私は「音」が好きです。英国インペリアル・カレッジ・ロンドンでサイエンスコミュニケーションの修士をしていた頃、書くことと同様に、音にも夢中になっていて、マイクを片手に学者たちを追いかけていました。彼らへのインタビューをポッドキャストにするためです。また、彼らの話を聞くのも好きでした。そして音への愛情はそこで絶えることはなく、日本に来る前にはしばらくブラジルの熱帯雨林に滞在し、現地の美しい音を録音したりしていました。
ですから、沖縄科学技術大学院大学(OIST)でサイエンス・コミュニケーション・フェローとして働くことになり、OISTの生物多様性・複雑性研究ユニットのニック・フリードマン博士に出会った時の喜びは大きいものでした。なぜなら、彼は音を使って研究をしているからです。
その昔、生物学者たちは、生物の多様性を調査するためにランドスケープ(土地の風景)に焦点を当てていました。でも今、学者たちは新しい技術を駆使して「サウンドスケープ」(音の風景)を調査しているのです。そこから、ある環境における音のパターンやそれが様々な生物に及ぼす影響などを知ることに役立てています。その取り組みについてニックに話を聞くことができました。
ニックは私を、彼が実際にフィールドワークで通っている沖縄の緑深いやんばるの森の中に連れて行ってくれました。この島の素晴らしい緑を眺めながら一休みしたとき、ニックは、その場で聞いた音についてこう言いました。
「聞こえた?あれが、春の訪れを告げる、ウグイスの声だよ」
「ウグイスは「ホー ホケキョー」と鳴く。日蓮宗の経典の名前だね」
ニックはアメリカ出身の鳥類学者。OISTに着任前はチェコのパラツキー大学で鳥類の進化について研究をしてきました。2015年9月にOISTにやってきたニックは、同じ研究室のアリ類専門の研究者が、沖縄本島24箇所に置かれたサイトにおいて通年で昆虫を捕獲してその分布や数を記録することで島の環境をモニタリングするという沖縄環境観測ネットワーク「OKEON美ら森プロジェクト」を行っていることを知りました。このプロジェクトに鳥類学者として協力できることは何か。そう考えたニックは、調査サイトで鳥類をはじめとした動物の声や周囲の環境音を録音し、その録音データを解析することで環境モニタリングの一助とすることにしました。これが、ニックの琉球サウンドスケーププロジェクトです。
琉球サウンドスケーププロジェクトのデータ収集に付き添ってやって来た森の中で、私たちの耳は、この地で聞こえる様々な音、まさにサウンドスケープ、に集中しました。鳥、昆虫、そして風。そうしたものが、人位的な音、例えば近くを通る車の音を背景に一緒にハミングします。ニックは、沖縄の生物多様性に対する人間の影響を理解するためにこうした音を「捕獲する」しているのです。
OKEON美ら森プロジェクトでは、沖縄本島の24箇所の調査サイトにマイクを設置して、付近の音を録音しています。緑色にカモフラージュされたこれらのマイクは、バッテリーパックと共に木の幹に設置され、途中で電源が切れないようになっています。録音した音声データを保存する巨大なメモリカードが内蔵され、隔週毎にOKEON美ら森プロジェクトのメンバーがそれを回収してデータを収集しています。
「その高音のドローンみたいな音はニイニイゼミだよ。メジロとヒヨドリの声も聞こえるね。ああ、それはヤモリだ」
ニックの耳は私の耳よりはるかに森と一体になっています。この能力は、彼の仕事に役立っていますが、録音したそのままのサウンドデータすべてを理解することまではできません。なぜならチームは、毎週約1テラバイト(1024ギガバイト)の音声データを収集しています。県内すべての箇所で録音したデータをまとめると、現在は数十年分の音声データを持っている計算になります。それをすべて自分ひとりで聞き分けることは不可能です。これは、24時間体制で音声を聞き続ける専門インターンのチームが10年ほどかけてやっと処理できるようなデータ量となります。では、録音された音声中のノイズの中の信号を理解するにはどうしたらいいでしょうか?
答えは機械学習。いわゆるAIを使うことによって音を効率的に理解することができます。ここで、OISTスーパーコンピューターの出番です。録音データはコンピューターによって、さまざまな音高に分別されます。コンピューターは、最初は何が鳴いているのかを理解しながら分別するわけではなく、単に、異なる音同士を分離するだけです。それら分別された音がどんな動物の声なのかをコンピューターに学ばせるためには、より多くの情報が必要となります。
OKEON美ら森プロジェクトチームは、コンピューターによって分離された音を、地元の鳥類愛好家たちに聞いてもらい、その音がどの鳥の声なのかを確認してもらうことにしました。それぞれの音のパターン(冒頭の写真を見てください。ある種のパターンが見えると思います)と、声が判明した鳥の名前をタグ付けし、コンピューターの機械学習アルゴリズムを訓練してあげると、将来、音のデータはコンピューターによって自動的に分類されます。つまり、何十年もかけて人間が音を聞き分ける必要がなくなり、わずか数時間でデータを理解できるのです。
OKEON美ら森プロジェクトは、フィールドに出て調査すること、コンピューター技術を駆使すること、地域社会と協働すること、そして地球と人間との関係に光を当てるような疑問を提示することといった、科学があるべき姿をすべて持っているようなプロジェクトと言えるでしょう。さらに、機械学習を使ったニックのアプローチは、ここ沖縄から、地球上のいたるところにいる研究者も使えるようなシステムになっていくと考えています。それぞれの場所のサウンドスケープは違いますが、ニックのアプローチを使うことで各地で環境への影響を調査研究することに役立つ可能性があります。
「サウンドスケープは、単に森の中で起こっていることを教えてくれるだけでなく、我々人間の活動の影響がどのように自然に流出しているのかまで教えてくれるんだ」
例えば、ニックは人間が作り出す音が鳥の歌声に少なからず影響を及ぼすと考えています。低くて唸るような人工音が、鳥同士のコミュニケーションの邪魔となってしまうことは想像に難くありません。だって、うるさい部屋の中では、近くの人との会話もままならないでしょう。それが絶えず続けば、鳥の進化の過程で鳥の音色がそういった音に邪魔されないような音高に変わっていく可能性もあります。将来的には、鳥の声は今現在私たちが耳にするような声ではなくなってしまうかもしれません。
そして自然に影響を与えるだけでなく、音による影響は人間同士の間でも起こり得ます。そのような例として、騒音公害が挙げられるでしょう。最近の研究では、いくつかの健康状態と音の因果関係が明らかにされています。さらにそうした騒音公害は、東京やロンドンのような大都市で頻発し、さらに、飛行経路の下や高速道路の側など騒音公害の影響を強く受ける場所に住んでいる社会の最も脆弱な立場にある人々に降りかかることが多いでしょう。
そうした影響をどれほど完全に理解できるのか。ニックとOKEON美ら森プロジェクトの課題です。でも、一旦その方法を見出すことができたら、そうした影響を最小限に抑えることができるかもしれません。今後の研究にご期待ください。ただ、少なくとも一つの重要な疑問に対する答えは見つかっています。日本の読者の皆さんにはあまり親しみがないかもしれませんが、英語の有名な哲学的疑問に対する答えです。
「誰もいない森の中で倒れた木は、音を立てるのか?(If a tree falls in a forest and no one is around to hear it, does it make a sound?)」—解釈すると、音というのは抽象的なもので、聞くものがいなければそれは音として存在しないのではないか、といった意味になるでしょう—
そう、ニックとOKEONチームのおかげで、今らなら私たちはその答えを知っています。「誰もいない森の中で倒れた木は、本当に音を立てるのです」
琉球サウンドスケープの音源をこちらからお聴きいただけます。: SoundCloud.
(クリストファー・カイル OISTメディアセクション)