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いま「左派のポピュリズム」に注目すべき理由 

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山本圭・立命館大准教授=2019年2月、京都市内

最近出版されたのは、アルゼンチン出身の政治学者、エルネスト・ラクラウ(1935~2014)の代表作「ポピュリズムの理性」(澤里岳史、河村一郎訳、山本圭解説、明石書店)と、ベルギー出身の政治学者でラクラウの公私にわたるパートナーでもあったシャンタル・ムフ(75)の「左派ポピュリズムのために」(山本圭、塩田潤訳、同)。これまで「大衆迎合主義」と訳されて批判されがちだったポピュリズムに新たな可能性を見いだし、積極的に政治に取り入れようとする姿勢が、両書に共通する。両書にかかわった山本氏は、ラクラウ/ムフ思想の研究者として知られる。

左派ポピュリズムは果たして、右派ポピュリズムと同じく混乱の要因なのか。それとも、政治に新たな可能性を切り開くのか。

――今なぜ、この2人が注目を集めるのでしょうか。

エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフは、左派ポピュリズム運動から理論的支柱と見なされています。南米では、いまだに左派の人々の間で彼らの理論に学ぼうとする動きが衰えません。このあいだの国際会議でも、アルゼンチンからの研究者が熱くラクラウについて語っていました。他方で、欧州では、ギリシャの「急進左派連合」(シリザ)や、スペインの左派政党「ポデモス」、さらにはフランスの左翼政党「不服従のフランス」を率いるジャンリュック・メランションといった勢力へのムフの影響力が極めて強い。一部の運動にはムフ自身がブレーンとしてかかわっているともいわれます。

彼らの意識の根底にあるのは、「既成の政党やリベラル・デモクラシーが機能不全に陥っている」といった危機感です。特に欧州各国では、あからさまな経済格差や政府の社会政策に対する市民の懐疑心、既存の政党やEUへの不信感が強まっています。各国で右派ポピュリズムが伸長した背景にも、このような市民の不満の高まりがあります。

エルネスト・ラクラウ「ポピュリズムの理性」(明石書店)
シャンタル・ムフ「左派ポピュリズムのために」(明石書店)

右派ポピュリズムは当初、一時的で例外的な現象だと考えられていました。「ポピュリズムはいっときのもので、そのうち熱は冷めて、いずれ正常な状態に戻るだろう」と受け止められたのです。でも、5年ほど経ってみると、ポピュリズムのうねりが収まる気配は一向に見えない。むしろ、どんどん広がっているようにさえ思える。人々の不満を右派ポピュリズムが吸収することに成功しているのは明らかです。そのようななか、左派側もポピュリズム戦略を取って人々の不満に応答していくことがなければ、このまま取り返しの付かないところまで行ってしまう、そのような危機感がムフには感じられます。

■日本での議論から抜け落ちた視点

――日本に紹介する意義はどこにありますか。

私自身は、「左派ポピュリズム万歳」の立場でも何でもありません。ただ、今の日本のポピュリズム論議から、左派の視点がすっぽり抜け落ちていることには、違和感を抱いていました。ラクラウは、英政治学者マーガレット・カノヴァンと並んで最も重要なポピュリズム理論家のはずですが、本邦のポピュリズムの議論では、これまであまり言及されることがありませんでした。そこで「ポピュリズムの理性」、およびその実践編ともいえる「左派ポピュリズムのために」を紹介することは、ポピュリズムを「大衆迎合主義」と否定的に訳してしまう誤った認識を変えるうえで有益だと考えました。

――「右派」「左派」といった分け方自体が、やや古くないでしょうか。すでに1989年の「ベルリンの壁」崩壊で、右と左、西と東に分かれていた世界はひとつになった、というのが一般的な認識ではないかと思います。以後、政治の世界で大きな対立軸は消えたように思えるのですが。

冷戦が終わった1990年代には確かに、イデオロギーをめぐる対立軸が消えるという見方が広がりました。フランシス・フクヤマの著書「歴史の終わり」が有名ですね。でも、今振り返ると、そんな世界は結局来なかったことがわかります。

欧米もまた、左右のイデオロギー対立をあいまいにする中道政治をすすめてきました。このような合意に基づく中道政治の典型は、英国のブレア政権が推し進めた「第三の道」ですが、彼らの中道での「合意」もいまや、新自由主義やエリート間での合意に過ぎなかったことが、ひろく認識されるようになっています。

ポピュリズムは、このような合意から抜け落ちた部分を拾う機能を備えています。ラクラウとムフの思想が重要なのも、そこに理由があります。政治的な合意から排除され、無力化されてきた人々の不満をすくい上げ、まとめあげることこそが、彼らの思想が果たす最も大きな役割だといえます。

山本圭・立命館大准教授=2019年2月、京都市内

――「抜け落ちた」というと、具体的にはどんな例でしょうか。

ラクラウとムフが、現在の左派ポピュリズムにつながる「ラディカル・デモクラシー」(根源的民主主義)を提唱したのは、1985年の共著「民主主義の革命」(西永亮、千葉眞訳、ちくま学芸文庫)でした。当時、彼らが教壇に立っていた英国では、サッチャー政権が推進する新自由主義政策の真っただ中でした。一方で、エコロジー問題やマイノリティーの権利をめぐる闘争が社会のあちこちで噴出していた。ラディカル・デモクラシーとは、そうした不満の声を拾い上げ、凝集し、より大きな異議申し立てをつくりあげる、そうした政治的プロジェクトのことです。その意味で、この時点ですでに、彼らの思想にはポピュリズム的な要素が胚胎(はいたい)していたといえます。

近年でも、「#MeToo」(ミー・トゥー)運動や、LGBTの権利を求める動きなどは、従来の多元的社会の中で埋もれてきた課題です。これに対して「おかしいんじゃない?」という声が上がり、問題として可視化され、現状を変えることにつながった。このような声を引き出す機能はどこかに必要です。ポピュリズムは、その役割を果たす可能性を持っていると思います。

同様の機能は、もちろん右派ポピュリズムにもあるでしょう。トランプはある意味で、オバマ政権下で埋もれてきた問題を可視化させたといえます。

――トランプの場合、埋もれていた白人至上主義まで可視化してしまったということでしょうか。

確かに、そのような面もあります。ポピュリズムの機能は、かなり挑発的ですから。しかし、ポピュリズムを支持した人々を「困った人たちだ……」と考えてはいけない。そこには左派やリベラルが応答出来なかった様々な課題があるはずで、何をして彼らを右派ポピュリスト支持へと走らせたのか、注意深く分析する必要があります。

同時に、左派ポピュリズムを批判する人は、「ポピュリズムは異常なもので、そのうち事態は正常に戻る」と高をくくっているように思えます。ただ、それほど楽観できるでしょうか。既存の代議制民主主義や政党政治が問われていることはまちがいないでしょう。

――ポピュリズムが大きな力を持ち得るのは理解できますが、それは一方でかなり危険ではないでしょうか。安定している社会にあえて問題を投げかけることで、バランスを大きく崩し、人々の暮らしに影響を与えることにもつながりかねないと思うのですが。

その懸念は基本的に共有します。ただ、それは現状肯定的な態度で、そのかぎりでエリート寄りの論理ではないか。ポピュリズムを恐れるのは簡単ですが、恐れてばかりだと何の変化も生まれません。私の専門は政治理論ですので、あえて理論的にはそう言っておきたいと思います。

山本圭・立命館大准教授=2018年10月、京都市内

ラクラウとムフの理論は、現にある秩序そのもののあり方を問い直すという意味で、ラディカル・デモクラシー(根源的民主主義)と呼ばれます。そこから生まれる変化は確かに、現状から利益を得ている人にとっては不都合なものかもしれません。でも、もっと多くの人々にとって望ましい、より民主的な社会を導き出す可能性を捨ててはいけない。

――ただ、欧州の右翼政党に典型的なように、右派ポピュリズムは民主主義にとって脅威であると、一般的には受け止められています。左派ポピュリズムも、民主主義を損なう方向に進まないでしょうか。

ムフの左派ポピュリズムの場合、あくまでリベラル・デモクラシーの制度の中でポピュリズムを活用する道を探っています。政党の機能も重視し、「ポピュリズムを実施する主体は政党であるべきだ」とも考えています。あくまで制度の範囲内でポピュリズムを戦略として使い、現状を批判し、民主主義を根源化しないといけない、というのが、彼女の基本的な考えです。

その背景には、本来は敵であるはずの英サッチャー政権から多くの教訓を得た彼女の経験があります。右派強硬派のサッチャーと左派のムフの思想は対極にありますが、ムフは「左派ポピュリズムのために」の中でサッチャーに再三言及し、サッチャリズムに学ぶべきだとまで言っている。サッチャリズムが現行の制度の中で右派のヘゲモニー(主導権)を確立したとすれば、左派ポピュリズムも同様のことを成し遂げられると考えているのです。

――ムフとラクラウは同じ理論を唱えているようで、実はかなり離れた立場にあるように思えます。ムフは確かに、リベラル・デモクラシーを尊重し、その枠内でポピュリズムを使おうと考えているかもしれませんが、ラクラウはもう少し革命的で、リベラル・デモクラシーの制度そのものも問題視しているのではないでしょうか。

確かにそうですね。ムフよりラクラウの方が急進的で、興味深い一方で危ういと感じられるかもしれません。ラクラウの思想には、既存の秩序そのものに挑戦するかつての革命主義的な要素が含まれ、リベラル・デモクラシーそのものを相対化する意図がうかがえますから。それに対し、ムフはあくまでリベラル・デモクラシーを回復することを左派ポピュリズムの目標にしています。この違いはかなり大きいと思います。

ラクラウとムフの思想を紹介した山本圭「不審者のデモクラシー」(岩波書店)

――左派ポピュリズムで気になるのは、現代の社会を「ネオリベが支配している」と位置づけ、攻撃対象としていることです。確かに格差が広がり、一部の金持ちや政治家の振るまいが目に余るのは「ネオリベ支配」と言えないこともない。一方で、それは避けがたいグローバル化の影響であり、文句を言ったところでどうしようもないのでは、とも思います。「ネオリベがすべて悪い」というのは、「グローバル化を止めれば問題が解決する」と言うのと同じで、「しかし、止められないよな」と反論されませんでしょうか。

いまのグローバル化のかたちが唯一のものではない、という視点が必要です。グローバル化が避けられないにしても、オルター・グローバリゼーション運動のように、今あるかたちとは違うグローバル化を模索する必要はある。例えば、気候変動に対してグローバルな取り組みを展開することが不可欠なのに、そのような試みは極めて弱い。多国籍企業が大手を振るグローバル化ではなく、社会が抱える様々な課題に協力して取り組むグローバル化を進められないか。現代社会は、そのような、本当に向き合うべき深刻な課題から目をそらしつづけてきたのではないでしょうか。

サッチャー以来30年近く続いてきたネオリベの波が行き着くところまで行ってしまった、というのがムフの分析です。2008年のリーマン・ショック以来、ネオリベの勢いが弱まり、そこにポピュリズムが飛び込む空白が生まれた。ムフはこの局面を「ポピュリスト・モーメント」と呼び、危機であると同時にチャンスが到来したと位置づけています。左派ポピュリズムを駆使して反撃し、民主的な秩序を立て直す機会だ、というのです。

――では、左派ポピュリズムが実際に政権を握ると、果たして統治できるでしょうか。典型的な左派ポピュリズム政権だったベネズエラの混乱は今見る通りです。欧州で左派ポピュリストといわれる英国の労働党党首ジェレミー・コービンやフランスの左翼ジャンリュック・メランションも、政権担当能力があるのか疑問です。

かりに左派ポピュリズムが勝利したとして、コービンやメランションがどう政権を運営するか、未知の面は少なくありません。その体制は穴だらけですから、失敗する可能性は十分あるでしょう。ただ、政権を任せるかどうかは、市民や政治家の選択次第です。あらかじめ選択肢から除外すべきではありません。

確かに、ギリシャの「急進左派連合」は、反緊縮財政を公約として掲げながら結果的に受け入れましたから、失敗例と位置づけられるでしょう。ベネズエラの場合も、ポピュリストだった前大統領のチャベスが権威主義化してしまいました。では、こうした失敗の原因が、すべて左派ポピュリズムにあるのでしょうか。いま、ポピュリズムは、ポスト真実や反知性主義など、なんでもかんでも一緒にされて語られる傾向にありますが、これはあまりにも乱暴です。何がポピュリズムによる問題で、何がそうでないのか。慎重に区別し、分析する必要があるはずです。