「ほかに行き場がない」――ソウルで最も裕福な地区に暮らす不法占拠者たち
イ・チャンウォル(85)は韓国・ソウル市民あこがれの高級住宅地、江南(カンナム)の一角で暮らしている。
しかし、彼女の人生に、この高級エリアを世界的に有名にしたK-POPの大ヒット曲「江南スタイル」のような華やかさは微塵(みじん)もない。40年近くもの間、トイレすらない1室だけの狭苦しい掘っ立て小屋で暮らしてきた。
イが暮らしているのは、きらびやかな新しい高層ビル群の陰に隠れたシャンティタウン(注釈:あり合わせの廃材などから造られた掘っ立て小屋などの簡易住居から成る地域=スラム街)「九龍(クリョン)村」だ。
江南では典型的な3LDKマンションの価格が260万ドル(約4億円)にも上る。このスラム街を撤去して土地開発を進めようとするソウル市当局は、イの小屋に3300ドル(約52万円)の立ち退き料を提示し、6月中旬までに出ていかなければ強制退去させると通告した。
彼女はこれを拒否している。
「ここを出たとき、どこへ行ったらいいのかわからない」とイは語った。「今日を生き延びるだけで精いっぱいなんです」
国内屈指の富裕層に囲まれた71エーカー(東京ドーム約6個分)の不法占拠地、九龍の物語は、ソウルにおける深刻な経済格差と、貧困層が住宅を所有するために直面する苦難を象徴している。
特にソウルでは、住宅価格が賃金上昇率を上回るペースで高騰しているため、韓国人は貯めてきたお金を住宅の購入に投じている。
そして、江南ほどマンション価格が急騰・高騰している地域は他にない。江南のマンションを所有することは、富と賢明な投資の代名詞になっているのだ。
3月のある日、イは、人が一列で歩かなければならないような狭い路地を進んでいった。両側に並ぶ低い小屋から垂れ下がる、ボロボロの屋根材や絡まった電線の下に、身をかがめていく。
歩行器を使い、窓のない自宅へよろよろと向かった。家には幅1メートルもない狭い入り口から入るしかなく、入ったところが台所と洗面所を兼ねていた。
8車線道路を挟んだ向こう側には、彼女の村を見下ろすように、まばゆいばかりの新しいマンション群がそびえている。
夜の訪れとともに高層マンション群は明るく輝き、一方、九龍は暗闇に包まれた。
いくつかの小屋から漏れるかすかな明かりと、村の教会の赤いネオンの十字架だけが闇に浮かんでいる。ゴミや練炭を燃やす煙が辺りに立ち上っていた。
2023年以降、ソウル市は、この九龍村を不法占拠している1107世帯に退去を求めてきた。中には40年住み続けている世帯もある。
数百世帯は補助金付きの仮設住宅へ移り、市はこの地に建設される全3800戸のマンションの一部を、立ち退いた住民に賃貸すると約束している。
しかし、数百世帯はこの地にとどまり、より良い条件を求めている。再開発後の九龍で新しいマンション、アパートの家賃を賄うには、自分たちの小屋に対する補償金が少なすぎると、不満を漏らす人たちがいる。
市は住民に退去を促す告知を貼り出した。しかし、住民は村の入り口に監視塔を建て、赤、黒、黄色の挑戦的な横断幕を掲げた。
「私たちは40年もここに住んでいる。その事実を認めろ!」と、ある住民は訴えた。
一部の人々にとって、彼らは一等地を人質に取る強欲な不法占拠者だ。
しかし、異なる見方もある。彼らは韓国の華々しい経済成長から取り残された人々を象徴する存在であり、自分たちの築いたこの地域に家を所有するチャンスを求めて最後の抵抗に打って出ているのだ。
この村ができたのは、1988年のソウル五輪開催に向けて都市の美化を急ぐ韓国政府が、漢江(ハンガン)の対岸にあったソウル中心部のスラム街の撤去に乗り出した頃だ。
スラムの住民たちは、重機や警察の機動隊、ときには暴力団まで伴って乗り込んでくる開発業者と激しく衝突し、立ち退きを迫られた人々の中には自殺する人もいた。
その後、政府は方針を転換し、強制的に立ち退かされる人々に補償を申し出るようになる。
都心から離れたところで、今の九龍村があるような未開発地域に、新たなスラム街が次々と出現した。不法占拠者たちは拾ってきた廃材で間に合わせのあばら家を建てた。
土地所有者の許可を得ることもあれば、そうでないこともあった。投機家たちがこれに追随し、粗末な住宅を違法に建てては、新たに移住してくる人たちに売りつけた。不法占拠者は出ていくときにも住居を売却したため、非公式な住宅市場が生まれることとなった。
しかし、ソウル市当局は、再開発の際に住民が補償を請求できないよう、新たなシャンティタウンにできた住居の登録を拒否した。
五輪開催中、市は遮蔽(しゃへい)壁を設置して、九龍村が目に入らないようにした。
「彼らはそこで暮らしていたにもかかわらず、公式には存在しないものとされたのです」と、九龍の歴史を研究する独立研究者のイム・ミリは語った。
一部の住民は、自分たちの小屋を「人が暮らす住居」として登録するよう、市を相手取って訴訟を起こしている。登録されれば、新たに建てられる住宅の一戸に入居する法的権利が認められ、銀行の融資も受けられるようになるからだ。
「長年住み続けてきた場所が『住居』でないとしたら、私たちはいったい何者なのか犬や豚なのか?」と、イは問いかけた。
ソウル市は基本的な公共サービスの提供も拒否した。送電線と配水管は村の入り口で途切れている。住民たちはこの二つを自力で設置し、村中に張り巡らした。
雨が降ると、通りは泥沼と化した。
「ある日、娘が帰宅してこう言ったんです。クラスメートに『おまえの家族はゴミ捨て場に住んでいる』と言われ、机にゴミをぶちまけられたって」。キム・ヨンギ(91)はそう語った。
しかし、市内で落ちぶれた人たちが、次々とこの地に移り住んできた。
市の他地域から疎外された九龍は独自のコミュニティーを築き、そこには食料品店や美容院、金物店、何軒かの教会、そして1990年代には最大1万人もの住民を支える「自治評議会」もあった。彼らは皿洗いや日雇い労働、ゴミ収集で糊口(ここう)をしのいでいた。
1994年の評議会議事録によれば、彼らは「子どもたちが自分たちの貧困を引き継ぐことのないよう、懸命に働く」と誓った。
村史初期には、役人が立ち退きを迫りにやって来ると、住民が人間の排泄(はいせつ)物を投げつけた。
今日の九龍はかつての縮小版となっている。屋根が崩れ落ちた家や、生い茂った雑草にのみ込まれている家もある。
近くの丘から飛来したカラスが、放置された家具などのゴミの間を飛び回っている。だが、そこには昔の風情も残っている。
家屋が小さすぎて屋内トイレを設置できないイのような住民のため、村には屋外トイレが点在している。野菜を育てる鉢や、調理用のガスボンベ、新品と使用済みの練炭が山と積み上がり、壁に寄りかかっている。
屋根はグラスウールの断熱材とビニールシートで覆われ、古タイヤで固定されている。
こうした可燃性の材料が使われているため、村は火災に見舞われやすい。2026年1月に発生した火災で村の一部が焼失し、180人が避難を余儀なくされた。
元助産師のコ・ジェオク(86)は可能な限り貯蓄に努めてきて、生まれてから3度しかタクシーに乗ったことがないと語った。貯めたお金の一部を希少コインに投資し、床下に隠していた。
ところが、火災で家が全焼し、そのコインの行方はわからなくなっている。
「何もかも失ってしまった」と、コは涙ながらに語った。彼女は現在、村の共同避難所で暮らしている。
痩せた体つきで歯が抜け落ちている男性、ペク・スヒョン(66)は、焼け焦げた自宅近くのテントに寝泊まりしている。市から4000ドルを受け取って賃貸住宅へ移るという提案を受けたが、長期的にその家賃を支払えないとして拒否した。
「どこにも行き場のない人たちから金品を奪い取るようなものだ」と彼は語った。(敬称略、抄訳)
(Chang W. Lee)©2026 The New York Times
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから