■「働かないアリ」には理由がある
長谷川さんにずばり尋ねた。働かないアリは、仕事が嫌なんですか?
「彼らは、働きたくないのではなく、仕事に対する反応が鈍いだけなのです」
長谷川さんによれば、アリは外部刺激に反応する刺激の強さに個体差がある。感度が良いアリほど小さな刺激で仕事を始める。例えるなら、「腰の軽さ」。腰の重いアリは、軽いアリに仕事を奪われ、じりじりしている状態かもしれないと長谷川さんは言う。つまり、働いていなくても、休めてはいないのだ。
何とも身につまされる話だ。人間の職場だって自分だけ仕事がなかったら、かえって気疲れするし、つらいもの。「俺って役立たず?」と、アリも焦っているのかな。
「そこは私も興味があって研究中です」と長谷川さん。一方で、150匹のアリの働き具合をつぶさに観察したデータを元に、様々な条件でコンピューター実験を繰り返した結果から、こう断言する。「働かないアリがいる構造の方が、短期的には処理効率が悪くても、巣全体では長続きします」
アリも働き続ければ疲れる。全員が働き者だと一斉に疲れて動けなくなり、卵を清潔に保つ仕事などが滞る。働かないアリが一定割合いると、彼らのヘルプに入るので、巣の存続に有利なのだ。
おお、希望の光。たとえ自分だけ休んでいても、組織にとっては意味がある。そう開き直って休みを楽しめばいいんだ!
ただし、と長谷川さんは言う。アリの場合、巣の仲間は同じ遺伝子を持つ家族であり、働いていない者も、いざという時のために待機しているなら問題にならない。でも企業では無理な話だ。働かない者がいたら、「なぜあいつが俺と同じ給料をもらっているんだ」と他の社員から文句が出るに違いない。
「その問題をどうクリアしていくかが、人間の組織をいかにうまく動かしていくかにも通じていると思います。ふだん働いていなくても、会社がピンチの時に救う働きができるなら、組織において置く意味がある。そういうことでしょう」と、長谷川さんは言う。
ちなみに、アリの世界では「フリーライダー」と呼ばれ、仲間を装って外部から侵入し、働かずに自分の卵を産んで育てさせるアリがいるという。
「アリはフリーライダーを見つけたら必ず殺します。働く気がなくて働かないやつは絶対に許さない。人間世界よりずっとシビアです」
■大切なのは「評価システム」
長谷川さんの研究成果をまとめた著作『働かないアリに意義がある』(2010年)が世に出ると、効率性を求めて無駄を省くことに血道を上げてきた日本社会に衝撃を与えた。出版後、組織のあり方に行き詰まりを感じていた経済関係者から長谷川さんへの講演依頼が相次いだという。
そんな時、長谷川さんが必ず説くのが、「効率ばかりを求める生物は滅びる」。進化論で知られるダーウィンの理論では、増殖率が高い生物が増えるというのが「自然選択」だが、それだけでは資源を使い尽くして、いずれ生物は滅びてしまう。生物は他の生物や資源との関係を壊さず、自らを滅ぼさないように進化してきた――。そう長谷川さんは考えている。
そして、その理論は人間の組織にも当てはまると指摘する。
「ブラック企業と呼ばれた組織は、今どこも落ち目になって労働者の待遇を改善する方向へ動いています。人間を働かすだけ働かせて使いつぶす組織で働きたいという人はいなくなる。効率を最優先に求めると、組織は長続きしないのです」
では、アリの研究が示唆する「長続きする組織」を作るには、どうすればいいのでしょう? 長谷川さんがヒントに挙げるのが、「評価システム」だ。
アリと違って、人間は「感情」や「モチベーション」が働く意欲をかきたてる。そして、どんな組織も能力の分散があり、そこそこの平均的な能力のあるグループが最も多く、能力が突出したり、劣ったりする人は少数派という構成になっている、と長谷川さんは説く。だからこそ、失敗した人への減点主義や極めて能力の高い一部の人を評価するシステムではなく、平均的な能力を持つ人を少しでも働きやすく仕向けることが、組織全体のために重要なのだ。
「例えば、社長賞はトップの人しかもらえない。そこそこの人は『どうせ俺はいつまでたってもダメだ』と諦めてしまう。いかにちゃんと働いた人を、ちゃんと評価するか。そんなまともなことができる中間管理職がいるかどうかが、組織の命運を握っていると言ってもいいのではないでしょうか」
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はせがわ・えいすけ 進化生物学者 1961年生まれ。北海道大学農学研究院准教授。著書に「働かないアリに意義がある」「面白くて眠れなくなる生物学」など。