「徴兵された兵士たちは(ウクライナでの)軍事行動に参加していないし、これからも参加することはないと強調しておきます」
国際女性デーの3月8日、プーチン大統領は女性たちへの恒例の祝辞でこう断言した。これより前、ウクライナ侵攻に徴兵された若者たちが派遣されているとの指摘があり、そうした批判をかわす意図があったとみられる。
大統領は、派兵されるのはプロの将兵である契約兵のみだと述べた。一方、徴兵された兵士は徴集兵と呼ばれ、入隊後、約4か月しか訓練を受けず、本格的な作戦は難しいからだ。
ところがこの翌日、ロシア国防省の報道官は派遣部隊に徴兵された兵士がいることを明かし、次のように述べた。
「残念ながら、徴集兵のいるロシア軍部隊がウクライナで特別軍事作戦に参加しているという事実が、いくつか発覚した。後方支援の任務に当たっていた部隊の一つが敵に攻撃され、徴集兵を含む多くの軍人が捕らわれた」
実は、徴集兵が作戦に参加するのではないか、という疑いは開戦前から浮上していた。徴集兵の人権を守る活動をしているNGO団体「兵士の母の会連合会」(本部・モスクワ)は侵攻開始4日前の2月20日、モスクワ近郊の部隊に所属する徴集兵たちがウクライナ国境まで移動したことを公式サイトで次のように報告した。
約100人の徴集兵 ドルビノ駅の構内で飢えている 兵士の母の会連合会のホットラインに、ドルビノ駅(ウクライナ国境沿いのロシア西部の駅)の構内に、第4親衛戦車師団(司令部・モスクワ州)の契約兵と徴集兵が100人以上いると、地元住民から連絡があった。兵士たちはすでに5日もとどまっており、自腹で食料を買っているが、金がつきた兵士もいるという。
兵士用の携帯食はどこにもなく、いつ届くかもわからない。住民が証拠の写真を送ってくれた。たくさんの戦士が、缶詰に入ったニシンのように、狭いところにいる。タイルの床にじかに寝ている。食料も手を洗う水もない。
「母の会」は軍司令部に善処を求めたが、状況は変わらず、翌2月21日には兵士たちが目的地へ派遣された、との連絡を受けたという。
「母の会」のスベトラーナ・ゴルブ会長は侵攻が始まった2月24日、公式サイトに次のようなコメントを発表した。
「法律上、徴集兵は軍の作戦に関われない。しかし、事実は異なる。ロシアで徴兵された兵士が、本人が知らないうちに契約兵とされ、国境を越えさせられた例があり、今回もそうなっている可能性は十分ある」
軍は沈黙を続けたが、開戦後も新しい情報が次々と明らかになった。ウクライナ・プラウダ(3月9日付)は、投降したロシア兵の発言を紹介した。
「徴兵された兵士たちが本人の同意なしで契約兵にされ、ウクライナで戦っている。我々はプーチン大統領がウソをついていることの生きた証拠だ。ウクライナでは契約兵だけが参戦していると彼は言ったが、全く違う」
ロシアの別のNGO「ロシアの兵士の母委員会」は、プーチン大統領の発言を疑問視する公式声明を出した。
「プーチン大統領は、ウクライナの特別作戦に派遣されるのは契約兵だけだと述べた。しかし、作戦地域へ徴兵された兵士を、だまして送り込もうとする指揮官についての(母親からの)訴えが、毎日、私たちに寄せられている。私たちは、軍検察、国防省とともに、すべての訴えについて解明にあたっている」
徴集兵の母親による抗議は地方でも起きている。英国紙テレグラフやラジオ局「スバボーダ」などによると、ロシア南部のケメロボ州で、兵士の母親たちがツィヴィリョフ州知事と面会し、次のような厳しいやりとりを交わしたという。
母親 みんな騙された。
知事 誰もだましていません。
母親 大砲の餌食になるため送られた。ベラルーシで演習なんてやらなかったのでは。準備もできていなかったのに、なんで若者が送られたんですか。みんな20歳ですよ。
知事 これは特別な作戦で、誰もコメントはしないんです。それは正しい。彼ら(若者)を使ったのは...
母親 「使った」って!私たちの子供を「使った」のですか。
知事 彼らは、特別な任務を与えられて、そのため努力しているのです。
母親 彼らは自分の任務を知りません。
知事 叫ぶことや、誰かを批判したりすることはできますが、今行われているのは軍事作戦です。結論めいたことを言ったり、批判したりしてはいけません。作戦はまもなく終了します。
母親 その時には、みな死んでいる。
ロシア社会では、徴兵された若い兵士たちが戦地に派遣されることには根強い反発がある。ソ連崩壊3年後の1994年、ロシアでは南部のチェチェンで独立を目指す武装勢力と政府軍とで内戦(第1次チェチェン紛争)が起き、未熟な徴集兵たちが多数戦死したからだ。
この際、政府に撤退を求めたり、反戦活動をしたりしたのが兵士の母の会だった。紛争はチェチェン側の根強い抵抗で泥沼化し、一時休戦となったが、母の会からの「圧力」も政権にとっては無視できない要因だった。
自ら非を認めることの少ないプーチン政権が今回、徴集兵の派遣を明かして迅速に関係者の処分に着手したのも当時の教訓があったためとみられる。
一方、ウクライナ側はこうした「弱点」を突く手法を採っている。ゼレンスキー大統領は3月12日、メッセージアプリ「テレグラム」で、ロシア人の母親に対し、「特に徴兵者の母親たちに言いたい。外国との戦争に息子たちを送らないで。あなたたちの息子がウクライナとの戦争に派遣されたという疑惑が少しでもあるなら、即座に行動を起こして下さい」と呼びかけた。
ロシア軍は兵器や兵員数でウクライナ軍を圧倒しているものの、士気が低いとの指摘もある。
米紙ニューヨーク・タイムズ(3月7日付)は「ロシア兵の死者は少なくとも3千人」にのぼり、「15万人あまりのロシア軍の多くを徴集兵が占める」と伝えた。
4月1日、今年春の徴兵が始まる。兵士の母の声が広がり、徴兵がうまくいかないようなことがあれば、プーチン政権にとって戦争継続の妨げになりかねない。
ロシアの徴兵制
ロシア紙イズベスチアなどによると、総勢約90万人のロシア軍のうち、7割が契約兵、3割が徴集兵。徴兵は春と秋の年2回実施され、任期は1年。
国防省によると、昨年は計25万5千人が徴兵対象になった。ただ、医師の診断書などをつくって「兵役逃れ」を助けるサイトもネット上にあり、実際に徴兵に応じた人は、もっと少ないとみられる。ソ連時代から長らく続いてきた新兵のいじめ問題などが影響しているとみられる。
プーチン政権は軍の近代化の一環として、徴兵制から完全契約兵制へと移行する計画を立てていたが、いまだに実現できていない。