「トランプ関税」衝撃の現場……世界最高税率50%のインドでなにが起きている?
インド西部グジャラート州にある人口600万人の都市スーラト。世界のダイヤモンド加工の実に9割を誇る「ダイヤモンド・シティー」だ。アフリカなどからのダイヤの原石がここで研磨・加工され、世界各国に輸出されている。中でも米国は3割を占める最大の輸出先だった。
「関税が50%になったとたんにそれがすべて消えたのだから、影響は甚大だ。政府同士の交渉で決めることなので、私たちは何もできない」。9月下旬に訪れると、ダイヤ業者でつくる「スーラト・ダイヤモンド協会」のジャグディッシュ・コーント会長(59)は渋い顔だ。
トランプ政権が、ウクライナ侵攻を続けるロシアから原油を大量に輸入しているインドに対し、相互関税25%に加え、「罰金」として25%の追加関税を発動したのは8月27日のことだ。
コロナ禍以降、ダイヤの需要低迷と価格下落に加え、ロシアの原石はウクライナ侵攻を受けた経済制裁によってドバイ経由などで輸入せざるをえなくなりコスト増が重なっていた。そこに、世界最高の計50%の関税が直撃し、米国向けの輸出はストップした。約6000社が加盟する同協会は、「特に小さな工場にとって大きな打撃になることはまちがいない」と心配する。
狭い道路で自動車やバイク、オートリキシャがひたすらクラクションを鳴らし続ける雑然とした街の中心部には、ダイヤの加工場や宝飾品をつくる工場が集まっている。路地の市場には小さな机にダイヤを広げる業者が並ぶ。ダイヤ・宝飾品業界は約100万人が働く一大産業だ。
そんなスーラトで大小さまざまな10社近くのダイヤや宝飾品の工場を取材した。
ダイヤの研磨作業は基本的にはどこも同じ。暗い部屋の中で作業机だけが蛍光灯に明るく照らされている。小さな中華テーブルのような回転板の周りに3、4人が座って作業にいそしむ。勢いよく回る研磨機に、金属製の取っ手の先についた小さなダイヤをつけて削り、すぐにルーペで確認する。多くの熟練職人に支えられた、まさに労働集約型の産業といえる。
「このまま50%の高関税が続けば、業界全体で労働者の10~15%が職を失うだろう」。大手業者「カカディアム」を経営するハスムク・カカディヤさん(45)はそう分析する。
カカディアム本社では約2700人の従業員が朝8時からと夜8時からの2交代、24時間体制で働いている。各工程の作業場は大きなビル内に点在し、作業場に入るときにはドアの前にある顔認証でチェックされる。
作業場では、数十人が研磨機の周りで作業している横で、同じような机の周りで4台のロボットが、ダイヤを研磨機につけては離し角度を変えてまたつける、を「黙々と」繰り返していた。プログラミングされた作業で、人と違ってルーペで確認することはない。「人のように休憩や食事の時間をとることはなく、ずっと働いてくれる。人と比べて品質も一定だ」
取材した中でそうした大規模工場はまれで、多くが雑居ビルの1フロアを作業場として使っていた。ボロボロのビルだが、作業場へは幹部社員が指紋認証のロックを解除しないと入れない。
靴を脱いで入ると、裸足に作業服姿の職人たちが研磨作業をひたすら繰り返している。休憩中の職人は、作業場の外の床の上で食事をとったり、寝転んだりしていた。
労働者30人ほどの小さな会社を経営するアニル・ロイさん(35)は、「ダイヤの加工で難しいのは、重さをいかに保ちながら薄く削るかだ。価格に直結するその技術を習得するには7~10年はかかる」という。
ダイヤの需要低迷と価格下落、ロシアからの原石の輸入禁止など産業をとりまく荒波に、ダイヤ「一本足打法」から、指輪やネックレスなど宝飾品製造に事業を拡大する業者も増えている。
訪れた宝飾品工場では、従業員がパソコンでデザインを考え、顕微鏡をのぞきながら指輪やペンダントなどを組み立てていた。金を削る作業場を出るときは、空港のセキュリティーチェックのような検査に加え、作業服に掃除機をかけ、体についた金粉を回収する。「大きな工場だと回収できる金粉は1カ月で2キロにもなる」。案内してくれた社長が教えてくれた。
「金の価格が上がっているから、宝飾品全体の価格を抑えるため、天然ダイヤに比べて10分の1ぐらいの価格の人工ダイヤを使う業者も増えている。天然ダイヤでも人工ダイヤでも研磨作業の技術は同じなので、関税の影響が雇用に及ばないように、労働者を天然から人工に移すことで対応する業者も出てきている」。インドの宝石・宝飾品輸出促進協議会(GJEPC)のジャエンティ・サバリヤ・グジャラート支部長(43)は話す。世界経済の大きな動きが、そうしてインドの小さな工場の雇用や商品に反映しているわけだ。
世界最高水準の関税がインド経済に及ぼす影響はどうなのだろうか。
インド政府で長年貿易交渉を担当したアジャイ・スリバスタバさん(62)は「インドのGDPの大半を占める国内消費に比べ輸出の割合は20%ほどで、影響は輸出の多い繊維や宝飾品産業などの雇用にとどまる。外国からの安い農産物の輸入を認めて人口の半分にあたる7億の貧しい農家を犠牲にする選択は政府にはとれない」と解説する。これまでインド政府の貿易交渉は、国内農産物を守る姿勢で一貫しており、米国相手でも変わらないという。
トランプ政権の「アメリカファースト」と、インドのモディ政権が掲げる製造業振興政策「メイク・イン・インディア」。両大国の看板政策がぶつかり合う形だけに膠着(こうちゃく)状態が続いている。
インドは米国と中国という2大国と微妙な距離感を保つ、したたかさを持つ。インドが「タフネゴシエーター」を貫く背景には、英国による植民地支配から独立した1947年以来の「自主独立」の外交方針がある。
ジャワハルラール・ネルー大学元教授のビシュワジット・ダルさん(67)は、「英国の支配下で、英国の東インド会社から工業製品などを高く買わされ、綿などを安く売らされた苦い経験がある。独立後も先進国や中国から自動車や電気製品などを輸入する貿易赤字の構図は変わらない」と説明する。
ムガル帝国時代から貿易港として栄えたスーラトは、17世紀初めに英国の東インド会社によって最初の拠点が置かれた。その影響で繊維産業が盛んになるなど、スーラトは商都として栄えた。1960年代にダイヤ加工で世界有数の都市になると、農業や繊維業と比べ利益が大きいことから、周辺の農家などから移ってくる労働者が相次いだ。
英国のインド支配の始まりとなったスーラトが、独立後、数少ない輸出産業である繊維と宝飾品の中心地となり、英国後の世界の覇権国家である米国トランプ関税の矢面に立っているのは、歴史の巡り合わせか。
とはいえ、彼らはへこたれない。スーラト・ダイヤモンド協会のジェイッシュ・パテル副会長(52)は言い切った。「我々の技術は他の国にまねできない優れたものなので、世界中が、インドに、スーラトに頼らざるをえない。米国への輸出分は、中国や欧州、中東など他の国に回すだけ。米国の関税は米国の消費者を苦しめるだけに終わるだろう」