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国連機関「UNOPS(ユノップス)」とは?前川佑子駐日事務所長がめざす国際協力の形

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国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)駐日事務所長の前川佑子氏
国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)駐日事務所長の前川佑子氏=2022年12月20日、東京都渋谷区、渡辺志帆撮影

――紛争地や危険地で現場経験を数多く踏んだ前川さんが、次の活躍の場にUNOPSを選んだのはなぜですか。

UNOPSに来るまでイラクで6年間、勤務していました。着任したのは、ちょうど過激派テロ組織「イスラム国」がイラクを占領し、戦闘が一番激しかった20153月です。イラク国内で避難民が一時600万人に達した、そういう時期に赴任していました。

国連人間居住計画(UN-Habitat)イラク事務所時代、復興支援調査のために訪れたイラク・モスル市の旧市街。「イスラム国」の首都とされていたモスル市内でも最後まで戦闘が続き、破壊の度合いも大きかった
国連人間居住計画(UN-Habitat)イラク事務所時代、復興支援調査のために訪れたイラク・モスル市の旧市街。「イスラム国」の首都とされていたモスル市内でも最後まで戦闘が続き、破壊の度合いも大きかった=2018年1月、イラク・モスル市内、前川氏提供

その後、戦闘が終わり、復興支援にも関わりました。6年の間に、戦争の一番のピークから復興支援まで経験して、自分の中で一段落ついたかなという感触があり、それで次のチャレンジをしてみようかなという気持ちになりました。

UNOPSを選んだ理由の一つは、UNOPSが現場でのプロジェクト実施に特化した、非常にユニークな国連機関だからです。私は、信条として「国連の神髄は現場にある」と思っていますので、自分自身がイラクのような紛争地にいなかったとしても、現場でのプロジェクト実施に特化した機関で勤務することで、現場に携わり続けられるのではないかという感覚はありましたね。

――コソボにも、南スーダンにも、イラクにも赴任されていて、すべて「現場」といえますね。

そうですね。もともと紛争後の社会の復興支援や平和構築をしたいと思って国連に入りましたので、勤務地はそういう所を希望していました。

一方で、現場勤務の間にはジュネーブやニューヨークにも勤務しました。「国連の神髄は現場にある」といっても、多くの意思決定は本部でなされていますので、現場での仕事はもちろんすごく楽しいですし、やりがいもあるんですが、本部でどういう調整や意思決定がなされているとか、どうやって政策が作られるとか、そういうことを勉強することのも非常に役に立っているなと思いますね。

――国連で復興支援や平和構築に関わる仕事をしたいと思ったのはいつごろですか。

戦争と平和構築という大きなテーマに関心を持ったのは高校時代です。父親の仕事の都合で、家族でオーストラリア・シドニーに住んでいたんですが、現地の高校の授業で初めて、日本は太平洋戦争中、オーストラリアの本土を攻撃していたということを学んだんです。

日本に暮らしていると、太平洋戦争に関しても日米関係がクローズアップされることが多いと思うんです。でもオーストラリアにとっては、歴史上、唯一受けた本土攻撃が、太平洋戦争の時の日本から受けた攻撃なんです。

だから歴史の中でかなりクローズアップされますし、歴史の授業で学んだ時、日本人である自分がそのことを知らなかったことがショックでした。また当時は1990年代後半だったんですが、戦争が終わって何十年と経っても、戦争は人々の心に大きな傷痕を残すんだなということを子供ながらに感じて、ちょっと大げさですが「戦争をなくしたい」と思ったということがきっかけです。

ただ、具体的に国連で仕事をしたいと考えるようになったのは博士課程に進んでからです。もともとは平和構築の専門家になりたい一心でそのためにはもっと勉強しなければいけないと思い博士課程に進んだのですが、次第に、研究を続けるのではなく、現場で実務に携わる方が自分に合っているのではないか、また自分の目指す道に近いのではないかと感じるようになりました。

――赴任した紛争地で印象深い出来事には、どんなことがありますか。

南スーダンの首都ジュバに勤務していたときのことです。南スーダンは20117月にスーダンから独立したんですが、それまで50年間ほど、何らかの形でずっと紛争が続いていた国なんです。だからトップの政治家の方々の皆さんは、かつては英語だと「ブッシュ・ファイター」と呼ばれていた、要は茂み(bush)の中で戦う反政府ゲリラのような武装集団の出身だったんですね。

そういう方々が政治のリーダーになって国を動かしていく。若い人たちの多くも、内戦を戦った兵士の出身なわけです。50年間の戦争ですから平和な状態を経験したことがない人たちが、平和裏に意思決定をして政策を作っていく、国を動かしていくということは、考え方や価値判断という面で難しいし、時間がかかることだなというのは感じましたね。

国連開発計画(UNDP)南スーダン事務所では、復興支援の一環として中西部ワラップ州に道路を建設する案件を担当した
国連開発計画(UNDP)南スーダン事務所では、復興支援の一環として中西部ワラップ州に道路を建設する案件などを担当した=2011年12月、南スーダン・ワラップ州、前川氏提供

――そうした人たちを集めて、国連の支援策を決めていくわけですね。

国連としては、民意の反映ということがすごく大事になります。私が実際に携わったプロジェクトは、コミュニティーと話し合いを持って、戦後の復興支援を進めていくにあたって、どういうものがあったらいいかということを初めに聞くんです。

人によって「警察署が欲しい」とか「橋や道路が欲しい」とか「安定した電力がほしい」とか、いろんな要望があるんですが、それらのうち、コミュニティーと現地政府とですり合わせた要望を国連として提供していくというプロジェクトだったんです。ですから、本来はコミュニティーと現地政府の双方の要望に基づいて作っていくべきものなんです。

でも201312月に南スーダンが再び内戦に陥った際、要望の末に自分たちで作ったラジオ局が、すぐに地元の人たちの手によって強奪されてしまいました。本当に開局間近で、施設はすでに完成し、スタッフのトレーニング期間中だったんですよ。 ヨーロッパから取り寄せたラジオ機器とかもあったんですが、もう全部なくなってしまって……。その時は、「国連の意義って何なんだろう」とすごく感じましたね。

私が南スーダンに着任したのは20115月で、2カ月後にスーダンからの独立を控えていました。その時は本当に南スーダン内はもちろん、国際社会全体で、「ああ、ようやく戦争が終わって、ようやく独立した」という、すごく前向きな明るい雰囲気に満ちていました。

そこから2年半、私が取り組んできた復興支援や平和構築に向けた活動は「まやかし」だったのかなという……そんなに簡単に平和や安定というものは、得られるものではないのかな、と自分の中で本当にじくじたる思いがあります。

国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)駐日事務所長の前川佑子氏
UNOPS駐日事務所長の前川佑子氏=2022年12月20日、東京都渋谷区、渡辺志帆撮影

――何年もかけて民意を形成してできたはずのものが、一瞬でゼロになったわけですね。

そうですね。内戦が再燃して、本当に数日のうちに全部強奪されて、破壊されてしまいました。イラクでも2003年ごろからずっと国連が入っていたわけですよね。だけれども復興の過程で「イスラム国」という過激派集団が台頭してきてしまって、2014年以降は戦争になってしまったわけです。やはり、国際社会や国連からの意義のある平和構築支援ということに対しては、自分でまだ答えを模索しているところです。

――取り組んでいく中で、やりがいを感じることもありましたか。

はっきりした答えが見つかっていないからといって支援を止めるわけにはいきません。

実際、イラクも南スーダンもそうでしたが、数百万人の人が家をなくして、どこかほかの地域に行くということは、ものすごく大変なことで、水や電気といったインフラにも負担がかかりますし、家はもちろん、学校や病院といったものも受け入れ先で当然ながら不足します。

イラクでは、国連人間居住計画(UN-Habitat)という住宅政策や都市開発の専門機関にいましたので、避難民のための仮設住宅建設や、破壊された住居を戦後に復興したりする住宅インフラに関わるプロジェクトが多かったですね。

国連人間居住計画(UN-Habitat)がイラク・シンジャール地域で修復した住宅の引き渡しセレモニーに出席した前川氏
国連人間居住計画(UN-Habitat)がイラク・シンジャール地域で修復した住宅の引き渡しセレモニーに出席した前川氏=2019年4月、前川氏提供

実際、避難民キャンプや仮設住宅に行って、避難民の方々に話を伺うということをしょっちゅうしていました。目の前に困っている人がいて、何かやらなくてはいけないという状況で、国連職員として働くことができたことは、すごくやりがいがありました。

――現地の安全面はどうでしたか。

国連の場合は、安全管理の規則がすごくしっかりしていて、安全管理専門の部署があるんですよ。専門のスタッフが日々、現地の状況をチェックしていて、「この地域に行くなら防弾車でなければいけない」とか「この地域に行くなら現地の警察や軍隊にエスコートを頼まなければいけない」とか、ルールがすごく細かく決まっているので、それに従っている限り、私自身は危険を感じたことは基本的にはなかったです。

国連人間居住計画(UN-Habitat)イラク事務所に勤務していた当時、国内のプロジェクト現場へ出張する際は、イラク警察による武装警護を依頼することが国連の安全管理規則で義務付けられていた
国連人間居住計画(UN-Habitat)イラク事務所に勤務していた当時、国内のプロジェクト現場へ出張する際は、イラク警察による武装警護を依頼することが国連の安全管理規則で義務付けられていた=2018年12月、イラク・モスル市内、前川氏提供

――いろんな現場に赴任して、16年ぶりに日本に戻られたのが2021年。日本人の国際社会に向ける目や、関心について、気づいたことはありますか。

生活の面ではもちろん日本は恵まれています。お湯が出ない、電気がない、インターネットがないということはほぼないと思いますので、そういった平和で安定した生活を当たり前のように享受できるということはすごく恵まれていると思うんですが、その平和で安定した日本であっても、必ずしもみんながすごく幸せというわけではない点は、やはり考えるべきこと、取り組まなければいけない社会問題があると感じます。

――社会問題というと具体的には何でしょうか。

どれか一つというわけではないんですが、例えばイラクですと、ある意味、今が「どん底」という背景もありますが、若い人たちの間に、「これから国がよくなっていく」とか「これからは復興していくんだ」という前向きなエネルギーがあるように感じたんです。

イラクにいた6年間で、紛争地だったプロジェクトサイトに出張で行くたびに、どんどん復興しているんです。初めは本当にがれきしかなかった所が、次に行くと、なんだかバラックみたいなのが建っている。

次に行ったら家が増えて、しばらくたって行くと今度はお店ができているという感じで。 本当にどんどん復興していて、やっぱりそれは国連や国際社会の支援だけではなくて、現地の人々が本当に自分たちの力でやれることは何でもやるんだという、復興していくパワーをすごく感じたんですね。

一方で、比べるものではないのかもしれませんが、日本に戻ってきて、もちろん戦争があるわけではないですし、恵まれているけれど、自分たちの力でこれからこの国を良くしていけるんだというエネルギーを感じることはあまりないですし、むしろ閉塞感を感じている人が多いのかなという印象がありますね。

国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)駐日事務所
UNOPS駐日事務所が入る国連大学本部ビル=2022年12月20日、東京都渋谷区、渡辺志帆撮影

――UNOPS駐日事務所での任務の中に、国連調達の参加促進などもあります。紛争地域だけでなく、日本にとってもポジティブな影響をもたらすでしょうか。

そうですね、駐日事務所に着任してから、日本政府はもちろんですが、特に日本の企業さんとの連携に取り組むようになりました。

UNOPSでは、例えばインターネットや電気が通じていないような遠隔地でも使えるX線診断機ですとか、いろんな日本の技術力を生かした医療機器や医薬品をたくさん調達させていただいているんです。そういった日本企業の優れたサービスや技術を、もっともっと世界の人々に知って、使ってもらいたいなと思いますし、他方で日本企業にとって国連の調達って、入札書類がすべて英語やフランス語だったりして、まだまだハードルが高いところもあると思うので、そういったところの橋渡しをしていけたらいいなと思います。

――UNOPSの仕事で課題と感じることはなんですか。調達参加のハードルでしょうか。

そうですね。日本はUNOPSだけではなくて、国連全体に対してもすごく大きなドナーなんですね。当然、日本の税金が使われているわけですから、日本の企業さん、ひいては日本の人々にも、もうちょっと裨益(ひえき=利益となること)するよう、日本の企業さんに調達に参加していただくことも意味があるのかなと思います。

国連は毎年約2兆円規模の調達を行っていて、UNOPSだけで、2021年は年間38億ドルを調達しました。

UNOPSとしては、日本企業だけを優遇することはできませんが、例えば国連調達の仕組みを情報提供するだとか、こういうサービス、こういう物が求められていますよということをお伝えすることを通じて、もう少し国連調達に親しみを持ってもらう、知ってもらうお手伝いができたらいいなと考えています。

国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)駐日事務所長の前川佑子氏
UNOPS駐日事務所長の前川佑子氏=2022年12月20日、東京都渋谷区、渡辺志帆撮影

――現場で役立つ物資やサービスを、日本企業ももうかりながら「win-win」の関係を作っていくのが仕事になってくるわけですね。

おっしゃるとおりです。調達品目には、医療機器など日本の強みを生かせるものもたくさん入っています。

――今後、駐日事務所長として目指したいことはなんですか。

UNOPSは、職員数は全世界で約5000人と、40ほどある国連機関でも上位に入っているんです。調達総額でも、38億ドルは2021年は国連機関の中で3位でした。ですから、決して小さい機関ではないんですが、日本での知名度がすごく低いので、まずは、UNOPSについて知っていただくということがすごく大事なのかなと思っています。

それから、国際社会には例えばウクライナ問題や気候変動、ジェンダーなど、いろんな社会課題があり、当然、日本の人々にも深く関わってきます。そういった課題に対してUNOPSがどう貢献できるのかということを知っていただいて、一緒に課題に取り組んでいければと思っています。

国連唯一の独立採算制、徹底したコスト意識

――UNOPSは国連機関の中でも非常にユニークな組織だそうですね。

はい。国連で唯一の「独立採算制」を取っているんです。どういう仕組みかと言いますと、ほかの国連機関は「組織本体」と個別のプロジェクト両方に対して拠出金をもらっているんですね。

ただUNOPSの場合は、UNOPS本体に対する拠出金は一切なく、個別のプロジェクトごとにしか拠出金をもらっていないんです。ですから、例えばアフリカのある国で、プロジェクトを行う3年の間は事務所を開きますが、そのプロジェクトが終わり、他にプロジェクトがなければ、原則として事務所を閉じてしまうんです。もし数年後にまたプロジェクトのお金がついたら、再び事務所を開きます。本当にプロジェクトベースで、すべての運営を行っている組織なんです。

これが、他の国連機関と比べてどういう違いに結びついていくかというと、プロジェクトがなければ収入が一切ないので、コスト意識が非常に高いんです。無駄を出さないように努めていますし、意思決定も速いです。あとは「顧客」の満足度を上げる点をすごく意識しています。

――まるで民間企業ですね。

そうなんですよ。ですから、「パートナー・サーベイ」と呼ぶ、まさに「顧客満足度調査」を日本政府はもちろん、プロジェクトを実施する国の政府や地域住民などUNOPSが実施したプロジェクトのいろんなパートナーに行って、その結果を業務に反映しています。

こうした調査は他の国連機関でもやっているところはあるんですが、これだけ効率性、コストを意識している国連機関ってやっぱりユニークだなと感じますね。

駐日事務所が10年間閉鎖されていた理由 

――UNOPS駐日事務所は、2007年から10年間、閉鎖されていましたが、これはなぜですか。

今の話に出た、基本的にプロジェクトベースで、コスト意識がすごく高いことと関係しています。

1995年にUNOPSが設立されて以来、日本政府からは拠出金が継続して出ていたんですが、一時期かなり減額されたことがありまして、その時に駐日事務所を開いているだけのコストに見合わないという事情でいったん閉鎖されたんです。ですが、その後、再び日本政府からの拠出金が増え始めて、ちゃんと駐日事務所を開いて日本政府との関係を構築する必要があると本部の判断がありまして、2018年に再開しました。

――日本のような経済規模の大きな国の事務所でも、コストを意識していたわけですね。

はい。でも、現在は継続的に日本政府との関係も築いていますし、デンマークにあるUNOPS本部でも、パートナーからの拠出金だけでなく、政治的な関係性も重視しようという流れがあります。日本政府は、国連安全保障理事会(の非常任理事国)にも何度も入っていますし、ドナーとして国際社会の中でとても発言力が高いので、今後も駐日事務所を継続していければと思っています。

正式承認から4日間でウクライナへ緊急支援物資を輸送

――日本は2021年に8500万ドルを拠出していますが、これもプロジェクト単位だったのですか。

はい。当時のレートで95億円くらいです。

国連機関はそれぞれ得意分野・専門分野がありますが、UNOPSの場合はインフラの建設・修復、それから機材の調達と提供、プロジェクト実施を専門としています。UNOPSの特徴の一つとして、さきほどのコスト意識も関わってくるんですが、意思決定がすごく速い。プロジェクト実施までのタイムスパンがすごく短いんです。

例えば、ウクライナ危機に際して20225月に消防庁さんが国内で集められた消防関連の物資を東京からウクライナに向けて輸送したことがあるんですが、消防物資に関して言いますと、日本政府の正式承認をいただいてから4日間で物資を運びました。これは相当早いと思います。

国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)駐日事務所
日本政府の委託を受け、UNOPSがウクライナへ向けて空輸した約30トン分の消防・救助関連資機材の支援物資=2022年5月、ウクライナ・リビウの倉庫、UNOPS駐日事務所提供

国連機関は公的機関なので、複数の人が決裁に関わり、決裁プロセスがとても長いことがあるんです。ただ、紛争地や緊急事態であればあるほど迅速に支援が必要です。UNOPSの強みとしては、必要な支援をタイムリーに提供するためにどうすればいいのか、日々いろんな改良がなされていて、迅速にプロジェクトを実施できる体制が整っていることだと思います。

 日本の人に知ってほしい「From the people of Japan」シールとODAの意義

――UNOPS駐日事務所長として、日本の人々に伝えたいことは何ですか。

私は大学卒業後に国際協力銀行で働いていたんですけれども、その当時から「日本の中でも貧しい人、苦しんでいる人がたくさんいて、日本でお金が必要なことがたくさんあるのに、なぜ海外のために税金を出してODAをやらなくちゃいけないんだ」というご意見もあったんです。今でも当然あると思います。

それは本当にもっともなご意見だと思うんですが、その一方で、日本の税金を使ってやるべき重要性がODAにはあるということを、みなさんにもっと知っていただければと思いますし、日本のODAに関してUNOPSができること、貢献できることを発信して、皆さんと一緒にやっていければなと思います。

例えば、駐日事務所の役割の一つに、世界80カ国以上にあるUNOPSの現地事務所と連携して、日本から拠出金を頂いているプロジェクトを円滑に実施していくことがあります。

日本政府が拠出しているプロジェクトは現在、世界中で約30件ありますが、拠出金で調達した医療機器や車両には英語で「From the people of Japan」(日本の人々から)というメッセージと、日の丸をシールにして貼って、日本のお金で買ったことが一目で分かるようになっているんです。

国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)駐日事務所
日本政府からウクライナに提供された支援物資に貼られた「From the people of Japan(日本の人々から)」と書かれたシール=2022年5月、ウクライナ・リビウの倉庫、UNOPS駐日事務所提供

例えば、イラクや南スーダンでは、難民の人々や現地の人々が、日本のおかげで住む場所ができたとか、日本のおかげで生活が良くなったということへの感謝を本当におっしゃいます。草の根のレベルで世界中の人にそう思ってもらえると、日本と世界各国との関係も良くなっていくと思いますし、日本への好感度も確実に上がっていくと思いますので、日本の税金がこんな風に使われていて、こんな風に現地の人々に感謝されていますということも日本のみなさんにお伝えしていきたと思います。