■「外国人が降りるのは危険だ」
次第に近づいてくるタワマンを車窓から見上げていると、先入観もあってか、灰色にくすんだたたずまいは威圧的に感じられた。マンション周辺の道ばたには、職にあぶれているであろう黒人たちが腰掛けていたり、手持ちぶさたにたむろしたりしていて、こちらの姿をじっと見つめてくる。
「この地域であなたみたいな外国人が降りるのは危険だ。出迎えはいないのか」。タクシーの女性運転手が心配げに声をかけてくるが、出迎えが来ることにはなっていない。やっぱり来るんじゃなかったと多少後悔しながら、マンションの出入り口のゲート目前に車を止めてもらい、駆け足で警備員のもとにたどり着いてホッと一息ついた。
インターネット空間や私が学生時代に出会ったバックパッカーたちの間ではこのマンションが建つヨハネスブルク中心部について、「強盗に遭遇する確率が150%」「旅行者がホテルを出て1分で強盗被害に遭ったことがある」などと治安の悪さを半分面白がるようなうわさが飛び交っていた。「確率150%」という表現は、もちろんその危険性を誇張した一種のブラックジョークだが、この国が危険であることは事実だ。
日本企業の駐在員やその家族が拳銃で脅されて金品を奪われた例は数えきれないし、昨年末にも「空港から車で自宅まで移動した日本人一家が、ゲートを入ったところで追尾してきていた強盗に拳銃で脅される事件が起きた」という注意喚起のメールを在南アフリカ日本大使館から受け取った。
外国人が対象になる例は多くないが、殺人事件の数も日本では考えられないほど多い。南アフリカ警察の統計によると、2018年度の殺人事件による犠牲者数は2万1325人。単純に365日で割れば1日あたり58人が殺されている計算になる。しかも、2011年度の1万5554人から8年連続で増加してきた。あまりの殺人事件の多さに、時の警察相が自国を「戦争に近い状態」と評したこともあるくらいだ。
■「絶対に近づくな」と言われた地区を歩く
だが、タワマンの敷地に入ると雰囲気は一変して、こぎれいにした清掃員や住民が行き交っている。地上階にはスーパーマーケットや保育施設、理髪店などのテナントが並び、その一画にマンションのツアーを実施しているダラ・ンジェというNGOのオフィスもあった。
ダラ・ンジェは地域の子どもたちへの遊びや交流の場を提供しており、現地のズールー語で「ただ遊べ」といった意味だそうだ。本来はオフィスにも子どもたちがやってきてにぎわいを見せるそうだが、新型コロナウイルス感染拡大のため、子どもの姿を見かけることはなかった。
ツアーの登録とあいさつを済ませると、早速マンション内部を案内してもらえるのかと思いきや、先にマンション周辺の住宅街や隣接するヒルブロウと呼ばれる地域をめぐるという。
ヒルブロウといえば、不法滞在の外国人が多く、犯罪率も高い特に危険な地域だと現地の人から聞かされてきた場所だ。絶対に近づくなと言われていた地域にこれから入るのだと思うと手に汗がにじんできた。コンパクトカメラをジャケットのポケットに隠し、敷地を出てからも周囲の人と目を合わせないように努めた。300メートルあまり歩いたところで、ガイドのシフィソさんが振り返り、「ここは絶対に撮影するな」と声を落として告げた。
彼が指さす先にあるのは、10階ほどの廃虚ビルだった。コンクリートの柱やはりはぼろぼろで、あるべき場所に壁がない。柱と柱の間につり下げられた布が、壁の代わりの目隠しの役割を果たしていた。「ここは元々普通のマンションだったが、ギャングたちにハイジャックされているんだ。こうした建物は他にもあるけれど、警察や市の対応が追いつかない」という。
窓ガラスどころか窓枠や壁さえ見当たらない理由を尋ねると、「売れるものは何でも取り外して売られたんだ。特に金属には高値がつくからね」と返事が返ってきた。ビルの中では、ヘロインを含んだ「ニャオペ」と呼ばれる地元のドラッグが販売されているという。
いきなりの廃虚マンションに出ばなをくじかれたが、周辺の住宅街の中には不法占拠者を追い出してリノベーションされたマンションも立ち並んでいた。通りによっては清掃が行き届いていて雰囲気も明るい。
そのまま道をわたってヒルブロウに入ると、にわかに町が活気づいてきた。スーパーマーケットや薬局、携帯ショップが軒を連ね、路上でも干し魚、ラップに丁寧に包んだカボチャ、黄色や赤が鮮やかなパプリカなどをきれいに積み上げた露店や、爪切り、手袋、マスク、歯ブラシといった雑貨を並べた出店もあり、行き交う人々でにぎわっている。
紺色のセーターにチェック柄のスカートの日本の制服そっくりの服装をした小学生くらいの女の子が父親に手を引かれて歩く様子からは、ここが危険の象徴のように扱われる地域とは思えなかった。決して外国人観光客が気ままに歩ける場所ではないが、そこに暮らす人々にとっての日常も存在するのだ。
1時間ほど町を散策してタワーマンションに戻った。今度は地上階の入り口で指紋認証付きの鉄製の回転ドアをくぐり抜け、8台あるうちの1台のエレベーターで51階にあるイベントスペースに上った。先ほどまで歩いていたヒルブロウがはるか階下にみわたせる。
ダラ・ンジェの説明や地元メディアの報道によると、そもそもタワマン周辺は、少数白人政権によるアパルトヘイト(人種隔離)政策時代、白人専用の居住地だった。ポンテシティーアパートメントが建てられたのは1975年だが、その直後の80年代ごろから日本のドーナツ化現象のように白人たちが都心から郊外への移住を加速させていき、逆に仕事を求めて都会を目指した黒人らがこの地域に移り住むようになった。移動してくる人数が多すぎて警察による黒人の立ち退きは事実上不可能だった。白人居住区に黒人たちが流れ込む現象は「灰色化」などと呼ばれたという。
80年代半ばには行政サービスも凍結され、ゴミの収集や警察の巡回がなくなり、残っていた白人たちも一気に離れていった。そこにギャングたちが入り込んできてマンションを不法占拠し、勝手に人々に貸し出すようになったという。現在は484部屋、3千~4千人程度が暮らしているポンテシティーアパートメントだが、当時は電気もガスも水道も止められた状態の54階建てのタワマンに最大で約1万人が暮らしていた。
当然エレベーターも動かなかったため、上り下りが面倒な高層階に暮らす住民は中央の吹き抜けに向かってゴミを捨てるようになった。生ゴミ、汚物、マットレス、鉄くず、キッチンや洗面所周りの備品などありとあらゆるゴミのほか、野良猫の死体や、飛び降り自殺を図った人間の遺体まで混ざりこみ、最大で17階相当の高さまで積み上がった。こうして、「世界一高層のスラム」と呼ばれる無法タワマンが生まれていった。90年代後半にはマンションをまるごと刑務所にする構想さえ持ち上がったという。
転機は2000年代初頭に訪れた。不動産業者がリノベーションへ向けてギャングたちを次第に排除し始めたのだ。中央吹き抜け部分にたまり続けていたゴミも、手作業で2年半かけて撤去した。サッカーワールドカップ2010年大会の誘致に成功したことで、新たに投資を呼び込めたことも追い風になったという。
51階を離れ、ツアーの最後に訪れたのは、かつてゴミのたまり場となっていた中央の空洞の底だ。「コア」と呼ばれているその場所はごつごつとした岩盤が斜めにせり上がっており、このマンションが斜面に建てられていることが分かる。空洞の底から真上を見上げると、まるで砲身の内側から狙いを定めて空をのぞいているような不思議な光景だ。約170メートル頭上にあるまん丸い穴の先には、薄い雲が流れていくのが見えた。
この地域で生まれ育ち、ダラ・ンジェで6年前からガイドを続けるグラント・ンコボさん(24)に、なぜこのようなツアーを開いているのかを尋ねてみた。「多くの人が、いまだにインターネットに書かれてきた極端に危険なイメージに影響されてしまっている。僕たちはポンテやヒルブロウに対するそうした人々の思い込みを変えたくてこのツアーをしているんだ。このビルはずっと前に安全な場所に変わったし、ヒルブロウだって実際に歩いてみれば、良い部分があることが分かっただろう。一人でも多くの人に、インターネットに書かれているうわさとは異なる、別の側面があることを知ってもらいたいんだ」