戦い続ける兵士の疲労と兵役逃れ ロシアの全面侵攻から3年、ウクライナで広がる危機

外出禁止が解かれたばかりの午前5時すぎ、プラットホームの明かりに迷彩服の人影が浮かんだ。2月15日、ウクライナの首都キーウの気温は零下だった。白い息を吐きながら、数人の兵士たちが歩いてくる。列車に上がるタラップの前や、車両の奥にあるデッキで、付き添った家族や恋人たちと別れの抱擁を交わした。
キーウ旅客駅(中央駅)からロシア軍との戦闘地域がある東部方面への列車は、発車時刻が未明から明け方に集中する。ホームでの別れは、ここで毎朝繰り返されている光景だ。
短い休暇を終え、部隊に戻る38歳の夫を見送ったオリハさん(31)は「私の希望は国と私の家族の未来。何より願うのは……」と言って声を詰まらせた。列車の行き先は、守勢のウクライナ軍にロシア軍が激しい攻撃を加えていたロシア南西部クルスク州に近い北東部の都市スーミ。「今の気持ちは聞かないで」。オリハさんは涙声だった。
ウクライナでは、2013年にいったん徴兵制の廃止が決まったが、翌2014年に南部クリミア半島が併合され、親ロシア派武装勢力の東部占拠などロシアの軍事介入で再開を余儀なくされた。2022年2月24日の全面侵攻で戦時体制が導入されると、今度は20~27歳を対象に定期的に行われていた徴兵が停止され、27~59歳の幅広い年代を対象にした兵士動員が始まった。
それまで個別に設定されていた兵役期間も「戦時体制解除まで」とされ、事実上の無期限に変わった。だが、当時は侵攻が長期化し、軍との契約が実質「戦場への片道切符」になるとは想定されていなかった。
オリハさんが夫を見送って10日後の2月25日朝、キーウ中心部の官庁街に近い広場に約20人の女性が並んだ。「戦士は奴隷じゃない 公正で、明確な兵役期間を」。思い思いのプラカードを手に大統領府の建物を見上げた。ほとんどが、ロシアの全面侵攻の初期から戦場にいる兵士の妻や母、恋人たちだ。
中部ポルタワから来たテチャーナさん(47)は、病気で早期除隊になったソ連時代の徴兵経験しかなかった夫ワディムさん(52)が、侵攻の初日に「国と家族を守る」と決め、自ら地元の徴兵事務所へ行って志願兵となった。
全面侵攻の当初、ウクライナ全土の徴兵事務所に、ワディムさんと同じように、自らロシアと戦うと決意した人々が殺到。圧倒的に不利な状況にあったウクライナ軍が、大方の予想を覆してロシア軍に抵抗を続けることができたのは志願兵らの士気の高さに支えられたからだ。だが、1年半を超えたころから、前線で戦い続ける兵士の疲弊が問題になり始めた。
ワディムさんは3年経っても除隊できないでいる。1年目に15日、2年目は10日間だけ休暇で帰宅したが、昨年は全く任地を離れられなかった。テチャーナさんは激戦地の東部バフムートから30キロの街まで行き、2日間だけ夫に会った。「誰も彼と交代できないのはおかしい」
キーウ在住の市民団体代表ナタリヤ・カルホポルツェワさん(38)の夫(40)は軍隊経験はなかったが、2022年3月、郊外にロシア軍が迫る中、軍に志願。1年を過ぎたころから、作戦任務の合間に電話で連絡を取ると「眠れない」とこぼすことが多くなった。兵士の疲労に関する資料を探す中で、戦闘地域で7カ月以上兵役に就く兵士の61%が適応障害を起こしていると指摘する国防省付属研究機関の調査文書を見つけた。カルホポルツェワさんは昨年10月、他の市民団体と兵役に期限を求める公開書簡を大統領府や議会に送った。
侵攻当初から戦う兵士を除隊させたり、前線の兵士を後方の兵士と交代させたりすることができないのは、動員がうまくいかず、兵士が不足しているからだ。議会は昨年春、対象年齢の下限を25歳にまで引き下げ、対象者に電子登録を義務づける法を成立させた。ただ、兵役逃れは後を絶たない。侵攻開始から時間が経ち、自ら軍に志願する人のうねりが収束すると、何とか戦場行きを回避しようとする人たちの動きが際立ち始めた。
戦時体制が導入された時から18~59歳の男性の出国は原則禁止されたが、あの手この手で国外脱出を図る動きが続いた。一部の徴兵事務所で高額な賄賂と引き換えに動員対象者に兵役逃れのための書類を発行していた幹部が摘発され、ゼレンスキー大統領が兵招集に責任を持つ各州の軍事委員会トップを一斉に解任したこともある。
それでも、問題は深刻化した。登録住所から住居を移すだけでなく、街で徴兵事務所関係者に声をかけられるのを避けるために自宅にこもる男性も増えたことが社会問題化している。偽装離婚も増えたとされる。幼い子どもを養育する「一人親」は動員の対象外となるからだ。カルホポルツェワさんは、夫のように3年間も戦闘地でウクライナを守る兵士らが兵役を逃れる人々のために休むこともできない現状が「信じられない」という。
声を上げにくい戦時下で、動員拡大を恐れる人は多い。昨年の法案審議では当初、除隊や休息を望む戦地の兵士らの要求を受け、36カ月の兵役期限を設ける項目が盛り込まれたが、審議の最終段階で政府の要請により削除された。現役兵士の除隊を進めることで現状の兵員規模が維持できなくなったり、補充のための動員拡大で社会にこれ以上動揺を広げたりするのを恐れたとみられる。
一方で、これ以上の動員対象年齢の拡大も難しい。ソ連崩壊後の経済苦境を経験したウクライナは、15~35歳の人口が他の年代に比べて極端に少ない。現在対象外の18~24歳は、これからの子育てと将来の経済を担う世代。彼らを戦場に送ることは、国の未来に関わる。
昨年9月、1人の若者の「脱走宣言」が波紋を呼んだ。東部の数々の激戦地でドローン(無人機)の操縦士として前線に立ったセルヒー・フネズジロウさん(24)がSNSで部隊離脱を宣言。「負担を分かち合う公平な動員政策が必要だ」と訴えた。2019年、東部で続く親ロシア派武装勢力との紛争で軍に志願して以来、5年も除隊されないままだった。
フネズジロウさんは翌月、キーウで拘束され、公判中の今年2月に部隊に復帰することを宣言した。法廷で弁護を務めた弁護士のアナスタシヤ・ブルコウスカさんは「同じ状況に置かれた多くの兵士たちが部隊を離脱している。セルヒーはそれを公にすることで彼らの重荷も背負い、問題を訴えた。彼が求めたのは、政治家の決断だ」と話した。