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「人間の暴力」を知った中1の夏 「紛争を解決したい」気づけば国連職員になっていた

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
国連本部の前で。「重要な会議が続く時は、会議棟の廊下を若手職員が走り回っています。私もその一人」

■傷心旅行で鳴った電話

高橋を組織づくりに駆り立てたのは、16年から1年ほどPKO局地雷対策部のスーダン事務所で働いた経験だった。

現地で暮らす人たちの生の声を聞こうと若者や女性たちを訪ねても、市中で政治に対して口を開くことはなかった。だが、19年春にスーダンで起きた革命では、SNSで多くの人が圧政への怒りの声を上げた。それがうねりとなってデモが組織され、政権が倒れた。

ニューヨークの本部でそのニュースを見聞きし、「国連が時代の変化に取り残されてしまうのではないか」と危機感を強くした。「人々の間で起きている新しい動きを把握し組織的に受け止められれば、人々の悩みや希望に国連がもっと深く結びつくことができるようになるのではないか」

どんな技術が活用できるか。外部から専門家を招いて勉強会を重ねた。取り組みの輪は若手を中心に広がっていった。幹部の目にもとまって組織新設の準備が進んだ。新しい部署の業務内容、求められるスキルなども高橋たちが中心となって取りまとめた。

国連安保理で使われたVR映像を見るための装置=国連提供

一方で、いち職員が巨大な官僚機構でもある国連で前例のない新しい部署を立ち上げることの難しさにも直面した。組織立ち上げの時期に契約期間の終了時期が重なり、組織の板挟みにあう形で高橋は放り出されることになった。

「悔しかったし、残念だし、恥ずかしかった」と当時を振り返る。目立ちすぎたかもしれないと自分を責めた。一方で、組織の新設にまでこぎ着けたことに希望も感じていた。実際にやるのは自分ではないかもしれないけれど、誰かがこの仕事をやってくれるなら良かった。相反する感情を整理できずにいた。

傷心旅行に出ていた10月末、バンコクに向かう夜行列車の中で、携帯電話が鳴った。ニューヨークからだった。「あなたを採用したい。すぐにニューヨークに戻ってきてほしい」

突然のことに驚いたが、努力を見ていた同僚からの後押しがあったのは間違いないと思った。創設メンバーで同僚のダーニッシュ・マスード・アラビは「ナオコはイノベーション・セルにとって欠かせない」という。「テクノロジーの専門家ではないが、常に学び、新しいことに挑戦し続けている。プロジェクトを進めるうえで管理する能力にたけている」

高橋は夜行列車に揺られながら、すぐにノートを広げてこれから何をすべきかをリストアップした。11月は国連の予算申請の時期にあたる。部局の3カ年計画にも「イノベーション」という言葉を盛り込みたい。急がないと間に合わない。頭の中はすぐにやるべきことでいっぱいになっていった。

■国連への信頼を築くということ

イノベーション・セルの同僚らと

20年1月にイノベーション・セルが正式に発足した。SNSでつぶやかれた言葉を自然言語処理という技術を使って分析する手法や、チャット機能に紛争地の住民たちが書き込んだ様々な意見を吸い上げて分類する手法などを用いて、いろいろなところで発信される市民の声を瞬時に政策に反映できるようにした。すでに日常的に職員が政情分析などに使っている手法もある。

今年1月には安全保障理事会の南米コロンビア情勢に関する現地調査報告で、360度撮影できるカメラで撮ったVR(仮想現実)映像が初めて使われた。各国の代表がヘッドセットを通して報告を受けると、「まるで現地に行って視察しているかのようだ」と好評だった。「国連だけでなく、得られた知見を組織の外でも活用してほしい」と、公開に向け様々な機関と交渉を進めている。

国連安保理でコロンビア情勢を議論する際にVR映像が使われた。出席者に装置をつける高橋=国連提供

「やれることがあるならやってみる」が信条だ。テクノロジーについて専門的に学んだことはない。ビデオ撮影などやったこともないが360度撮影できるカメラを手にスーダンに飛ぶ。ある紛争についての各国政府の公式見解を網羅して示せるツールがあれば便利だと思えば自ら作る。「イノベーション・セルの業務で大事なのは『相互補完』だ」と高橋はいう。従来のやり方では届かない声を拾い、可視化しにくいものを見えるようにし、それらを組み合わせることで情勢を正確に把握できる。

一方で、テクノロジーが万能ではないことも身にしみている。

かつて中央アフリカ共和国で国連が公聴会を開いた際、高橋は事務総長補佐を務める女性幹部と2人で、ジャングルの奥地にある村を訪れた。現地に初めて警察官が派遣されてくることについて、周辺の武装勢力の代表者や住人の女性グループ、支援者団体など、様々な人たちから意見を聴いた。

幹部は一日中飲まず食わずで、代わる代わる訪れる住人らの声に耳を傾け続けていた。体調を心配する高橋に、「ここに集まってくる人たちは、遠くから来ている。おそらくみんな飲食していないでしょう。だから私たちがものを飲んだりしている姿を見せてはいけません」と幹部は言った。国連への信頼は、彼女のような職員らによる地道な対話の積み重ねで築き上げられてきたのだと、肝に銘じた。

ロシア留学時代に参加した模擬国連の会議で。ブラジルからの留学生(左)は外交官になり国連で参加した=本人提供

「紛争を解決したい」という一心で努力を続け、気づいたら国連職員になっていた。戦争や紛争といった人間の暴力について考えるきっかけになったのは、中1の夏休みに起きた事件だった。部活終わりに一人で家族を待っていた路上で突然気配を感じ、振り返ると見知らぬ男がじっと見ている。怖くなって駆け出すと追いかけられ、路上に押し倒された。「ここで死ぬのかな」。そう思った矢先に家族が見つけて警察に通報した。それから生と死、そして暴力について思いをめぐらせることが多くなった。

高校生の時にイラク戦争が起き、身の回りの暴力から、圧倒的な暴力を生み出す構造に目が向くようになった。資源をめぐる争いとはいったい何か。そうした関心から資源大国であるロシアを学ぶ大学を選び、ロシアの石油ビジネスを手がける商社で経験を積んだ。大学院では国際安全保障について学んだ。

暴力をめぐる問題を解決することは途方もなく難しい。資源をめぐる争い、女性への暴力、テロリズム……、さまざまなかたちの暴力があり、異なる恐怖のかたちがあることを現場で感じてきた。「圧倒的な暴力を前に、自分に何ができるのか悩むこともある。それでも、ずっと向き合って考えていきたい。必ずどこかに解決手段はある。それを探し続けていきます」(文中敬称略)

国連職員の高橋尚子さん

NYはスケートブーム…幼少期はフィギュアスケートの練習に明け暮れていたが、いま履くのはインラインスケート(ローラースケート)靴だ。コロナ禍のニューヨークでは、手軽に近所で楽しめるスポーツとしてインラインスケートの人気が再び高まってきており、「急におしゃれなスポーツに格上げされて戸惑っている」と話す。休日や業務の後にマンハッタンを駆けているうちに、地元最大のスケートコミュニティーの運営委員まで務めるほどになり、「履歴書に書けない特技が増えた」。

家に帰ればロシア語…モスクワ大留学時代に学生寮で出会った夫はロシア人。家に帰れば話すのはロシア語だ。スペイン語など他の国連公用語と比べてロシア語が堪能な日本人は国連の中でもめずらしいという。ロシア語は「つらい時に冗談を言うには最適な言語」だという。

仲間とインラインスケートを楽しむ高橋(赤いシャツの女性)©Edward Vargas

■プロフィル

  • 1986年 新潟市で生まれる。10歳以降は横浜市で育つ
  • 2005年 上智大学外国語学部ロシア語学科に入学
  • 2007年 モスクワ大学に1年間留学
  • 2010年 丸紅に入社し、ロシアの石油化学プラント事業を担当
  • 2014年 米コロンビア大学大学院に留学し、国際安全保障を専攻
  • 2016年 国連PKO局地雷対策部スーダン事務所の公募に合格。1年ほど現地に勤務
  • 2017年 ニューヨークの国連本部に移り、アフリカ、旧ソ連などの地域を担当
  • 2020年 国連政務・平和構築局内にイノベーション・セルが発足