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「公共」って何だろう?日米の違いを考える

ことばで見る政治の世界 更新日: 公開日:
ニューヨークのメトロポリタン美術館

およそ半世紀前の話である。アメリカ東部コネティカット州で、通学途中の小学生2人が姿を消した。姉のクローディアは11歳、弟のジミーは9歳。2人の行方は1週間たっても分からなかった。これは誘拐ではなく、家出だった。しかも、不思議な家出だった。家出を計画したクローディアには、独自の哲学があった。

「あたしの家出は、ただあるところから逃げだすのではなく、あるところへ逃げこむのにするわ。どこか大きな場所、気持ちのよい場所、屋内、その上できれば美しい場所」

そう決心した彼女が選んだのが、ニューヨークのメトロポリタン美術館だった。

 

アメリカ児童文学の名作「クローディアの秘密」(EL.カニグズバーグ作、松永ふみ子訳、岩波少年文庫)は、その姉と弟が繰り広げる冒険の物語(フィクション)である。

「クローディアの秘密」(岩波少年文庫)

葉を隠すには森が一番と言われるように、2人は美術館の雑踏の中に身を隠した。夜は展示されている16世紀のベッドで眠り、見つかりやすい開館と閉館の時間帯には、トイレに隠れて、守衛の目をごまかした。そういう日々の中、クローディアとジミーはメトロポリタン美術館が新たに入手した天使像に心をひかれた。富豪の美術収集家の助けを得て、それがミケランジェロの真作であることを突き止める。

謎解きのゴールは、家出の終わりでもあった。

 

子供時代にこの「クローディアの秘密」を読んで夢中になった。だから大学2年の夏休みにニューヨークを訪れたときは、まずメトロポリタン美術館に直行した。本に載っていた美術館の案内図を手がかりに、現場検証の気分で歩き回ったものだ。

メトロポリタンには、古代エジプトから、レンブラント、フェルメール、ゴッホといった近代の名画まで300万点の所蔵品がある。展示されているものを見るだけでも、何日かかかるか想像もできない。その質の高さとスケールの大きさに肝をつぶした。 

ニューヨークのメトロポリタン美術館の正面=三浦俊章撮影

だが、もっと驚いたのは、この世界有数の美術館が、国立でも、ニューヨーク市立でもなく、民間の美術館だということだった。篤志家からのコレクションの寄贈、寄付金などによって創設された基金の運用益、そして美術館を支える会員が納める会費などでまかなっている。ひろく一般市民に奉仕すると言う意味では、公共性の極めて高い美術館である。

 

特派員となってアメリカに赴任してからは、メトロポリタン美術館の会員となった。それ以来継続して今年で18年目になる。会員といっても一番下のクラスだが、それでも年会費80ドルを払うと、美術館の定期刊行物を(日本にも)送ってくれる。美術館の入場料は無料、ミュージアムショップでの買い物は10%のディスカウントとなる。年会費がもっと高い上のクラスの会員だと、カテゴリーが上がるに従い、博物館内の専用ラウンジが使えるなど特典が増える仕組みだ。 

「クローディアの秘密」の著者メッセージを掲載した子供向けパンフレット。著者カニグズバーグによれば、あるとき自分の子供たちとメトロポリタン美術館を見学中に、展示してあった椅子にポップコーンのかけらを見つけた。だれかが夜中に忍び込んだのだろうか、と想像したことが物語のヒントになったという

こうした会員の裾野の広さと層の厚さがメトロポリタン美術館を支えている。もちろん、慈善事業に熱心な富豪の存在、寄付金や会費のかなりの部分が税控除の対象になるなど、アメリカ特有の事情はある。だが、そもそも、考え方の違いが大きいのだ。アメリカでは共通の目的のため、人々が協力して、自主的に様々な機関や仕組みを創りだすことがよくある。もともと、アメリカという国家自体が、自立した個人が集まって形成された国である。

 

そういうアメリカで取材を重ねているうちに、「公共」という概念が,日米で大きく異なるのではないかと考えるようになった。日本の場合は、政府であれ、地方自治体であれ、公権力がからむものが「公共」と認識されている。「公共」とは「お上」なのである。

一方、アメリカでは、人々が寄り集まって協力する空間ができれば、そこが「公共」なのだ。ニューヨークには、「ニューヨーク公共図書館(New York Public Library)」というアメリカ有数の図書館があるが、市立でも州立でもない。5年前のデータだが、市、州、連邦政府からの支援は3割で、あとは民間企業や篤志家からの寄付でまかなっている。だから、ここでのpublicは、だれにでも開かれているという意味であって、日本で考える公立図書館ではない。しかし、多くの人に本や資料を提供し、起業家のスタートアップの支援もする。実際には優れた「公共」の役割を果たしている図書館だ。 

ニューヨーク公共図書館の図書閲覧室。1911年竣工の重厚な建物と机上のパソコンが共存する=平田篤央撮影

「お上」と「公共」をめぐる日米のこの違いは大きいと思う。最近の日本の中央官庁をめぐる様々な疑惑やスキャンダルを見ると、身内をかばい、組織防衛を図る「お上」は、とても「公共」とは思えない。いやいや、そういう役所は「公(おおやけ)」ではなく、単なるひとつの「私(わたくし)」に過ぎないのではないかとも言いたくなる。

結局、日本でも市民ひとりひとりが、取り組むべき問題ごとに自発的協力のネットワークをつくって、それが「公共」であるという意識を育てて行くべきだろう。道は長いかもしれないが、そうやって市民の側から「公共」を再構築するしかない。官僚批判だけでは、新しい「公共」は立ち現れてこないからだ。

 

最後に、冒頭に紹介した「クローディアの秘密」の話に戻ると、原作が出版されたのが1967年だった。半世紀の間に、メトロポリタンはアメリカ市民の「公共」意識に助けられて、コレクションを増やし、建物も大幅に拡張した。だから、私同様あの本にひかれてメトロポリタン美術館を訪れる人がいたら、今も本に載っている美術館の案内図は、もはや役に立たないと申し添えておこう。