「送り返せ!」「送り返せ!」の罵声が、鳴りやまない。7月17日に米ノースカロライナ州で開かれたトランプ陣営の選挙集会は、異常な熱気に包まれていた。トランプ大統領が、ソマリア難民出身の民主党のオマール下院議員を「悪意をもって反ユダヤ的演説を行った」と非難すると、熱狂的な連呼が始まった。大統領はかねて野党の非白人女性議員に対して、「もといた国に帰ったらどうか」と批判していた。それを踏まえての聴衆の反応である。
大統領は聴衆の罵声を止めることもなく、13秒間にわたって沈黙を守った。トランプ氏は明らかに、再選戦略として、白人優位主義者の喜ぶ「人種カード」を切っているのだ。
同じようなシーンを以前、歴史ドキュメンタリーで見たことを思い出した。
1963年1月14日、アメリカ南部アラバマ州の州都モンゴメリー。新たに当選した州知事ジョージ・ウォレスの就任式が始まろうとしていた。ニューヨーク・タイムズ紙やテレビの3大ネットワークなど全国メディアが集結していた。
当時のアラバマ州は、黒人の権利を推進する公民権運動の嵐の中にあった。マーティン・ルーサー・キング牧師の率いる非暴力不服従運動が全米のニュースとなっていた。その中で、保守的な白人層に推されたウォレスが知事に当選し、その第一声が注目されていた。
ウォレスは就任演説で、南北戦争以来、南部がいかに北部に蹂躙されていたのか、その屈辱を語った上で、こう述べた。「人種隔離政策を今こそ。明日も。そして永遠に」
白人ばかりの聴衆は熱狂した。
”segregation now…segregation tomorrow…segregation forever”
このリフレインは、全米に伝えられ、ただちに白人優越論者のスローガンとなった。
意外なことに、ウォレス自身はもともとリベラルな人物だった。
1919年に生まれたウォレスは、大恐慌と戦争の時代をくぐり抜け、苦学して、アラバマ大学のロースクールを終えて、法曹の道を歩んだ。子供時代からの夢は、アラバマ州知事になることだった。1958年に知事選に初めて挑んだときは、全米黒人地位向上協会の支持を受けて、穏健な選挙綱領で戦った。しかし、当時のアラバマは人種隔離政策の牙城だった。事実上、黒人には選挙権すらなかった。選挙は、惨敗に終わった。
どうしても当選したかったウォレスは、手段を選ばなかった。4年後の再挑戦では、過激な白人優越主義者に変身し、雪辱を果たした。
60年代のアメリカというと、ベトナム反戦運動やヒッピー文化など、リベラル色の強い時代というイメージだが、保守の側からの猛烈な巻き返しが始まった時代でもあった。ウォレスは、そのシンボルとなり、1968年の大統領選では、民主・共和の二大政党の枠の外から第3勢力の候補者として立候補。公民権運動に反感を持つ白人保守層にアピールし、南部5州では、トップを取った。
ウォレスの伝記的研究『怒りの政治(Politics of Rage)』(1995年刊行、未訳)を著した歴史家のダン・カーターによれば、ウォレスは、社会の変動や経済的な不安にかられた白人層の不安を利用した「ホワイト・バックラッシュ(白人の反動)」の先駆者だという。歴史的に見ると、のちに80年代のレーガン政権で開花し始める「保守革命」を生み出した、と位置づけられる。そこにあるのは、理想化された「古き良きアメリカ」へと退行するノスタルジアである。ノスタルジアを支える三つの柱がある、と著者は指摘する。それは、ナショナリズム、人種差別主義、宗教的原理主義である。
著者の分析は20世紀で終わっているが、今日これを、アメリカ第一主義、移民排斥、キリスト教福音派とそれぞれ置き換えてみれば、どうだろう。今のトランプの政治こそ、ウォレスに始まる「怒りの政治」の後継者ではないか。新しい社会の変化(現代アメリカの場合は多民族化、多文化主義の進展)についていけない白人保守層にアピールする点では、半世紀前のウォレスに重なる。
また、当選のためには思想的転向も厭わない点でも両者は似ている、と思う。
トランプは、もともと民主党支持者で、人工中絶を是認していた。それが、共和党から出馬、人工中絶を認めない福音派を最大の支持基盤としているのである。信念がない人だからこそデマゴーグ(扇動政治家)になれるのかもしれない。
ちなみに、ウォレスは、断続的に4期、合計16年間にわたって、1980年代半ば過ぎまでアラバマ州知事を務めた。その間に、彼が反対した黒人の公民権は様々な立法で実現し、人種隔離政策は社会の表舞台から消えた。ウォレスもその変化を受け入れ、4期目には、それまでの自分の人種政策上の「誤り」を認めて、黒人の役職登用を進めた。晩年の1995年、公民権運動の記念式典にも出席して、黒人指導者たちと手を取り合って、「和解」した。
それが本心からの「改心」なのか、それとも、これもまた当選のための便宜主義だったのか、歴史家の評価は割れている。
さて、21世紀の扇動政治家が「改心」する日は来るのだろうか。