮して動いていくことが必要です。
――そうした「人間らしさ」への配慮は、経営改革を進めるうえで忘れてしまいがち、ということなのでしょうか。
1990年代以降、インターネット経済の時代が訪れました。そしてGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)が来ました。そんな大きな波が来たので、忘れがちになっているということなんだと思います。
ですから「人間らしさを忘れないようにしよう」ということをもう一度、語りかけてあげることが必要だと思っています。スマートマシンをつくったのも、AIをつくったのも人間です。そして、それらを使うのも人間です。それを忘れてはなりません。
かつて日本は人間的な社会でした。だからこそ(ムダな在庫をなくす)カンバン方式が生まれ、カイゼン活動が生まれたんです。当時でも生産性を上げるために機械は導入されていましたが、人間を中心に置いて、機械と人間が一緒になって作業することを考えたから、このすばらしい考え方が生まれたのです。人間らしさを入れたから成功したんです。
日本にはさまざまな課題があります。さらに前進するには、自分たちなりの改革の手法をみんなで議論し、共有し、結束して実践することが必要です。でもそのときに重要なのが、人間を中心に置いて考えることです。それが、再び日本を躍進させる力になるのです。
一度、あれだけのことができたのです。私は、日本が必ずまた成し遂げられると信じていますし、それを楽しみにしています。
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W. Chan Kim INSEAD教授
韓国出身。米ミシガン大ビジネススクール教授を経て、フランスのビジネススクールINSEAD教授。2005年の共著『ブルー・オーシャン戦略』が世界で400万部超のベストセラーに。