世界で急増する「環境法廷」 気候正義や自然の権利を訴え 闘いを支える科学の力
「汚染した者がつぐないを」
フィリピン人のトリクシー・エルさん(35)はそう目に涙をためた。昨年11月、ブラジル北部ベレンで開かれた国連気候変動会議(COP30)の会場で、気候変動による不公平をただす「気候正義」を訴えるために世界中からやってきたグループの一人だ。
2021年12月、フィリピンをスーパー台風が襲い、400人以上が亡くなった。エルさんの家族は手をつなぎながら泳いで無事だったが、高潮で家は流された。
エルさんら103人の被災者は、温暖化で台風が激甚化したとして昨年12月、英石油大手シェルに損害賠償を求める訴訟を英国で起こした。
支援する環境NGOグリーンピースは「石油・ガス大手が利益を得る一方で、気候危機の原因ではない人々が重い代償を払わされる状況をこれ以上許さないということだ」とした。
気候変動にかかわる訴訟は、パリ協定が採択された2015年、さらにスウェーデン人のグレタ・トゥンベリさんが先導する若者デモが広がった2019年以降に数が伸びている。2025年6月までに世界で3000件を超えた。
気候訴訟が世の中によく知られるきっかけになったのが、2013年に始まったオランダの「アージェンダ訴訟」だ。NGOが市民とともに、温室効果ガスの削減目標の引き上げを求めた。ハーグ地裁は2015年、気候変動を「現実かつ切迫した人権侵害だ」とし、政府に目標を引き上げるよう命じた。
環境に配慮した取り組みをしているように見せかける企業を訴える「グリーンウォッシュ訴訟」も欧州を中心に増えている。2024年にはKLMオランダ航空の「責任ある空の旅」キャンペーンの広告が「消費者に誤解を与える」として、違法だと判断された。
訴訟には、科学の発展が欠かせない。
世界の科学者や各国政府で作る気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、これまでの報告書で、温室効果ガスの世界の累積排出量が増えるほど世界の平均気温が比例して上がることを示した。
産業革命前からの気温上昇が1.5度になるまでにどれくらい猶予があるか計算できることになる。「カーボンバジェット」という考え方で、アージェンダ訴訟やその後の判決に影響を与えた。
熱波や豪雨、干ばつなど個々の異常気象に、どれくらい温暖化が影響したか評価する「イベントアトリビューション」という手法も広がる。過去の排出記録から企業ごとの温暖化責任を分析する研究も進む。韓国では昨年、温暖化で収穫量が減ったとして、農家が石炭火力などを運転する電力公社などに損害賠償を求める訴訟を起こした。
川や山、動物などの「自然」に権利や法的人格を認める法律や判決も近年、増えている。米オレゴン大教授らの研究によると、2006~2021年に、17カ国で178の自然の権利を認める法律の制定や判決が確認された。
大阪大の大久保規子教授(環境法)によると、自然の権利の概念が提唱されたのは、20世紀半ば。1972年に、米国の法学者が「樹木は(法的人格を持つ存在として)原告となる資格があるのか」というテーマで論文を発表。カリフォルニア州のスキーリゾート開発計画をめぐる裁判の判決の反対意見で引用され、法学の分野で注目を集めるようになった。
1978年にはハワイで、パリーラ(ハワイ島に生息する鳥)が原告の裁判が起こされた。
2000年代からは環境危機の深刻化や先住民運動の高まりなどを背景に、中南米を中心に議論が再び活発になった。
2008年にはエクアドルが「自然、すなわちパチャママ(聖なる大地)」が権利を持つことを、新憲法に明記。2010年にボリビアでも「パチャママ」に権利を認める法律が制定されたほか、2016年にはコロンビアで川に権利を認める判決が出された。バングラデシュ、ニュージーランド、ウガンダなどで自然の権利を認める法律や判決が続いている。
一方で、「人間中心主義」が根強いヨーロッパでは、スペインの湖に権利を認めた特別法一つに事例が限られる。広がりに偏りもあるが、大久保教授は「人間中心主義から生態系中心主義に転換する流れが、法学に変化をもたらしていくことに変わりはないだろう」と話す。