迷ったときは好奇心に従う…ノーベル賞受賞者たちの教え
昨年ノーベル生理学・医学賞を受賞した沖縄科学技術大学院大学(OIST)のスバンテ・ペーボ教授が、受賞発表の翌日に開かれた記者会見で、沖縄の記者からこう聞かれました。「沖縄の若者にメッセージをお願いします」
それに答えたペーボ教授の言葉が印象的でした。
「人生で何をすべきか分からない時、迷っている時は、興味があることをしてください。そういうときこそ、うまくいくことが多いからです。もし運がよければ、それが職業になり、その世界で大きな貢献ができるでしょう。自分の興味に従って、挑戦することを恐れずに進んでください」
興味があることをする、すなわち、好奇心に従うこと、について、何度も繰り返したのが、おととしのノーベル物理学賞受賞者である真鍋淑郎さんでした。
米プリンストン大学で会見を開いた真鍋さんは、「最もおもしろいのは、好奇心に基づいた研究だ」「好奇心が原動力になった」などと「好奇心」という言葉を何度も使ったと報道されていました。そして、日本の研究環境について、「好奇心に基づいた研究が減っているのではないか」と苦言を呈したと言います。
研究費の獲得競争の現実 終わりなき助成金申請ループ
この言葉の背景には、現在科学研究の世界で起こっている現実があります。
研究を行うためには規模の大小はあれ、お金が必要です。お金は、その研究に必要な機器や物資の購入だけでなく、研究を手伝ってくれる人材への給与や、研究をより深めるために参加する学会への参加登録料や旅費、論文を書いて科学誌に掲載するためにも必要となってきます。
大学の教員ともなると、自分の研究室を維持するために研究費を持続的に獲得する必要があります。所属している大学や研究機関からの割り当てだけでは、多くの場合、研究を進めていくのに予算が足りないからです。
日本では、競争的研究費制度が整っており、内閣府や文部科学省、経済産業省などが所管する資金配分機関である科学技術振興機構や新エネルギー・産業技術総合開発機構などが、例えば、「次世代がん医療加速化研究事業」や「水素エネルギー製造・貯蔵・利用等に関する先進的技 術開発事業」など様々なプログラムの枠内で研究を助成する仕組みとなっています。よって、研究者は、それぞれが進めたい研究の計画を立ててこうした助成金プログラムに申請し、資金を獲得していきます。
助成金プログラムは、資金の規模が大きければ大きいほど競争の激しいものとなっており、申請しても採択されるかはわかりません。さらに、プログラムの目標に沿う形で研究の目的を決め、申請通りの計画で研究を進め、目指す目的をプログラムの指定する期間内(多くは数年程度)に達成する必要があることは、読者のみなさんの想像に難くないと思います。
さらに、研究者は、このような助成金を自転車操業的にやり繰りする、終わりなき助成金申請のループにはまっていくことになり、研究に費やす時間よりも、助成金申請書類を作成する時間の方が長くなっていくといいます。
機械工学から理論、地質学 好奇心と偶然に導かれキャリア積む
OISTは、日本で真に革新的で卓越した研究機関を作ろうとゼロから新しく創設された研究教育機関です。そのため、創造的なアイデアを持った優れた研究者に、前述したような助成金申請「地獄」に陥ることなく、革新的な研究を進めてもらえる環境を整えています。
ピナキ・チャクラボルティ教授(43歳)は、好奇心に導かれた研究者とはどんな人物なのかを紹介するのに、最適な人物でしょう。
チャクラボルティ教授は、OISTの設立した年と同じ、2011年にOISTに着任しました。
「流体力学ユニット」という研究室を率いて、理論、実験、シミュレーションを用いて……ありとあらゆる物質の「流れ」を研究しています。これまで、パイプラインの中で起こる石油やガスの流れから、月のクレーターの周りにできた放射線状の痕跡がどのようにできたかの解明、小惑星「イトカワ」の不思議な地表の謎、そして気候変動と台風の関係まで、様々な好奇心に基づいた研究を行ってきました。
勉強には全く興味がなく、遊んでばかりいた少年時代のチャクラボルティ教授は、高校生になって、老齢の物理学者と知り合いました。この物理学者との出会いが、チャクラボルティ教授の人生を大きく変えるものとなりました。
学校の勉強には興味が持てなくとも、その学者が語ってくれる古典物理学の話で、「物事を理解する」ことが好きだということに気づきました。以来、この学者をメンターとして慕い、学校が終わると彼の家に通うようになりました。そこで彼が教えてくれたのが力学。チャクラボルティ青年は、力学の魅力にはまっていくことになります。
インドの大学では、なんとか力学を学ぶことのできそうだと思った機械工学を専攻しましたが、物事を理解することが好きな彼は、応用を目指す工学そのものには興味が持てず、ただ物事の理解への探求をさらに深めたいという思いで、アメリカの大学院に進むことを決め、理論・応用力学が学べることをたまたま発見したのがきっかけで、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で修士号と博士号を取得することになります。
理論・応用力学を研究していたチャクラボルティ青年でしたが、同じ大学の地質学の教授から、火山の噴煙の形についての疑問を投げかけられたことで、地質学者と共同で研究を進めていくことになり、大学院卒業後のポスドクでは同大学の地質学部に移ります。
移動先の研究室の教授は、米国内で非常に高名な地質学者スーザン・キーファー教授。キーファー教授は「天才助成金」との異名のある非常に権威のある奨学金を受賞したマッカーサー・フェローで、研究費が豊富にあったこともあり、チャクラボルティ青年はポスドクとして、自分の好奇心に基づいた研究を自分の思うようにするという自由な身分を享受するという幸運に恵まれました。
その後もチャクラボルティ青年の運の強さは止まりません。
火山の噴煙について科学誌Natureに発表した論文が、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校地質学部出身で、家業のビジネスで大金持ちとなったRoscoe G. Jackson II博士の目にたまたま留まったことがきっかけで、この人物の寄付によってイリノイ大学に設けられたプログラムによってサポートを受け、誰からも指示されることなく、好奇心による研究を自由に進めることを続けられるようになりました。
歴史ある有名大学か新しい大学か リスクあってもOISTで挑戦
自由に研究ができる恵まれた環境にあったチャクラボルティ博士でしたが、研究者としてキャリアを進めていくために、教授になりたいという希望もありました。
そこで様々な大学に応募をし、いくつものオファーを受けましたが、自分が置かれている環境に比べて、それらの大学の環境に魅力を感じられず、迷っていました。そんなある日、知り合いから、「君にぴったりなんじゃないか」とメールが転送されてきました。
それは、OISTの当時の学長がOISTで働く研究者を募集していると知らせたメールでした。もともと日本には好印象を抱いていたチャクラボルティ博士。しかし、日本で本当に自由な研究ができるのか半信半疑だったと言います。しかし好奇心から面接を受けることに。
ここでもまた運命のいたずらがチャクラボルティ教授に訪れます。
いざ面接を受けるために向かった空港では、吹雪のために飛行機がキャンセル。一旦は面接自体を諦めかけたにもかかわらず、吹雪は3日後にピタッとやみ、フライトの振り替えや面接の再調整もスムーズに運んだことで、数日後には機上の人へ。白銀のトウモロコシ畑に囲まれたまっ平らなイリノイの大学町を後にして降り立った沖縄は、花が咲き蒼い海に囲まれた楽園のような美しさで、チャクラボルティ教授はすっかりこの地のとりこになってしまいました。
また、不安に思っていた研究環境については、面接で、当時のOIST学長であり高エネルギー物理学分野で著名な研究者であったジョナサン・ドーファン博士が説明してくれた、OISTの理念と方向性に共感し、その将来も信じることができました。
見事OISTからオファーを受けたチャクラボルティ教授でしたが、実は同時に、以前面接していた有名大学からもオファーが届きました。
歴史があり誰もが憧れる評判の高い大学だったので、どちらのオファーを受けるか迷いました。周りの人は皆、その有名大学を勧めました。規模が大きく、多くの優れた研究者と交流しながら研究できる環境がそこにあるからです。
ただ、チャクラボルティ教授の考えは逆でした。彼にとっては、沖縄の地理的に孤立している状況が理想的だと考えたのです。
なぜならそのことで、周りの意見に流されることなく、本当に自分自身のアイデアを突き詰めることができるからです。著名な研究者から「そんなことをするのは時間の無駄だよ」と言われて、自分の興味関心の芽を潰す可能性を極力排除できるのではないかと。
チャクラボルティ教授はこう言います「誰にも見向きもされない研究には(うまくいかない)リスクがあるかもしれない。でもそんなリスクが好きで、挑戦してみたい人には、OISTは完璧な場所だよ。みんなにとって良い場所とは言えないかもしれないけれどね」
「上陸後の台風」に注目 門外漢だからこその新視点と研究成果
冒頭の真鍋淑郎博士のノーベル賞受賞の理由となった研究は、大気中の二酸化炭素が増えると、地表の温度が上がるという地球温暖化への影響。今では当たり前とされている概念です。彼自身が、「研究を始めたころは、こんな大きな結果を生むとは想像していなかった。好奇心が原動力になった。後に大きな影響を与える大発見は、研究を始めた時にはその貢献の重要さに誰も気付かないものだと思う」と語っています。(引用:真鍋淑郎氏、日本の研究弱体化を指摘「好奇心に駆られたもの少なく…」【会見全文】)
チャクラボルティ教授が、学生(当時)のリー・リンさんと、台風について取り組んだのも、リーさんの台風に関する好奇心からでした。二人とも台風や気象学については全くの門外漢。ただ、「そこには絶対に何か面白い力が働いているに違いない」と感じていました。この分野の多くの研究者は、海上での台風に興味を持っていますが、彼らが目を付けたのは、上陸した後の台風でした。
自分の専門とはまったく違うからこそ、新しい視点で問題点を見ることができたと言います。
台風は、海上を渡って海の表面から水分をたっぷり含みますが、台風にとって水分はまるでエンジンにとっての燃料と同様になり、風の強さを増します。ただ上陸してしまうと、もう海からの水分が供給されないためそれ以上発達できず、また陸上の複雑な地形に当たっていくことで勢力が落ちていきます。
しかし、この研究で示したのは、地球温暖化によって海水温が上昇すると、台風はより多くの水分を蓄えるようになり、台風が内陸に向かうにつれて、より長い時間、台風の強度を高めることになるということです。
彼らは過去50年分の米国に上陸したハリケーンのデータを分析し、海面水温と台風の内陸侵入の度合いに相関があることを突き詰めました。この研究成果は科学誌Natureに掲載され、世界中のメディアで大きく取り上げられました。今後は、この研究が台風の強度の予測や防災につながるかもしれませんし、さらには私たちが想像もできないところで使われるようになるのかもしれません。
(本研究についてはこちらからお読みいただけます:気候変動とハリケーンによる内陸部への被害増加の関係)
最後に、チャクラボルティ教授はこう述べています。「自分の能力は平凡ですが、才能ある人たちと一緒に仕事ができ、好奇心からの研究を育む環境に身を置くことができたのは、非常に幸運でした。私がこれまでやってきたことがどんな小さなことであっても、それはこの強力な組み合わせのおかげです」
執筆:大久保知美、OIST広報部メディア連携セクションマネジャー