日本が戦後経験したことのない大災害からの復興は、時間も予算も人的資源もかなり大きなものが必要になるだろうとみんなが覚悟した。そのなかで、復興庁は、自治体に寄り添って横断的に市町村や県の相談を受け、ワンストップでやりたいことが実現できるようにと誕生した。復興交付金の使い勝手が悪いという批判も市町村から当初あったかもしれないが、被災地の声をよく聞いてかなり使いやすく制度を変えてきたし、自治体に寄り添い続けてきたと言えると思う。
もっと自治体の要望を聞いて欲しいという声もあるかもしれないが、増税して国民に負担を仰いでいるということに加え、個人の財産には税を投入できないという原則があるなかで、かなりそれを緩和して自治体の進めたい事業を認めてきたつもりだ。地域・コミュニティーの復興にも、これまでの災害復興よりも手厚く支援してきた。本当にその事業が公益に沿うのか、私有財産を支援するだけに終わらないか、自治体と議論を重ねてきた結果だと理解してほしい。
復興費用を全額国が出し、地方負担を求めなかったのは異例中の異例の対応だ。それを国民も政治家も認めてきた。それが被災地の復興加速化につながってくれればいいという思いからだと思う。一方で、被災地に限らない全国共通の課題への対応については、被災地であっても一定の負担を求めていかないといけないという考えは以前から持っていた。5年という区切りで負担をお願いすることになったが、異例な状況から通常に戻る第一歩と考えて頂きたい。
住民を増やすために今まで以上の施設をつくりたい、という発想を被災地のいろんな場所で聞いた。一方で、当面は身の丈にあったところに抑えて、将来人口を増やしていく努力は復興が一区切りついた後でやっていくという発想もある。「鶏と卵」の議論ではあるが、あまりに華美な計画にしてしまうと後で行政コストとして住民に返ってくるので、慎重に考えないといけないと思う。いつの時点かは分からないが、将来いずれ、「異例の対応」を脱して全国の他の市町村と同じ対応にせざるを得なくなるのだから。
おびただしい命と財産が失われただけでなく、広範囲で街のそのもの機能が失われたということが、阪神淡路大震災と大きく違うところだ。それは、私が旧山古志村長として経験した新潟県中越地震とも異なる。山古志では自分たちでできることはやったつもりだが、同じことを東北でもやるべきだとはまったく考えていない。津波の被害に遭った土地では、まったく同じ場所ですぐに暮らしを再開することは難しく、高台移転などが必要になった。できるだけ早く、もとのふるさとで安全・安心な暮らしを取り戻してもらわないといけない。被災者の避難先が広く分散してしまい、なりわいをどうしていくのかがこれから大きな課題になる。
高台移転などに巨額のコストがかかるという指摘はその通りかもしれないが、短期的な費用対効果ではなく、これから20年先、30年先に、子供たちが産声を上げられる地域として被災地がよみがえってもらえれば、この復興は日本の歴史のなかで受け入れられるのではないかと思っている。(聞き手・江渕崇)
ながしま・ただよし 1951年生まれ。新潟県の旧山古志村議、村長などを経て2005年から自民党衆院議員。14年9月から復興副大臣。