1. HOME
  2. 特集
  3. アメリカ不在の援助
  4. 「償い」から援助大国になった日本 アメリカ不在、強まる風当たり……いま何が必要か

「償い」から援助大国になった日本 アメリカ不在、強まる風当たり……いま何が必要か

更新日: 公開日:
1967年に撮影されたラオスの工芸学校で竹細工を指導する青年海外協力隊=朝日新聞社

戦後、アジア太平洋諸国への“償い”として始まった日本の国際援助。経済発展とともに、対象も規模も拡大し、1989年以降は世界一の援助大国となりました。トランプ政権の誕生に伴い、援助の現場からアメリカが手を引く中、日本に求められることは何なのでしょうか。

日本の国際援助の現場にも米国不在の余波は、広がる。「日本人ファースト」を訴える政党が登場。日本でも支援への風当たりが強くなったとの指摘もある。日本が積み重ねてきた国際社会での支え合いは、いまや、当然のことではなくなってきているのか。

「償い」から始まった日本の援助

「戦争の罪滅ぼしができる。現地の役に立ててやりがいを感じる」

専門誌「国際開発ジャーナル」主幹の荒木光弥さん(89)は1960年代に、海外援助の現場に派遣された日本の土木技術者の声を聞いたことがある。太平洋戦争で兵站(へいたん)を担った人だった。「アジアには日本が建設した港湾や橋、道路などが残されていた。戦時中に工事に関わった人も多かったのではないか」。荒木さんは、こんな技術者の派遣を「日本の国際協力の原点」と振り返る。

「国際開発ジャーナル」主幹の荒木光弥さん=2025年9月2日、東京都文京区、中崎太郎撮影

1951年のサンフランシスコ講和条約で、日本は国際社会に復帰。1954年にビルマ(現ミャンマー)と賠償協定を締結したのを皮切りに、フィリピンやインドネシア、南ベトナム(当時)と賠償協定を結んだ。対日賠償請求権を放棄した国々とは、経済協力を進めた。日本の援助の歴史は「償い」から始まったといえる。

技術移転も1950年代から

日本は1954年、アジア太平洋の国々を支援する機関「コロンボ・プラン」に加盟。派遣された専門家が技術や知識の移転を始めた。冒頭の技術者もそうだった。

こんな賠償と並行する経済協力は、アジア諸国との関係改善や、日本の国際的な地位の向上につなげる意味があった。

一方で、当時は日本も、支援を受けていた。黒部ダム(1963年完成)や東海道新幹線(1964年開業)、東名高速道路(1969年全線開通)などは世界銀行から資金を借り入れて整備された。

1964年に開業した東海道新幹線。世界銀行からの借り入れなどを通じて整備された=朝日新聞社

日本は経済成長に伴い、援助を拡大。アジア各国のインフラ整備や人材育成を助け、それは日本企業の進出の基盤にもなった。半面、日本の支援は有償の円借款が多く、経済目的だと欧米から批判された。

世界最大の援助大国へ

こうした中で1974年にODA実施機関としてJICA(国際協力事業団、現・国際協力機構)を設立。支援する地域を広げ、1989年以降、1990年代にODAの額が世界一になった。

2024年版の開発協力白書によると、23年までの日本の支援総額は、約78兆円。専門家派遣は183カ国・地域、21万5000人に及ぶ。一方で、ODA予算はピークだった1997年の1兆1687億円から減り、2010年代から5500億円前後で推移する。

日本の無償資金協力で建設された東ティモールのモラ橋の竣工式の様子=2011年(写真提供:JICA)

国際援助を縮小する潮流と日本も無縁ではない。8月下旬にはJICA本部前で、JICAが国内4市をアフリカ諸国の「ホームタウン」に認定する事業をめぐる抗議デモがあり、「JICA解体」を訴える声も響いた。JICAは8月22日まで横浜市で開かれた第9回アフリカ開発会議(TICAD)で、4市をホームタウンに認定した。だが、「移民が押し寄せる」などの誤情報で自治体への抗議が殺到して日常業務に支障をきたす状況にもなったため、9月25日に事業を撤回した。

JICAの江原由樹・報道課長は「国際協力が日本のためにもなっていることをわかってもらうのは難しい。その意義を実感してもらう必要がある」と話す。支援した東南アジア諸国が工業化し、日本企業の供給網を担い、現地と日本の大学の共同研究につながっている。「協力の積み重ねがあって、今の日本がある」

国際協力機構(JICA)の(左から)馬杉学治・国際援助協調企画室長、江原由樹・報道課長=2025年9月2日、東京都千代田区、竹下由佳撮影

「米国不在」で日本に求められること

「米国不在」となった援助の現場で、日本が果たす役割はどこにあるのか。
JICAの馬杉学治・国際援助協調企画室長は「途上国から、日本を含む各国へ困惑の声が寄せられている」と明かす。

しかし、米国の担っていた活動を日本が引き継ぐのは簡単ではない。大量のワクチン提供といった物量作戦が中心の米国に対し、日本は相手国から要望を受けて協力する。馬杉さんは「魚を配るような米国に対し、日本は魚の釣り方を伝えるようなもの」と説明する。

そんな中でも、援助が停滞しないようにどうすればよいか。JICAは、現場のニーズにこたえられるよう、相手国政府や国際機関などと連携を強めて検討していくという。

国際開発ジャーナルの荒木さんは「国際協力で各国と築いた信頼感をいかす上で、日本は今、絶頂期にある。例えば、経済成長した東南アジア諸国やインドと東アフリカ諸国の開発事業など、地域をまとめて課題解決に取り組んでほしい」と期待する。