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災害対応「先進国」イタリア 脱・自治体任せの避難所運営、被災者への温かい食事も

World Now 更新日: 公開日:
イタリア市民保護局の本部では、常に全国の災害をモニターしている=2025年2月、イタリア・ローマ、筆者撮影
イタリア市民保護局の本部では、常に全国の災害をモニターしている=2025年2月、イタリア・ローマ、筆者撮影

日本と同様に地震をはじめとする災害の多い国、イタリア。災害が起きた時だからこそ快適にすべきという発想が根本にある。国が音頭をとって対応をし、災害があればそれを機会としてさらに進化している。

イタリアの首都ローマから車で約1時間半。イタリア中部の海岸沿いの街、人口約1万6000人のタルクイーニア市は、ミニョーネ川とマルタ川の下流に位置する。

2月12、13日に豪雨とひょうが降り続いた。テレビディレクター、アレッサンドロ・サクリパンティさん(54)は、14日午前2時に携帯電話で起こされた。PC  ITALIA」のリーダーでもある。メンバーに連絡をとり、救援活動の安全が確保できる明け方を待って集合。「川があふれて住民が家に取り残されている」との続報を受けて出動した。

アレッサンドロ・サクリパンティさん=2025年2月、イタリア・タルクイーニア、筆者撮影
アレッサンドロ・サクリパンティさん=2025年2月、イタリア・タルクイーニア、筆者撮影

ドローンを飛ばし状況を確認、ゴムボートで男性1人を助け出した。「これ以上は自分たちのできることを超えている」とヘリによる救助を消防隊に要請した。倒木の処理や道路の排水などを行い、11時半にいったん撤収した。

災害ボランティアネットワーク「AEOPC」のメンバー=2025年2月、イタリア・タルクイーニア、筆者撮影
災害ボランティアネットワーク「AEOPC」のメンバー=2025年2月、イタリア・タルクイーニア、筆者撮影

イタリアはベズビオ山の噴火で古代ローマのポンペイが灰に埋もれ、地震も頻発するなど日本と同じように災害の多い国だ。

市民保護局が発足したのは1982年。きっかけの一つは3000人以上が亡くなった1980年のイルピニア地震だ。「ボランティアや政府が出動したが、統率がとれず混乱。調整機能が重要だとわかった」とルイジ・ダンジェロ同局緊急事態管理部長。

翌1981年にはローマ近郊で6歳の男の子が井戸に落ちて亡くなる事故が発生。自然災害ではなかったが、連携した救助ができなかった。救出活動はテレビで実況中継され、司令塔と調整役の必要性を訴える世論が高まった。首相に直結し強い権限を持ち、各省庁の調整をする市民保護局が設立された。自治体任せだった避難所も、同局が統括して運営するようになった。

各州や自治体にも支部があり、ローマの本部では常に全国の災害をモニターして自治体と連携しながら予報や警報を出す。1998年のイタリア南部サルノ市での豪雨と土砂崩れでは住民が危険を知らされずに大きな被害を出した。その後、事前に警報を出す仕組みが構築された。

ボランティアとも緊密に連携している。同局には全国4000のボランティア団体が登録しており、総勢約300万人。訓練も共に行い、いざというときには冒頭の例のように協力しあって救援にあたる。ボランティアが出動すると、勤め人の場合は、企業は有給休暇扱いにしなければならず、自営業の場合は税控除がある。

市民保護局の建物の地下には常設の緊急時の災害対策本部用の部屋がある。本部には政府、電気や通信などインフラ企業、ボランティアの代表も出て情報を共有し、対応を協議する。

災害が起きた時には、全国一律で水準の高い避難所運営ができるよう、各地に備蓄庫が整備されている。アブルッツォ州のアベッツァーノ市にある最大の備蓄庫の一つを訪れた。広さ1800平方メートルの倉庫が三つあり、食料品や、衣料品などの生活用品から発電機、キッチンカー、トイレ、シャワー設備、テントまで、4000~5000人が1週間快適に生活できる物資がある。

アベッツァーノ市にある備蓄庫。避難所で快適に生活できるためのありとあらゆるものが備えられている=2025年2月、イタリア・アベッツァーノ、筆者撮影
アベッツァーノ市にある備蓄庫。避難所で快適に生活できるためのありとあらゆるものが備えられている=2025年2月、イタリア・アベッツァーノ、筆者撮影

「緊急時には生鮮食料品は3、4時間で準備できる。どこの備蓄庫から被災地に向かうかは市民保護局が調整し、備蓄庫は空にしない」と、備蓄庫を管理する赤十字の職員、ジャンルーカ・サイッタさん。避難所の設備や救援物資は12時間以内に被災地に到着することをめざす。

避難所設備の水準も日本からみれば、非常に高い。寝るのは家族か知り合いごとのテント内のベッド。温かいシャワーとトイレがあり、キッチンカーでつくった食事が出る。今回取材したタルクイーニア市のAEOPCの事務所で、災害時と同じという食事をいただいた。ベーコンのトマトソースパスタ、グリーンサラダとハンバーグの2皿で、とてもおいしかった。

AEOPCの事務所でいただいた、災害時に出されるものと同じというパスタ。あたたかくておいしい。これにハンバーグとサラダもつく=2025年2月、イタリア・タルクイーニア、筆者撮影
AEOPCの事務所でいただいた、災害時に出されるものと同じというパスタ。あたたかくておいしい。これにハンバーグとサラダもつく=2025年2月、イタリア・タルクイーニア、筆者撮影

2009年にあったラクイラの地震で被災したイオシフ・ウサロさん(57)は「避難所暮らしは、同じテントに他にカップルが2組いて全部で9人。プライバシーがなくて全然良くなかった」。

ラクイラで被災後、仮設住宅に住むイオシフ・ウサロさん(右)と娘のマリネッラさん=2025年2月、イタリア・ラクイラ、筆者撮影
ラクイラで被災後、仮設住宅に住むイオシフ・ウサロさん(右)と娘のマリネッラさん=2025年2月、イタリア・ラクイラ、筆者撮影

しかし、それを除けば「最初は食事のために並ばねばならなかった。でも2週間くらいで食堂ができると、最初から座れて温かいチキンのオーブン焼きやパスタ、モッツァレラのサラダなどが出ておいしかった」

ウサロと家族は現在も仮設住宅に住み続けている。仮設といってもマンションのようなつくりで、5人家族で100平方メートル、トイレとお風呂は三つ、基本的な家具は備え付けだ。

モデルルームを見学したが、普通のマンションのようだった。「家賃が月15ユーロと格安で快適なので……」とウサロさん。市の職員は「仮設は10年もつようにつくられています」。

2009年のラクイラ地震後に作られた仮設住宅。ごく普通のマンションのようだ=2025年2月、イタリア・ラクイラ、筆者撮影
2009年のラクイラ地震後に作られた仮設住宅。ごく普通のマンションのようだ=2025年2月、イタリア・ラクイラ、筆者撮影

災害があればそれを機会にして反省を次回に生かし、改善する。国が一律に行っているからこそだ。イタリア市民保護局のダンジェロさんは強調する。「私たちは小さな部隊ですが、予算を持ち、強い権限があって調整をする。大切なのは政府や民間のセクターを超えて協力しあうこと、被害にあった自治体の意向を尊重しながら中央政府が手をさしのべることです」