バッド・バニーの歌から現地のリアルへ ラテンアメリカ社会を追う学生ジャーナリスト
1. ラテン音楽の歌詞をきっかけに、現地で貧困や都市開発などの社会問題を精力的に取材
2. 音楽は社会を直接変えられなくても、過酷な現実にあらがう人々に力を与えられる
3. 安易な決めつけを避け、「複雑な現実を複雑なまま」届けて対話を促すことを目指す
4. ひとつの肩書に縛られず、映像や写真など多角的なアプローチで発信を続けている
――ラテンアメリカに興味を持ったきっかけを教えてください。
一番は音楽ですね。親がミュージシャンだったこともあって、音楽とはずっと切っても切れない関係でした。中学3年生くらいの時にラテンアメリカの新しいヒップホップやレゲトンに出合いました。最初はスペイン語も分からず、ただリズムがいいなと思って聴いていました。でも、もっと理解したいと思って、スペイン語を学べる高校に進みました。
――スペイン語を学んだことで、何が変わりましたか。
言葉が少しずつ分かるようになると、歌詞の中に社会や政治に関わるテーマがあることに気づきました。特に大きな影響を受けたのは、米国領プエルトリコ出身のラテン歌手でラッパーのバッド・バニーです。
「なぜこんなことを歌うんだろう」「これはどういうことなんだろう」と思うようになって、観光地化や住宅価格の高騰で元々の住民が郊外に追い出される「ジェントリフィケーション」、植民地主義、ジェンダーをめぐる問題など、音楽の背景にある社会そのものに関心が広がりました。そこから、「音楽は社会に何ができるのか」という問いも生まれました。
――コロンビアでは、どのようなテーマを取材したのでしょうか。
大学のノンフィクション映像の授業で、コロンビア北西部の都市メデジンのジェントリフィケーションとヒップホップをテーマにドキュメンタリーを制作しました。
メデジンは、かつて治安が悪く危険な街というイメージを持たれていましたが、国際化や観光都市化が進んできました。街が良くなった部分がある一方で、家賃が上がり、もともと住んでいた人が暮らせなくなるといった問題も起きています。
取材では、家賃の高騰などに苦しむ若者や、ヒップホップとジェントリフィケーションの関係を研究する学生・研究者など、異なる立場の人に話を聞きました。
――なぜ社会の問題を見る入り口として、ヒップホップやラップに着目しているのでしょうか。
コロンビアで取材した、ヒップホップやアンダーグラウンドカルチャーを研究する大学教授の話に、すごく共感したからです。
社会にはいろいろな文化があっていい。人々が見たくない街の一角や、疎外された人、搾取された人、不都合な現実を語る文化も必要だ、と。 ヒップホップは、楽しいだけの音楽ではありません。都合の悪い現実に対してどうするのか、街の一番暗い部分から出てくる声でもあると思っています。
「下品だ」「幼稚だ」「危険だ」と否定されることもありますが、そうした評価の背景には、階級や移民、人種、セクシュアリティーなどの問題が結びついていることもある。だから、「これも文化なんだ」と主張すること自体に力があると思っています。
――プエルトリコでは、どのようなことを取材したのでしょうか。
本質的なテーマはコロンビアのときと同じく「社会と音楽」で、バッド・バニーを切り口に取材しました。
なぜ彼がこれほど支持されているのか。バッド・バニーの影響力は、今やスペイン語圏を中心に世界中へ広がっています。バッド・バニーの作品は、移民の排斥や迫害に抵抗する声であり、「自分たちの文化も、土地も、言葉も、素晴らしくて価値がある」と証明してみせた。それが、大きなインパクトの理由だと思います。
ただ、その支持を本当に理解するには、彼の音楽の根にあるプエルトリコで何が起きているのかを見なければいけない。ジェントリフィケーション、災害、植民地主義。プエルトリコに根ざした語りではあっても、そこで歌われる問題は、どれも普遍的なテーマを持っています。
プエルトリコでは、停電や断水が頻発しています。僕が訪れた6月も、水は時間帯によってちょろちょろとしか出ず、皿すら洗えないこともありました。停電も、誰に聞いても「この前あった」「昨日はだめだった」と言う。慢性的な水不足は報道もされていて、それが日常です。そして観光開発が進む一方で、もともと暮らしていた人たちが生活の場を失いつつあります。
――加藤さん自身がずっと考えてきた「音楽は社会に何ができるのか」という問いに、今はどう答えますか。
音楽は、人々にいろいろな影響をあたえるエネルギーがあると思っています。鼓舞してくれることもあれば、何かを気づかせてくれることもある。議論のきっかけにもなります。
ただ、音楽だけで社会が変わるわけではありません。ミュージシャンができること、音楽ができること、そして、それを受け取った僕たち自身がやらなければいけないことがある。その区別は大切にしたいです。
プエルトリコの位置=Googleマップより
――映像、写真、ポッドキャストなど、さまざまな媒体で表現しているのはなぜですか。
身もふたもない言い方をすると、成り行きの部分もあります。
もともと静止画を撮っていて、今は映像ジャーナリズムに取り組んでいます。映像のインパクトはかなり強い。現地の人が言っていることを、なるべくそのまま映し取りたいんです。言い淀み、目線、後ろの騒音、街の風景、そのすべてが市民の声にリンクしている。発言の内容だけを伝えるのと、話している姿そのものを見せるのとでは、伝わるものが違います。
ポッドキャストは、もう少しゆったり聞いてもらう場です。数字が一気に伸びるものではなくても、深くはまってくれる人がひとりでもふたりでも増えればいい。
ショート動画も必要ですが、短くするほど何かを削ることになる。「AかBか」「良いか悪いか」という単純なナラティブに近づく危険もあると思っています。アテンションを引くだけではないメディアも、もっと必要だと思います。
――制作を続ける中で、問題意識に変化はありましたか。
最近は「複雑なものを複雑なまま」ということを考えています。ラテンアメリカだけでなく、日本やアメリカでも、SNSやポピュリズムによって分断が広がっています。本来はいろいろな立場や背景の絡み合った問題が、「自分たちは正しくて、そちらはダメだ」といった対立に単純化されてしまう。そういう構図に加担してはいけないと思っています。
もちろん、ただ「話そう」と言えば全て解決するわけではありません。でも、いろいろな意見がある中で細かく分裂し、争い続けているだけでは解決しない。だからこそ、対話をしなければいけない。そこに音楽がどう役に立てるのか、自分のクリエーションがどう役に立てるのかを考えています。
――ジャーナリスト、フォトグラファー、クリエーターという複数の肩書は、自分の中で分かれていますか。
表現したいものによって違います。一つの世界に深く入り込むと、見えなくなるものもあると思っています。だからこそ、アカデミズム、ジャーナリズム、アートのそれぞれに軸を置いて、異なる視点を行き来したいのです。
一つに決めたくない、と思うようになったのは、就職活動がきっかけでした。「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」や「1年生からインターンを」という言葉を聞くたびに、引っかかるものがあって。働くためや肩書をもらうためだけに生きているわけでもないのに、「何をやりたいのか」「何者かになれ」という圧力を受けて、みんなが就活を同じようにやらなきゃいけないみたいにされている。
そもそも人はいろいろな面を持っていて、複雑なはずです。それを一つの肩書に絞ってしまうことへの違和感を僕はずっと拭えなくて。複雑なものを複雑なまま受け止めたい。そう思っているのに、自分のことだけ単純化してしまうのは、どこか違う気がします。だから、「私はこれです」と一つに決めることからは、距離を置いていたいと思っています。
2011年に起きた東日本大震災で被災地の福島から東京に移り住むことを余儀なくされました。幼なじみとか、ふるさととか、自分には帰る場所があるという感覚が壊されてしまいました。だから、どこにも属しきれない感覚がずっとあります。
でも、その感覚は取材の時にも役立つと思っています。プエルトリコについても、自分はあくまで他人です。支援はできるけれど、自分まで一緒になって活動家になるのは少し違う。同じ部分もあれば、違う部分もある。その距離があるからこそ、見えるものもあると思っています。
――卒業後は大学院に進学する予定だそうですね。何を研究する予定ですか。
プエルトリコについて、植民地主義による支配の仕組みと、それに対して人々がどう抵抗しているかを研究したいです。プエルトリコは19世紀にスペインの植民地から米国領になりましたが、植民地支配は巧妙な形で今も続いていると感じます。その意味でも、プエルトリコは現代の米国による世界的な「支配」を考えるうえで重要な場所ですが、あまり知られていません。
日本には、沖縄やハワイをめぐる研究がたくさんあります。どちらも、もともとは独立した島や王国だったのに、大きな国に組み込まれ、基地や観光政策に翻弄されてきました。プエルトリコも、似た枠組みで語れるはずの島です。でも日本では、専門の研究者がまだ驚くほど少ないのです。だからこそ自分がやるしかないと思っています。
ただ、研究だけに閉じこもる研究者にはなりたくありません。研究も、創作も、仕事もしたい。研究者、ジャーナリスト、フォトグラファー、クリエーターと肩書は増えていくかもしれませんが、最終的には肩書ではなく、「この人」と言われるような存在になれたらと思っています。
――社会課題や国際問題に関心を持ちながらも、何から始めればいいか分からない人に伝えたいことはありますか。
何をやったらいいか分からない気持ちは、本当によく分かります。今は情報があふれているし、何をやっても否定されることがある。デモに行けば「じゃあ現地に行ってやれ」、寄付をすれば「意味がない」と言われる。考える人ほど、自分の無力さにさいなまれると思います。
そんな時、僕はプエルトリコの音楽から力をもらいます。彼らの音楽やダンスは、抵抗の文化と深く結びついたものだからです。たとえば、サルサの楽曲「El Día De Mi Suerte(私の運命の日)」は、苦しい生活の中でもいつか運命が変わる日を信じて待つと歌います。悲しい曲だけど、そこにはレジリエンス(回復する力)があります。今どれだけひどい状況でも、いつか変わる日は来る。災害にも支配にもくじけない、その実践的なやり方から、根っこにある哲学や文化まで、日本に生きる僕たちが学べることが、たくさん詰まっています。
ラテンアメリカの人は明るいと言われますが、全員が幸せだから明るいわけではありません。悲しみにのまれたら生きていけないから、前を向いて、歌って、踊る。苦しくても生き延びること。それ自体が抵抗なのです。
悲観する日があってもいい。でも、絶望してはいけない。運命が変わる日を待ちながら、しぶとく目の前のことをやる。自分も、ラテンアメリカの人々からその姿勢を学んでいます。