【特別編】NHK「テレビ英語会話」の田崎清忠氏が見たアメリカ 英語との出合い
戦後を通じてアメリカと深く関わった一人に、「田崎英会話」で知られた田崎清忠氏がいる。1961年から16年間にわたってNHK「テレビ英語会話」の講師を担い、文化放送「百万人の英語」の講師も務めた。横浜国大教授や東京純心女子大(現・東京純心大)の学長を経て95歳の今、「古き良きアメリカ」を思い、現状にため息をつく。
東京に生まれた田崎氏がアメリカを意識したのは中学生の時、当然ながら敵国としてだった。空襲警報、B29の爆音、火の海━━両親と逃げ惑った。ただ、敗戦時にアメリカに憎しみを感じることはなかったという。むしろ「この悲惨を生んだ責任者はどうやって国民にわびるのかと思った」。
初めて見るアメリカ人は、ひとり歩哨に立っていた進駐軍の兵士で、びっくりするほど背が高かった。何かしゃべりかけたくなったが、どう声をかけていいのかわからない。「グッド・イーブニング」を練習して出直し、これが英語習得の始まりとなる。勝者は暴行し略奪すると聞いていた田崎氏は、アメリカ兵たちが明るく気さくな青年であることに驚いた。
1956年、フルブライト奨学生としてミシガン大学に留学する。帰国後に教員の道を歩んでいたところ、NHK番組の講師の声がかかった。毎年アメリカを取材して回り、訪ねた先は全50州に及ぶ。言葉と共に文化を伝えたかった。人気番組になって予算は潤沢、ドラマ仕立てにしたり芸能人を招いたりと田崎氏は工夫を凝らす。若き黒柳徹子さんとは海外便の機中でのやりとりを演じている。ニューヨークで演劇を研修していた黒柳さんは、芝居はもちろん英語も上々の出来だった。
アメリカが最もアメリカらしかったのは1950年代から1960年代だった、と田崎氏は言う。「世界一の民主主義国家として輝いていた。生活は豊かで安定し、いわば物質文明の頂点にあって、世界があこがれていた」。独善的だったり人種差別をしたりと問題は多々あれ、明るく、外に開かれ、移民の国であることを誇っていたのは本当に美点だったと懐かしむ。
アメリカを「商店、会社として扱っている」トランプ大統領は民主主義を踏みにじっている、元に戻るには膨大な時間とエネルギーが要るだろう━━。アメリカは生涯の師と感謝してきた田崎氏には、思わぬ暗雲だったに違いない。心中いかばかりかと、かつて授業に出ていた「不肖の教え子」の私は推し量る。
さて、日本人の英語力は戦後の80年でどこまで伸びたか。田崎氏は「進歩の兆しはなく、むしろ次第に下がっている」。今年のEPI(英語能力指数)では世界96位、ネパールやモンゴルよりも下位にある。日本語とは言語体系が違う、そもそも普段の生活で英語を使うことがほとんどないといったハードルはあるにしても、「行きあたりばったり、思いつきのような英語教育行政を改革しない限り、成果は期待できない」と田崎氏は憂う。