■私のON
16歳の時に訪れたメキシコで、経済格差の現実を目の当たりにしました。ティフアナという、日本企業も進出していた町でしたが、にぎやかな通りを離れるとバラックが立ち並び、子どもが裸で走り回っている……アメリカから国境一つ越えただけで、どうしてこんなに生活が違うんだろう。そのときの強烈な印象は、途上国に対する関心の原体験として、いまだに残っています。
大学を卒業後、商売がもともと好きだったこともあって豊田通商に入社しました。自動車部品の輸出や世界規模のサプライチェーンの構築など、様々な国を結ぶ貿易・物流の仕事に携わりました。ですが、特に開発途上国では、インフラや法制度があまり整備されておらず、そのために貨物を予定通り動かせないといった、民間企業1社だけでは解決できない課題がたくさんあったのです。そういった国に直接貢献できることは何かと考え、国際協力機構(JICA)へ転職しました。2005年のことです。
JICAは日本政府の途上国援助(ODA)の実施機関です。ですが、資金協力だけでは問題は解決しません。このプロジェクトにはどういう人材を募集するか、この援助は経済活動にしっかりつなげられるかなど、民間企業で得た視点を生かしながら技術協力にも取り組みました。
本部ではベトナムを担当し、ベトナム政府の投資誘致政策の立案、大学など高等教育機関の人材育成や施設整備、保健・医療分野の人材育成や病院の建設などを支援しました。そういった協力を続けていく中で、もう一度民間企業で、自分が培ってきた国際協力の経験を生かして日本とベトナム双方に貢献できる働き方ができないか、という思いが強くなりました。
採用試験を再び受けて、古巣の豊田通商に戻ったのは2017年。昨年からホーチミン近郊で、自動車用エアバッグやカーシートの部品を作る子会社の社長をしています。約1800人の従業員がいますが、日本人は9人だけです。
エアバッグは運転する人の命を守る最後のとりでです。非常に高い品質が求められるため、従業員の育成が重要です。JICA時代には、紛争後まもない東ティモールで、港や道路などのインフラ整備に関する技術移転や人材育成の仕事にも携わりました。その時の経験も生かし、現地の従業員が自立的に一人称で働くということを目指しています。みんな非常に真面目で、とことん納得いくまで話す文化もあり、ときにはけんかになるほど真剣に意見をぶつけ合うこともあります。
時間はかかりますが、しっかりと従業員を育成し、10年後、20年後に日本とベトナムの両国に貢献する会社にしていきたいと思っています。
いまは何より、新型コロナウイルスの感染を防ぐことが大事です。社内でも、マスクや検温、人との距離を保つなどの対策を徹底して、食堂でも対面では食べないようにしています。
ベトナムを初めて訪れてから15年。官民両方の立場でめざましい発展を遂げる姿を見てきました。街を走るバイクの数はどんどん増えていますが、ベトナム国内での車の生産量はまだ多くありません。今のところ当社で生産している製品はすべて国外輸出用ですが、いつか国内でも使われるよう、ともに歩みを進めていきたいです。
■私のOFF
4月下旬まで、新型コロナウイルスの感染防止のため外出規制が敷かれていました。規制が緩和されて行きつけの床屋に行ったら大混雑。少し考えた末、一度ベトナム名物の「青空床屋」に行ってみようと決意しました。
町をウロウロしてみたところ、工事現場の壁に向かってポツンとひじ掛け付きの椅子が置いてあるではないですか。「ひょっとして」と思い、おそるおそるその椅子に近づいていきました。すると、優しそうなおじさんがどこからともなく現れ、手招きしています。
「いくらですか?」と聞いたら「5万ドン(約250円)」。格安です。えいや!とイスに座って12分。この道27年というおじさんの迷いのないバリカンさばきで刈ってくれました。思ったより仕上がりも良く気に入っています。
週に1回、ベトナム語の勉強も続けています。床屋のおじさんとの会話や、バスに乗って現地の人のふだんの暮らしを感じることも楽しみです。食べたことのないものを食べ、入ったことのないお店に入るのもいいですね。
ベトナム料理は何を食べてもおいしいです。フォーや揚げ春巻き、日本のお好み焼きに似たバインセオや、イカの一夜干しなども好きです。そして、ベトナム人は宴会が大好き。酒席ではビールやバナナを原料にした蒸留酒などを酌み交わして親交を深めています。
今夏には、日本から妻と小学生の2人の子どもを呼んで一緒に暮らす予定でしたが、コロナの影響でどうなるか分かりません。「ベトナムに来たい」と子どもたちは乗り気ですので、早く見せてあげたいです。(写真は豊田通商提供)