■スーパー官庁なのか 復興庁をめぐる誤解を読み解く
復興庁は2012年2月に誕生した。その役割を「理解」するのには、陥りがちな「誤解」から読み解く方がわかりやすいかもしれない。
一つは、復興に関して強大な権限を握る「スーパー官庁」という誤解である。確かに、復興庁は復興予算を一括して「所管」するが、自ら執行に関わる予算額はごく小さい。他府省や自治体からの出向者が中心の職員数は700人弱。国土交通省や農林水産省、厚生労働省など数万人規模の役所とマンパワーは比べものにならない。
形式的には内閣官房や内閣府と同じ序列で、他省庁より「格上」。復興庁のトップは首相で、復興相は他省庁への勧告権限を持つ。ただし、使ったことはない。「使うようになったら終わり。お互いの言い分を調整し、気持ちよく仕事をする」と事務次官の岡本全勝(まさかつ)。復興庁設置法では各省庁からの権限移譲は小幅で、政策の企画立案や総合調整が任務になった。
復興の大きな枠組みは、発足の8カ月近く前に、官邸の「復興構想会議」で決まっていた。復興庁は、「同じ場所で、より安全なふるさとを再生する」という目的地に向けて敷かれた道の上を走るしかなかったとも言える。それでよかったのか。
では、実際にどんな役割を果たしているのか。岡本は「電話交換手」と「フロンティア(未開拓地)の開拓」と表現する。
霞が関の各省庁には、専門分野がある。被災地だけ切り分け、すべてを一つの組織がつかさどるのは非現実的だ。であれば、被災地からの要望をまずは受け付けて、各省庁にきっちり割り振る。だが、各省庁の間にこぼれ落ちる課題が出てくる。その一つが、「コミュニティーの再建」だ。被災者が孤立し心身の健康を失う例が後を絶たない。ならば、その心のケアや、住民同士のつながりの再生までも、「行政のフロンティア」として取り組もうというのだ。ただ、開拓だけに手間がかかる。予算も、インフラ整備と比べてずっと少ない。
もう一つ誤解があるとすれば、復興庁と原発災害との関係だろう。政府には復興庁とは別に、「原子力災害対策本部」があり、経済産業省などが実務を担う。廃炉・汚染水対策、避難指示区域の被災事業者の支援はこの本部の役目。除染や汚染廃棄物処理は環境省の仕事だ。このため、福島での復興庁の存在感は岩手、宮城の両県に比べて薄い。(浜田陽太郎)
(文中敬称略)
■福島で「ワンモアストップ」脱するか
復興庁をつくった狙いは、省庁間にまたがる復興事業の窓口を一本化して「ワンストップ」で事足りるようにすることだった。
2012年2月の発足当時、福島県知事の佐藤雄平は「これまでは縦割り行政でスピード感がなかった。復興庁が省庁の中で優位に立ち、復興をどんどん進めて欲しい」と期待を述べた。
それから4年。福島では「余計にひと手間かかる『ワンモアストップ』ではないか」という不満が根強い。ある県幹部は「復興庁は予算の使い道を独断で決められず、結局、各省庁と相談しなければならない。要は親身になって話を聞いてくれるだけの存在だ」と解説する。
背景にあるのは原発被災地、福島特有の事情だ。放射線量を減らす除染作業を管轄するのは環境省。原発の廃炉は経済産業省(資源エネルギー庁)。避難指示の解除は内閣府、といった具合に、津波被災地以上に、多くの省庁が関わっている。復興庁事務次官の岡本全勝も「放射能という大水が引いていないため、うちの出番がない地域がある」と話す。
それでも、13年度から福島独自に使える交付金が生まれ、復興庁の存在が少しずつ感じられるようになった。楢葉町でのサケ漁に必要な孵化(ふか)場の復旧や、広野町で住民の帰還を後押しするためのビジネス拠点向けビルの建設などは復興庁の交付金でまかなわれている。
15年末、復興大臣の高木毅は、楢葉町を訪れた。この町は昨年9月に避難指示が解除されたが、元の人口の6%程度にあたる400人あまりしか戻っていない。高木は東京電力福島第一原発の廃炉技術を開発する施設を視察し、「ここを核に関連産業の集積が進んで、復興が前進することを期待する」と述べ、帰還を後押ししたい考えを強調した。
復興庁の地元機関、福島復興局は30人でスタートしたが、いまでは140人規模だ。住宅確保など避難者の生活支援や、自治体の復興計画づくりの手伝いなどにあたる。次長の白井基晴は「ワンモアストップと言われているのは知っている」と認めたうえで、「具体的な事業や予算は相場観を持つそれぞれの省庁が判断する。復興庁は自治体に寄り添う『窓口役』に徹して、住民のニーズに応えていくしかない」と話す。「ワンモアストップ」から脱却できるかどうかが問われている。(川原千夏子、長橋亮文)
(文中敬称略)
■「心の復興」にも国の予算
「ゴーストタウンから死者は出ない」。慶応大教授の小熊英二は同名の本に収録した論文で、東日本大震災の被災地で人命尊重の名のもとコンクリートで覆われた町が、高齢化と過疎化でいずれ無人の地となりかねないと警鐘を鳴らした。
ハードの公共事業には多額のカネが使われるが、生活を支えるソフトへの投資は十分なのか。
復興庁事務次官の岡本全勝も悩んだ。「インフラはカネをかければ戻るが、町のにぎわいは戻らない。震災前から、10年で10%以上人口が減ると予測されていた地域をどうしたらいいのか」
復興庁の説明資料では復興加速化の取り組みとして「被災者支援 見守り、心のケア、コミュニティ形成支援」が一番目に書かれている。とはいえ、この枠の来年度予算案は1000億円強で、「住宅再建・復興まちづくり」の1兆円強の10分の1以下だ。
防潮堤や道路などの公共事業へは、国交省や農水省から自治体を通じて建設業者に予算が流れる太いパイプがある。だが、被災者の心と体の健康を守り、コミュニティーを再構築する仕事には「担当官庁がない」と岡本。この分野を「行政のフロンティア」と呼び、復興庁はNPOなどと連携して「暮らしの再建」を推進しようと取り組んできた。
だが、フロンティアだけに予算を流すパイプはまだ細く、目詰まりを起こしやすい。
昨年11月26日、JR仙台駅前のビルで「心の復興交流会」という会議が開かれた。集まったのは被災者支援に携わるNPOの代表者30人余と市町村の担当者たちが25人ほど。復興庁側が交付金について説明した。
「活動が複数の自治体にまたがる場合は、どうしたらいいか」など、熱心に質問する参加者がいた。伊藤寿郎(55)。元商工会職員で、いまは宮城県内陸部に拠点を置くNPO、「故郷(ふるさと)まちづくりナイン・タウン」の事務局長だ。
仮設住宅に入居する沿岸部から来た被災者と地元住民の交流を目的に、耕作放棄地を利用した野菜栽培をしているが、自治体を動かす難しさを痛感している。「まず、担当課が復興庁の交付金の情報を知らない。自治体負担がないからと持ちかけても、前例がなくて難しいとか、市の予算編成に間に合わないとか、できない理由を言われてしまう」と嘆く。
今年度は、自治体を通した交付金をあきらめ、国から直接、事業を受託した。伊藤のNPOを含めて40団体が、復興庁と直接、数百万円規模の請負契約を結んでいる。総務省出身の担当参事官の牛島授公(さずきみ)は「自治体の理解が進まない中で、どうしても支援したい活動がある」として、来年度も復興庁とNPOを直結するパイプは残す考えだ。
子育て支援NPO「マザー・ウイング」の理事、小川ゆみ(47)は、配布資料を見て反発を覚えた。子どもの健全育成事業として、家族でロボットをつくるイベントが例示されていたからだ。
震災のストレスを引きずり、孤立感を深める親の継続的なケアこそ本丸。そう考え質問に立った。「私たちがやっているのは、乳幼児の親の日常的な支援。国の資料に明示してもらえないか」
牛島は「支援したい気持ちはある」としつつ、こう加えた。「ただ、国の予算でどこまでするのかという問題はある。みんながやったら予算がもたない」。フロンティアの試みには、高齢者や子どもを地域で支えるという日本共通の課題を、復興庁が被災地で先取りしている面もある。どの活動を「復興」名目で国が支援するのか、線引きは難しい。
会議から数週間後、小川のもとを、一般社団法人「みやぎ連携復興センター」の職員が訪ねてきた。復興庁とNPOを結ぶ「中間支援」の役割を担う職員は、小川らの活動を2時間かけてヒアリングし、交付金が使えないか一緒に検討してくれた。小川は「これが大事だと言うだけではダメなんですね。何をどう提案すれば通るのか、行政の言語をわからないと」と話す。
中間支援組織の大切さを含め、復興庁にNPOとのつきあい方を指南した一人が、田村太郎(44)。阪神大震災を機に関西を拠点に外国人支援を続けてきた。NPOダイバーシティ研究所の代表理事と、復興庁の復興推進参与の名刺をあわせ持つ。「行政が事業の内容を定義して予算を確保し、実施をNPOに請け負わせるなら従来型の『発注者と業者』で、対等な関係にはならない」とクギを刺す。
「対等な関係」はどうしたら実現するのか。被災地の課題解決のためNPOや行政、企業を結びつけてきた社団法人RCFの代表理事で、やはり復興庁の政策調査官をしたことがある藤沢烈(40)は指摘する。「NPO側に、自分の専門分野で問題をいち早く把握し、解決策を行政に提案する力量が必要です。それも政策が決まった後、ではなくて決まる前に」(浜田陽太郎)
(文中敬称略)
■民間の力で起業の街に ニューオーリンズ
米ルイジアナ州ニューオーリンズは2005年、ハリケーン・カトリーナの直撃で、45万人が住んでいた市の8割が浸水する壊滅的被害を受けた。減少傾向だった人口はさらに半減、雇用は3分の1が失われた。復興はなお途上といわれるが、いま大きな注目も浴びている。逆境をバネに全米屈指の起業の街に生まれ変わったからだ。牽引したのは、民間の力だった。
市中心部から少し離れた大通りに、連日にぎわうショッピングセンターがある。有名スーパーのほか、地元大学の医学部が栄養学にもとづく料理法を教える教室などが入っている。約6000平方メートルの建物はもともと雑貨店だったが、被災後は荒れ放題になっていた。地元の起業家が率いるNPOが乗り込んで2014年秋、地域の食の拠点としてよみがえらせた。
「この辺りでは新鮮な食品が手に入らないことが長らく大きな課題になっていたんです。150人分の雇用も生まれたんですよ」。案内してくれた「ルイジアナ財団」理事長のフロゼル・ダニエルズ・ジュニアは説明する。
センターの再生計画は6年前、財団が2万5000ドル(約300万円)をNPOに助成したことから動き始めた。投資や財務のプロを擁する財団は、ビジネスが成功するよう専門的な助言も与える。行政は先行きに確証のない起業に安易に税金を出せないが、財団の支援が呼び水になって事業が軌道に乗れば安心して復興資金を提供できる。「我々は役所ほど大きな予算は持っていない。だが資金を集める環境づくりは、少ないおカネでもできるのです」とダニエルズ。最終的に政府系機関や市、銀行などが大口の出資者となり、1700万ドルの費用をまかなった。
財団は、10年で2500以上の起業家、3500以上の中小企業に対し、計900万ドルを投資してきた。原資は全米のほか世界中から集まる寄付だ。財団はカトリーナ襲来の7日後、州知事の要請で新設された。「民間の資金を政治や行政が取り扱うのは難しい。下手をすると知事が茶飲み友達に金を渡している、と見られてしまう。我々は独立していて、政治家など誰の指図も受けません」とダニエルズは言う。
いまやニューオーリンズは、サンフランシスコやニューヨークに次ぐ起業の街といわれる。シンクタンク「データセンター」によると、11~13年に起業したのは、年平均で成人人口10万あたり471人。起業率は全米平均を64%上回るという。
「役所は投資先の優先順位をつけられない。だから復興は民間がリードすべきだと思う」。そう話すのは起業支援NPO「アイデアビレッジ」CEOのティム・ウィリアムソンだ。水害後に「起業家週間」を始め、毎年3月に全国から投資先を求めて1万人が集まるイベントに成長させた。「停滞していたニューオーリンズにとって、カトリーナはウェークアップコール(目覚ましの声)だった。いや応なく世界からおカネと注目が集まる。みなが街を真剣に考えるようにもなった」
ただ、起業を後押しするだけで街全体が復興するわけではない、と財団のダニエルズは強調する。「アフリカ系や女性などはいまだ苦境にある。公的予算は、より公正な復興を実現するために使われるべきでしょう」(田玉恵美)
(文中敬称略)
■「遅れ」より「関われない」不満 クライストチャーチ
東日本大震災の17日前の2011年2月22日、ニュージーランド南島の最大都市クライストチャーチ市が大地震に襲われた。日本と同じように政府が復興庁を組織したが、街では市民参加が論点の一つとなっていた。
地震で、語学学校に通う日本人28人を含む185人が死亡。街の象徴である大聖堂など多くの建物が壊滅的な打撃を受けた。液状化などで居住困難とされた住居も8000以上にのぼる。
いま中心市街地には巨大なクレーンが並び、重機の音があちこちで響く。新しいカフェでは昼間から観光客がワインを飲んでいるが、まだまだ更地もめだつ。
だが、復興の「遅さ」への不満をあまり耳にしなかった。仙台に駐在して東北の被災地を取材する私には意外だった。クライストチャーチ市民は時間がかかることを受け止めていたし、いまだ6万人以上がプレハブ仮設に住む東北と違い、住宅再建という切迫した問題を抱える人が多くはないことも関係するのだろう。
かわりに抱いているのが、「自分たちが街づくりに関わっている実感がない」といういらだちだ。
街づくりを主導してきたのは、「カンタベリー地震復興庁(CERA)」。
地震から約1カ月後の3月末にできた。中央省庁や市などからの出向者と新規採用者ら、昨年11月時点で約300人が働く。法律で強い権限が与えられ、建物の解体や区画整理などを進め、復興計画を手がけた。
中心部で計画される17件の大型事業のうち、9件はCERAが主導する。たとえば、街の南東部に造ろうとしているスタジアム。地元紙によると建築費用は数百億円という。3万5000人を収容し、スポーツの国際試合やコンサートの開催をめざすが、こうしたイベントは年に何度もあるものではなく、必要性をいぶかる声が根強い。財務省も昨年11月のリポートで、これら事業の見通しに「赤信号」をつけた。
「政治家は『自分のスタジアムだ』と、写真が撮れるものを造りたがる。我々が欲しいのは、人々が交流し、コミュニティーが力をつけるための場だ」。市民団体「ギャップフィラー」代表のライアン・レイノルズ(37)は言う。
ギャップフィラーは、建物が撤去された空き地に小さな図書館やダンスフロアをつくっては、人々を集めてきた。当初は長くやるつもりはなかったが、市民の要望に応えて現在まで活動が続いている。
関わっている団体が以前、土地を使わせてもらおうとCERAと交渉した。小さな企画にも20人近くの承認が必要で、何カ月も費やしたが実現できなかったという。レイノルズは「軍隊のように官僚的な組織だった」と皮肉る。
ニュージーランドの人口は約450万で福岡県より少ない。行政改革もあり、行政組織の規模が小さく、行政と対等な立場での市民参加が根付く。政府と地方自治体の役割分担が明確で、街づくりは地方の仕事とされてきた。だが今回の復興では被害の大きさを踏まえ、市でなくCERAが中心的な役割を担った。
市民のビジネスを支援する企業「ミニストリーオブオーサム」企画担当のエリカ・オースティン(26)は「市であれば、市長も職員も街に出て話を聞いてくれる。CERAには市民との窓口が見えなかった」と話す。
地方政治に詳しい政治学者のジーン・ドラッジは「よい復興とは、家や建物の再建だけでなく、人々がプロセスに関われること。市民とのつながりが薄い政府が主導する今のやり方はそうはなっていない」と批判する。
市との関係についてCERAの最高責任者代理のジョン・オンブラーに尋ねた。「CERAという新しいレイヤー(層)が入ることで、緊張関係が避けられなかった面はある」と話し、「今後の復興のリーダーは市だ」と明言した。
CERAは5年間の期限付きで、この春には廃止される。政府と市は協議を重ね、「リジェネレート(再生)クライストチャーチ」という新たな組織をつくることを決めた。政府と市から同数のメンバーで評議会をつくり、政府だけでなく市に対しても報告する。
政府の関与が残ることに異論もあるが、リアン・ダルゼル市長は「市も中心部の再建に関われる。とてもエキサイティングだ」と話した。「最初からこういう形でできればよかったけれど」(中林加南子)
(文中敬称略)