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「日本では見えない世界」ウルトラクイズに熱中した子ども、選んだ国連という職場 

World Now
ソマリア・モガディシオで2015年12月、ニック・ケイ国連ソマリア支援ミッション代表(中央)と、日本人の同僚と一緒に写る水田愼一さん(左)=水田さん提供

■アフガニスタンに4年、ソマリアに3年

ーー外務省でキャリアをスタートされましたが、外交官を志したきっかけは。

国際的な仕事をしたい、それから公の仕事をしたい、ということがありました。私が中高生の頃は冷戦の終わりの時で、そうした時期に国際政治に関心を持って、漠然と仕事にしたいと思ったんです。帰国子女でもなく、学生の時は英語は好きでしたが留学をさせてもらえる家庭でもありませんでした。それでも合格すれば国際的な仕事ができる外交官試験を知り、目指してみることにしました。

ーー外務省の後は民間のシンクタンク、そして国連ではアフガニスタンやソマリアの支援ミッションなどと様々な組織で働いてきました。それぞれで印象的なことは何ですか。

外務省では、政府の最前線の仕事を経験できました。外国政府の要人が来ると首脳会談に同席することもありますし、外務大臣の国会答弁をサポートする仕事もあります。その中で政治の難しさを実感しましたし、最前線ならではのやりがいがありました。ただ、当時は外務省の不祥事があり、その調査を担当しました。一度官僚組織を出て、違う組織で働く必要があると感じて転職しました。

シンクタンクでは国際調査をしていたのですが、物事を掘り下げて、第三者の立場から色々なことを調べ、考えることができました。地味なんですが、自分にとってはやりがいがありました。また、実は今までのキャリアで一番多くの国を訪れ、様々な人に会った時期でした。クライアントは政府や民間企業など様々で、欧州、アフリカ、中南米など至る所に行って自分の視野が広がりました。

国連では、本当に国連という機関でしか入っていけないところに行き、紛争が起きているところで活動したということがやりがいです。もともと、戦争が目の前からなくなれば経済発展の土台ができ、平和が築かれると考えていましたので、「戦争と平和」に携わりたいという思いもありました。通算でアフガニスタンに4年、ソマリアに3年住みましたが、普通はできない経験です。リベリアではエボラ出血熱が発生し、新型コロナウイルスとは違いますが流行の最前線で仕事をしました。他の組織と違い、国連では色々な国の、色々なバックグラウンドを持っている人と一緒に働いて、意味のある仕事をするということがどれだけ難しいかということを実感しました。

■価値観の押しつけにならないように

2019年10月、アフガニスタンに関するシンポジウムに参加した水田愼一さん(右)=水田さん提供

ーー国際機関で働く上で、気をつけていることはどんなことでしょうか。

内部の人とのやりとりも、また組織外の人と接する時もそうなのですが、一番重要なのは多様性に配慮するということです。みんな考え方が違いますから。折り合いながらどうすればよいのか、ということには気を使います。価値観の押しつけにならないように話を進めると、案外、同じ考えを持っていますね、となることもありますよ。

ーー紛争の当事者と対話するときも、そういうことを考えているのですか。

国連アフガニスタン支援ミッションでは、タリバーンと定期的に対話をしていました。1、2カ月に一度くらいでしょうか。女性の権利などは「西洋の価値観と自分たちの価値観は違う」といったことを彼らは言うんですよね。「価値観は違っても、社会を良くするため女性の役割は重要なのではないか」といった風に問いかけると、「それは確かにそうだ」と意見が一致し、前向きな話ができることもあります。考えの違いを踏まえて、どこでお互いに理解を得られるのか、対話ではそういったことを考えています。

■国際機関はいまの国際社会を映す鏡

ドイツ・ベルリンで2019年6月、米欧と国連アフガニスタン支援ミッションの代表らが集まって和平プロセスについて議論した際の写真。中列左から2人目が水田愼一さん=水田さん提供

ーー国際社会の中での国際機関の意義についてはどうお考えでしょうか。

国際機関というのは、今の国際社会のあり方の鏡です。国家には政府がありますが、国際社会にはありません。その中で、何らかの形で秩序をもたらすためにどうすれば良いのか、ということで国家が協力する組織として国際機関が存在します。たとえどんなに対立していても、協力して解決しなければいけない問題がある限り、国際機関は存在しないといけません。

ーー米国はトランプ政権になって、国際的な枠組みから離れる動きが顕著です。中国も力をつけ台頭してきています。

政治的な意志は非常に重要だと思います。それぞれの国の指導者も、また国際機関の中で働いている人もそうです。国際機関の側からしても、国家間で協力して解決しないといけない課題がこれだけあって一緒に解決しないといけないんだ、と積極的に働きかける努力が必要です。国の指導者にも、一国主義ではなくて国際機関をもっと活用して課題を解決しようと考える人が増えないといけません。

ーー国のリーダーの巡り合わせも影響は大きいのでしょうか。

個人的にはそう思います。運なのか分かりませんが、未来は誰も読めません。ただ私は、国際機関の中で働く人の意志というものが重要だと思っていますし、ポジティブに考えてできることをやっていきたいと思っています。そういう人が世界に増えればまさに運だと思うので、それによって秩序が生まれてくると思います。

■日本にある信頼という力

2020年2月、カタールの首都ドーハでの米・タリバーン和平合意署名式に出席した後に、国連アフガニスタン支援ミッションの山本忠通代表(当時、左から2人目)らとともに記念撮影する水田愼一さん(左)=水田さん提供

ーー今後、国際社会で日本が果たすべき役割について、どうお考えでしょうか。

相対的に経済的な力は衰えていますが、技術分野ではリードしている面もあります。日本が実力を持っている分野で国際的なルール作りを積極的に提案して、世界に広めていくことにもっと取り組めたらいいと思います。また日本は、自国や友好国の利益のためというよりは、国際的な利益のためにがんばっている国だという受け止めをしている国も多いです。信頼という力がありますから、そうした面で、国と国をつないでいく役割を強化する道があると思っています。

ーー最後に、水田さんのように国際機関をめざす若い読者に向け、アドバイスはありますでしょうか。

テレビ番組の「アメリカ横断ウルトラクイズ」を食い入るように見て育ちました。「ニューヨークに行きたいか!」というおなじみのシーンを見ながら、「いつか自分もアメリカに行きたい」と夢見ていたのです。私は帰国子女でもなく、全く国際色のない育ち方をしてきました。それでも、実際に外務省入省後はニューヨークに留学し、今回はニューヨークで働く機会も得ました。学生の頃には想像もできなかった人生を歩んでいます。

日本を出て働くというのは、安定性もなく、またルールも違って、不安に思うことはたくさんあります。ただ、その世界に一歩入ると、これまでとは世界が違って見えるのも確かです。つらいことや逃げたくなることもありますが、忍耐力と、それを楽しむポジティブさがあれば乗り切れます。こういう生き方は誰にでも勧められるものではありません。ですが、そこに踏み出そうという志や気持ちがあれば、それを大切にして下さい。語学などは二の次で、まずは一歩進んでみるというのもありなのではないかと思います。

みずた・しんいち 1971年、東京都生まれ。96年外務省入省。2002年に外務省を退職し、三菱総合研究所入社。11年からは国連職員として、アフガニスタン、リベリア、ソマリアの支援ミッションに携わる。現在は外務省職員として、ニューヨークの日本政府国連代表部で政務を担当。