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日本ODAの港が失敗したわけ 関係者に聞く

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263ウェブオリジナル⑯港失敗の理由

●一足飛び目指した 官房副長官(東部開発担当) アルベルト・エンリケス(69)

ラウニオン港は、当時の右派政権が決断した港の位置に問題があったと考えています。当時は識者が頻繁に「中米のシンガポールになるんだ」と発言していて、政府関係者や経済学者が現地に視察に行ったりしていました。一足飛びにシンガポールになろうとして、現実に沿って段階的に開発する考えがなかったのが一番大きかったと思います。現政権としても、運営を民間委託する手続きに非常に多くの時間を要してしまいました。入札が不調に終わってしまい、企業にとって魅力ある条件に変更するために今般、法律を改正しました。


港は東部地域全体の経済活性化の起爆剤という意味を持っています。政府は今、周辺25市への投資を促進する優遇措置のある経済特区を検討しています。まずは船への燃料供給や修理、清掃などのサービス提供から始めて、その次はホンジュラスとのカリブ海側の港と陸路で結ぶ物流を進め、中長期的には産業を育成したいと考えています。


欧米は出来上がったものを持ってきて押し付ける開発のやり方が多いのですが、日本はエルサル政府と対話しながら合意を形成しつつ実施してくれます。これからエルサル・日本の両国で、お金だけの関係ではなくて、よりよい国を作るための戦略的パートナーとして一緒に開発を考えていければと期待しています。

●後れとりたくなかった 空港・港湾自治委員会ラウニオン港総務財務部長 ペドロ・オレヤナ(52)

埠頭の水深を設計より1メートル深く変更したのは、当時の経営陣が、船はより大きく、港はより深くという世界の潮流に後れをとってはならないと考えたためです。日本側は「根拠がない」と言っていましたが、最終的に経営会議で承認されました。JICAの了解を得て、大型クレーンや倉庫、作業場のための予算が追加の浚渫費用にあてられました。港の運営はすぐに民間委託されるから、事業者が必要な設備を整えればいい、と考えていました。


誤った決断でした。契約書は調印済みで、工事の一時中断や別の特殊機材の持ち込みで業者に補償を求められました。その後、政権が交代して委員会が直営することになり、荷下ろしする大型クレーンがないまま港を運営することになりました。2012年末に海運会社が撤退してからは、コンテナを扱っていません。どうしてって? 航路の深さは足りないし、主要な産業が立地する首都には遠いし、道路の状態もよくない。大型クレーン設備もありません。


航路埋設については、正確なデータがなく、どれだけ深刻か分かっていませんでした。日本側は追加調査を提案しましたが、エルサル政府は、何年もかかった道のりを引き返すわけにはいかないという感じで、前に進むだけでした。浚渫を始めた業者がいったん作業を中断してから現場に戻ると、すでに航路が埋まっていてびっくりしました。設計上は深さ14メートルですが、いまは7・1メートルです。大型船はもちろん、小型船すら水深8メートルは必要なので困難です。12時間ごとに3時間だけ、最大で2.5メートル水位が上がる満ち潮の間しか通行できません。

●待ち続けるわけにはいかない ラウニオン商工会議所会頭 エドウィン・マカイ(55)

漁業が廃れていたところに港開発の話が出てきて、大きな希望として地元の企業も人々も熱狂しました。政治家が「シンガポールになるぞ」というので調べてみたら、土地が狭いのに貧困がなく、生活水準もとても高い。感銘を受け、期待が膨らみました。多くの外国人が来ると期待して、郊外で宅地造成が始まりました。6部屋で28万ドルもする高級住宅が立ち並びましたが、地元実業家や在米移民が投資して完売しました。商工会議所も港がもたらすものをどう活用するかばかりを考え始め、人材が必要になるだろうからと、JICAが支援した専門学校に港湾運営と物流税関、IT、観光という4学科をつくる準備に加わったりしました。


しかし、開港しても何も起きませんでした。企業は去り、高い家賃を払ってくれた外国人の工事関係者もいなくなり、11年ごろから不動産価格が下がりました。誰も買いたがらないので、今や価格は3分の1です。人々は損失を抱えて住宅は差し押さえられ、いまでは3割しか入居者がいません。港を当て込んで私が建てたオフィスビルも、09年は旅行会社や弁護士事務所、銀行などで10室すべて埋まっていましたが、いまは3室しか借り手がいません。専門学校の卒業生は、学んだことと全く無関係の仕事に就かざるを得なくなりました。港への期待が高すぎたのです。


港が動けば町を変えてくれると思います。しかし、港をこれ以上、待ち続けるわけにはいきません。商工会議所は、地元実業家の育成や職業訓練といった活動に軸足を移しました。ボランティアを募ってシーフード祭りや観光週間、若者向けパーティー、女性起業家の支援イベントなどを始めたことで、週末には多くの観光客が来るようになりました。湾を挟んだホンジュラスとニカラグアの商工会議所と力を合わせて、地域を活性化する方法を話し合おうと思っています。

●フォローで責任果たしたい 国際協力機構(JICA)広報室のコメント

JICAの2015 年度外部事後評価報告書 円借款「ラ・ウニオン港開発事業」

外部事後評価報告書において厳しい評価がなされ、事業が現在停滞している点についてはJICAとしても真摯に受け止めております。


JICAとしては、エルサルバドル及び近隣諸国の物流の活性化・効率化を図る上でラウニオン港が担うべき役割は大きいと考えており、現状を真摯に受け止めつつ、港湾運営に係るコンセッション契約の準備状況の確認を始め、継続してフォローアップを行うことで、責任を果たしていきたいと考えています。


運営企業選定を始めとするエルサルバドル政府の取り組み状況を引き続きモニタリングし、港湾施設の有効活用を働き掛けていきます。また、同国政府からの要請がある場合には、港の本格稼働に向けた技術的な支援も検討していきます。

■問われる「本気の対話」 GLOBE記者 村山祐介

完成からほぼ10年たってもほとんど使われず、毎年10億円の赤字を出し、今なお将来の見通しも立っていない。中米エルサルバドルの最重要案件として日本の途上国援助(ODA)でできたラウニオン港は、私の想像をはるかに超える惨状になっていた。失敗から教訓を引き出し、途上国との関係のあり方を見つめ直すべきだ。


うまくいかなかった主な原因は①運営体制が定まらない②大型クレーンがない③航路が埋没する、の3点に集約される。いずれも一義的には、エルサル側の内政事情や判断の失敗による部分が大きい。日本側がモノや工事を無償で提供する「無償資金協力」ではなく、借りたお金で相手国側が計画を実施し、後日利子をつけて返済する「円借款」の事業であり、エルサル側が主体的に判断し、その責任も負うことは言うまでもない。エルサル側の関係者は取材に対し、自らの判断の間違いや対応のまずさを率直に認めた。


一方で、経緯に目をこらすと、日本側が節目で調査の必要性やリスクを提起したものの、エルサル側の判断ミスや甘さを正せないまま、後から懸念が現実になる事態が繰り返されていた。内戦と大震災から復興を急ぐ途上国が、「シンガポールになる」とまで語られたチャンスを前に浮足立ったり、焦ったりすることは不思議ではない。政権交代やノウハウ不足で、時間がかかったり、判断を誤ったりすることも十分にありうることだ。112億円もの円借款を供与し、設計・施工まで日本勢が手がけながら、ほとんど使われない港ができたことへの日本側の責任も大きい。


エルサル政府の官房副長官は、押しつけが目立つ欧米と違い、「対話しながら合意を形成してくれる」と日本の姿勢を表現した。エルサルに限らず各国政府から耳にする評価で、丁寧な対話は日本の支援の持ち味と言ってもいいだろう。しかし、支援のプロとして必要と判断すれば、相手が不快に思ったとしても耳が痛い忠告を辞さず、正すべきは正させる。そんな決意と行動が伴う、「本気の対話」ができていたのか。JICAは失敗の教訓を無駄にしてはならない。


「一足飛び」の飛躍を夢見たラウニオン港の現状に象徴される経済の停滞と、治安悪化の負の連鎖にはまり込んだ「失われた20年」を経験したエルサル。辛酸をなめ続けたためなのだろう、私は今回の取材で多くの人たちから、地に足の着いた姿勢を感じた。安易に外部に頼らず、今あるものを生かして、自分たちでできることから始める。貧しかった戦後日本にも一脈通ずる、地道な積み重ねの大切さだ。日本はそんな途上国の自立への道のりを一緒に歩む、本気のパートナーになれるか。ラウニオン港の物語は、まだ終わっていない。