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ここにこうしてはいられない 若者たちの異議申し立ては続く 変わる「アメリカの匂い」

World Now 更新日: 公開日:
ジャック・ケルアックの小説『オン・ザ・ロード』。コロンビア大学前の露店の古本屋で見つけた=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影
ジャック・ケルアックの小説『オン・ザ・ロード』。コロンビア大学前の露店の古本屋で見つけた=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影

自由の国アメリカでは、若者たちが時の政権や社会のありように常に異議を唱えてきました。筆者が向かったコロンビア大学は、昔も今もその象徴的な場所の一つです。
若者の抵抗は様々な形を取りながら今に至りますが、筆者が愛着を持って語るジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』はその一例でしょう。その頃の「アメリカの匂い」と、今の匂いとの違いは何だろうかと筆者は考えます。

コロンビア大学の前の通りを歩いていたら、古本屋が路上で店を広げていたので足を止めた。ほとんどがペーパーバックで、背表紙が見えるようにして段ボール箱にびっしり詰めてある。

書名を端から目で追うと、あるかもしれないと思った本があった。ジャック・ケルアックの小説『オン・ザ・ロード』である。1950年代のビート・ジェネレーションを代表する一作で、1957年に世に出ると版を重ね、映画にもなった。

書名だけで「ここにこうしてはいられない」という気分にさせる本書は、作者を投影した主人公が、友人をモデルとする型破りな男と大陸を西へ東へ車で疾走する物語で、画一化の進むアメリカ社会でもがき、あらがう若い世代を描く。アメリカは西漸運動の昔から「移動の国」であり、白人にとって、と限定すれば移動はそのまま夢や希望と同義だった。

1950年代はアメリカが大戦後の繁栄を享受し、大衆消費社会になる一方、冷戦下で赤狩りも起きた時代だった。自由な精神をうたう本作がヒッピー文化、サブカルチャーに与えた影響は大きく、今もバックパッカーで知らぬ者はないだろう。

私には特別な本だった。

豪州でヒッチハイクの旅を始めた22歳の時、ふらりと入った書店でたまたまこの本が目に留まり、飯代との兼ね合いで迷った末レジへ持っていった。表紙はイラストで、荒野に延びるハイウェーの脇に車を止め、男が缶ビールを開けようとしている。その本は、豪州から渡った米国でも私のジーンズの尻ポケットに突っ込まれたままだった。

筆者が長く持ち歩いた「オン・ザ・ロード」のペーパーバック=関口聡撮影
筆者が長く持ち歩いた「オン・ザ・ロード」のペーパーバック=関口聡撮影

小田実(まこと)はこの本が出た頃の米国を活写している。発刊翌年に渡米した小田は、その旅行記『何でも見てやろう』で、風俗としてのビートを「アメリカの匂い」からの逃亡者と見た。20世紀文明が袋小路にまで行きついた米国で出口を求めて必死な者たち━━痛切だが社会的視野を欠く一種の小児退行現象だというのは、やがて日本で市民運動を牽引(けんいん)する小田らしい観察ではあった。

それから70年近く、今の「アメリカの匂い」とは何だろうか。変わらず世界一豊かな国だが、格差は野放図に拡大し、それは低所得にあえぐ白人労働者がトランプ大統領こそ自分たちの代弁者であり救世主なのだと信じる心理を生んだ。思うに任せぬ時、あいつが悪いと指さしてくれる人に同調者が集まりやすいのは洋の東西を問わない。だが議事堂襲撃を経てなお大統領に返り咲いたのを見れば、袋小路に開いたとんでもない出口とも思え、匂いと呼ぶには剣呑(けんのん)に過ぎるものが漂う。

コロンビア大学の前で見つけた『オン・ザ・ロード』は、私が初めて見る表紙だった。大きなリュックを背負ってヒッチハイクをする男が拾ってもらおうと道端で指を立てるが、車は無情にも走り去っていく、という3コマの漫画の光景は、かつて自分にもなじみだった。牧歌的な時代ではあったと今にして思う。

売っていたパーカ姿の色白の青年に「これ、読んだことある?」と声をかけると、「ないね」と素っ気ない。「でも良い本に違いないね。何しろペンギンブックスの古典シリーズの一冊なんだから」

定価の半額の本を私は買うことにし、青年は釣りを寄越すと「エンジョイ」と言ってスマートフォンに目を戻した。    

  

ケルアックはかつてコロンビア大学の学生で、この大学は詩人アレン・ギンズバーグら仲間のたまり場でもあった。露店の古本屋で私が「もしかすると」と思ったのは、そのせいである。

ベトナム反戦運動が広がった60年代、コロンビア大学はとりわけ活発な運動で知られた。1968年は世界的に若者の反乱の年だったが、この大学では学生たちがキャンパスの建物を占拠し、警官隊導入で700人以上が逮捕されている。

ほうふつさせたのが昨年の事件だった。イスラエルのガザ攻撃に抗議する学生たちに対して大学側は警官隊を要請、100人以上が逮捕された。昔と違うのは、大統領がガザ問題に限らず各大学を強硬に締め上げていることだろう。言論や学問の自由そのものが脅かされている。

ベトナム反戦では日本でも大きなうねりが起きた。小田実らが主導したベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)をはじめ、デモも盛んだった。当時の人たちは、理のない戦争を始めた非道と、とんでもないことだと物申す自由とを二つながら米国に見ていたのだと思う。星条旗を燃やすのも表現の自由のうちだという1989年の米連邦最高裁の判決には、私もつくづく感じ入った覚えがある。

コロンビア大学のキャロル・グラック教授=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影
コロンビア大学のキャロル・グラック教授=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影

コロンビア大学の研究室に歴史家のキャロル・グラック教授を訪ねた。ベトナム反戦と公民権運動の時代だった、と1968年にこの大学の学生だったグラック教授は言う。戦争は間違いで、公民権は正しいと信じていた。以後も学生たちの異議申し立ては続いていく。過激になる必要はないのだと、グラック教授はガザ問題に触れて語った。「人殺しを止めたいと願うのに過激派になる必要はありません。政治的な左派がどうこうという話ではなく、全ての人の問題であり、私たちはそのような民間人殺害を支持すべきではない」

難しい時代に私たちはいるとグラック教授は言う。世界は大きな歴史の転換点にあるが、混沌(こんとん)とした途中段階で、いつまで続くかも定かでない。ただトランプ氏だけで米国を判断しないでほしい、グランドセントラル駅の展示は見たか、あれが草の根の米国なのだ━━。

私はそれを見に出かけることになる。

大学の入り口には「検問」が設けられていた。大学当局から許可を得ていなければ入れない。米国の大学は各地に訪ねてきたが、キャンパスに入るのにQRコードが要るのは初めてだった。

コロンビア大学当局から送信されたQRコードがないとキャンパスには入れないようになっていた=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影
コロンビア大学当局から送信されたQRコードがないとキャンパスには入れないようになっていた=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影