カフカの世界観を追ってプラハへ 20歳、チェコで知った「世界で生きる自分」
1. 憧れの作家カフカの故郷チェコへ渡り、2週間のチェコ語サマースクールに挑戦
2. 到着直後にカードが吸い込まれるトラブルを乗り越え、全編チェコ語の授業に奮闘
3. 多様な背景を持つクラスメイトと、デモや世界の政治情勢について議論
4. 旧ユダヤ人墓地で過酷な歴史に触れ、カフカの作品の背景にある社会と向き合う大切さを知る
チェコ・プラハの位置=Googleマップより
中学生のころ、作家フランツ・カフカを好きになった。
ある日突然毒虫になってしまう『変身』、呼ばれたのに拒まれ続ける『城』、決して届かない重要な伝言『皇帝の使者』……。現実世界から閉ざされたような独特な世界観。読めば読むほど内面に深く入り込んでいくような感覚が好きだった。
次第にカフカ自身についてももっと知りたいと思うようになり、池内紀さんの著書『となりのカフカ』を手に取った。ところが付録のプラハ旅行案内に心は釘付け。「こんなにカフカに近づける場所があるんだ!」と感動して以来「いつか行ってみたい国」というと、まず浮かぶのはチェコだった。
そしてこの夏、ついにチェコを訪れる機会に恵まれた。夏休みを利用してサマースクールに参加しようと意気込んでいたとき、首都プラハにあるカレル大学付属の語学学校機関(通称ÚJOP)で期間的にも金銭的にも自分にピッタリなコースを見つけた。チェコについて、せっかくならば現地の言葉を勉強しながら知りたいと思い、この2週間のサマースクールへの参加を決めた。
人生初の海外一人旅で、ヨーロッパを訪れるのも初めて。チェコ語力は挨拶程度、英語力にも自信はない。ともあれ国を知るところからと情報収集をしてみるものの、今一つチェコという国のイメージがつかない。出発前は「無事に帰ってこられるか」を本気で心配していた。
出発当日、家族に見送られ緊張と興奮のなか空港へ向かった。いまのところ日本からチェコへの直行便は運行されていないため、韓国・仁川空港で飛行機を乗り換えチェコへ向かう。乗り換え時間も含めると27時間超えの長旅を経て、ようやくヴァーツラフ・ハヴェル国際空港に到着した。
到着直後、ヘトヘトになりながらも初めて見るチェコ語表記「VÝCHOD(出口)」に感動し、友人に大量のボイスメッセージを送った。明らかに浮かれていた。
無事入国審査を終え、空港のATMで現地通貨「チェココルナ」を引き出そうと、クレジットカードを差し込んだ。引き出し額を入力すると、なぜか画面が動かない。ボタンをあちこち押してみても、反応がない。やがて画面が切り替わり「out of order(故障)」の文字が目に入る。
……まずい。
カードが吸い込まれてしまったのだ。すぐに近くのカウンターへ助けを求めたが、ただでさえ苦手な英語が焦りでうまく出てこない。画面に表示されているチェコ語がわからず、スマホで翻訳しようとしても、到着直後でWIFIが安定しない。ATM会社に電話をするも、日曜日のため応答なし。吸いこまれたカードの回収は諦めるしかなかった。
でも、念のためと用意していた予備のカードに入っているのは5万円のみ。日本時間は深夜2時。お金の不安、知り合いのいない不安、言葉の通じない不安で頭がいっぱいになり、早々と泣きそうになった。空港を出て寮に向かう道中、あれほど心待ちにしていたチェコの景色も、何ひとつ目に入らなかった。
宿泊場所は、語学学校提携の寮。到着当初はうまくいかないことばかりだった。シャワーの出し方がわからず、直感で操作した結果バスルームを浸水させたり、どうしても部屋の鍵を閉められず、数十分間格闘したのち途方に暮れたり (最終的に寮の受付の方に助けを求め、愛のあるお叱り「Ne(違う)!」を受けながらつきっきりで鍵閉めのご指導をいただいた。そのあたたかさに泣きそうになるほどだった。ちなみに開ける方は得意だった) 。 エアコンが付いていない寮の部屋は寝苦しく、毎日冷やした1.5Lの水のペットボトルを抱えて眠った。
到着翌日からサマースクールが始まった。事前のオンラインテストと「Zoom」によるスピーキングテストで、レベルごとにクラスが細かく分けられる。私は1か月間、書籍やネットでチェコ語を勉強したものの、やはりというべきかレベルは一番下のクラスだった。
クラスメイトの年齢層は大学生から定年を迎えた人まで幅広く、サマースクール参加の理由も、国籍も様々。「チェコ人の彼氏とチェコ語で話せるようになりたい!」という台湾の小学校教員から、「なんとなくヨーロッパのサマースクールに参加してみたかった」という同い年のトルコの女の子、「チェコに避難することを考えている」という同年代のウクライナの青年もいた。
クラスは9人と少人数で、先生もクラスメイトも優しく、とてもあたたかい雰囲気の中で忘れ難い経験ができた。
授業に関して、ひとつ驚いたことがある。「Dobrý den(こんにちは)」の音読から学習を始めるクラスにも関わらず、授業が基本的にはすべてチェコ語で行われたのだ。英語でチェコ語を学ぶことを想定していた私は、初日にかなり面食らった。
チェコ語は格変化が多く、名詞の性も複数あるため難しいと感じるが、授業はとても丁寧で分かりやすかった。先生はジェスチャーやイラストを交えながら何度も繰り返し説明してくれるし、分からないところをためらわずに質問しやすい空気感もあった。またペアワークがとても多く、クイズやゲームを通してクラスメイトと交流しながら楽しく単語や文法を学ぶことができた。
肝心のチェコ語力はどのくらい身に着いたかというと、お店で注文ができる程度にはいちおう成長したはず!
今回のサマースクールではチェコ文化を知るプログラムや参加者との交流の機会が充実していた。授業時間は9時から13時半までだが、週に3日は放課後のアクティビティが用意されている。初日のウェルカムパーティーをはじめとして、チェコ映画の鑑賞会や国立博物館への遠足など、中身の濃いプログラムばかりだった。加えて授業がある日の昼休みには、食堂でチェコの伝統料理を味わうことができる。クラスメイトと食事をしながらお互いの国について話し合ったり、プラハで撮ったお気に入りの写真を見せ合ったりと、和やかで楽しいひと時だった。
休日には特に仲良くなったトルコの子と博物館巡りをしたり、チェコビールを飲みに行ったり……。将来やりたいことを漠然としか考えていない自分に比べ、外交官を志して邁進している同い年の彼女。共産主義博物館に足を運んだ際、1989年に起きたチェコスロバキアの民主化運動「ビロード革命」の映像が流れる展示室で、お互いの国のデモについて話し合った。日本ではデモに関してはどちらかというとネガティブな印象を抱く大学生が多いが、彼女も彼女の友達も、トルコでは大学生が日常的にデモに参加するとのことだった。
特に印象深かったのは、プログラムの最終日、クラスメイトみんなで食事に行った時のことだ。お酒が進み、政治の話題が持ち上がった。実はクラスの9人中、私を含め5人がアジア圏出身だった。ヨーロッパ圏出身のクラスメイトから「最近の対中外交について日本人はどう思っているの?」「中国から見て台湾は?」などの質問が次々と飛んできた。その場にいたアジア圏出身者の間に流れる緊張感は、これまでに経験したことのないものだった。
そもそもこの問題って何がきっかけ?
どういう時系列だっけ?
この表現は強すぎる? でもなんて言いかえれば?
私の目の前には香港、台湾、中国の出身者が座っている。これまで感じたことのない独特の緊張感。言語能力不足だけでなく、アジアに対する理解不足をチェコの地で痛感した。話題に対して私が充分な知識と主張を持っていることを前提に、日本についても私がどう思っているかについても、欧州出身のクラスメイトは真剣に知りたがっていた。これまでの社会や世界との向き合い方を問われた時間であり、自身が世界の中で生きるひとりだと自覚した時間になった。たった2週間のプログラムだったが多くの気づきを与えてくれた。最終日には全員と涙ながらに別れを告げた。
最後に、今回の経験を通して、学んだことがたくさんある。
クレジットカードは必ず2枚持っていくこと、飛行機にさえ乗ってしまえば意外とすんなりひとりで海外に行けること、非英語ネイティブ同士で通じ合う難しさと面白さ。
そしてもちろんカフカについて。
滞在中、彼の直筆を目にし、彼の通ったカフェに足を運んだ。ゆかりの場所を巡る中で、ユダヤ人街にある旧ユダヤ人墓地に足を踏み入れた時のことは忘れがたい。この墓地は15世紀に設立され、18世紀まで使用されていた。宗教的な慣習から墓を移動できない理由もあるが、ユダヤ人差別で使える土地が限られているせいで、同じ場所に遺体が何層も重ねて埋葬されている。カフカは別の場所にある新ユダヤ人墓地に眠るが、散歩好きな彼はここを歩いていたかもしれない。
彼はこの場所で、何を思ったのだろうか。自らの出自を、どのように受け止めていたのだろうか。これまで彼の作品をあくまでも内的に閉ざされた小説として読み込み、満足してきた私は、この場所を歩いたカフカの姿を思い描いてこなかった。彼の作品を育んだ土壌や歴史、社会の文脈から目を逸らし続けてきた事実が突き付けられた瞬間だった。
プラハで過ごした2週間は、これまでの読解への姿勢はもちろん、世界の中のひとりとして自覚的になる時間でもあり、ものの見方や捉え方そのものを問い直す契機になった。