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日本人に米が特別な理由 日本史は「米と治水の歴史」、横並びの精神も稲作から

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検地の様子。役人が田畑の面積や収穫量、所有者を調査した
検地の様子。役人が田畑の面積や収穫量、所有者を調査した=松本市立博物館提供

米は日本人にとって、ほかの食べ物と違う特別なものだ。その背景を「日本史は、いわば米と治水の歴史」と表現するのが、京都府立大京都和食文化研究センターの佐藤洋一郎客員教授(農学)だ。日本人と米のつながりをひもといてもらった。(聞き手・藤崎麻里)

食べ物が十分なかった時代、食べてすぐ元気がでる米は夢のような食品だったと思います。

日本には、何万という古墳があります。造らせた人の権威を示す意味もありましたが、古墳を造ることが人を集める起爆剤になりました。集めた人を食べさせる必要があり、米という単一なものを用意する方が、管理しやすかったのだと思います。米を考えるうえで、古墳時代は画期的です。

軍事物資としての米

そして、米は運べて、他の食品に比べて腐ることもほとんどない。軍事物資としても優れていました。おにぎり、餅、日本酒など、食文化も生みました。

戦国時代前期は、農閑期に徴兵が行われ、論功行賞で新しい土地を与えられるようになりました。土地の価値を測るとき、米がどれだけとれるかが物差しになりました。

これに対して欧米は、家畜に価値を置きました。中東は石油です。日本では、地域を越えて価値があるのは米でした。

豊臣秀吉の時代には、米をはかる升(ます)の規格を統一しました。江戸時代には、米が統一の貨幣のような役割を担うようになっていったわけです。

京都府立大京都和食文化研究センターの佐藤洋一郎客員教授
京都府立大京都和食文化研究センターの佐藤洋一郎客員教授=2025年9月、朝日新聞社

収穫量が大名のランクに直結

藩の経済力は米をどれだけ増やし、米作りを安定させられるかで測られました。水のない土地は灌漑(かんがい)水をまかなう治水が重要で、収穫量が藩の格付けや大名のランクと直結しました。

コシヒカリで有名な新潟県は、今でこそ質量とも日本一といわれます。でも、数十年前まで新潟の米は「鳥またぎ」、鳥も食べない品質だといわれていました。信濃川の治水が大きかった。米と治水による政治力は、今も生きていると思います。

地域にある祭り、狂言など文化面でも、米や稲作が与えてきた影響は大きいです。食べ物にも序列があって、白米をどれだけ食べられるかは、豊かさの基準でもあった。そういうメンタリティーは根深いものがあります。

稲作は共同作業で、日本は山間地も多い。田んぼの水は上から下へ流さないといけない。上の人が流したら、次に自分の田んぼをちゃんとしないと、下の人に迷惑をかける。日本人の横並びの精神は一般的に稲作に源泉があると言われます。社会とのかかわり方、人々の精神構造までつかんでいるという意味でも、米は特殊な存在といえます。