スペイン・バレンシアを襲った未曽有の大洪水、連携欠いた中央政府と地方に怒る住民

地中海に面したスペイン東部バレンシア州は、太陽がさんさんと降り注ぐおだやかな気候で、オレンジの産地として知られる。その州都バレンシア市の近郊パイポルタ市。住民の記憶に残るような災害がこの50年ほとんどなかった街を、未曽有の大洪水が襲ったのは昨年10月だ。
3カ月以上たった2月中旬に訪れると、まだ壊れたままの建物が残り、洪水の傷痕が生々しい。がれきが積み上げられ、砂ぼこりが舞い上がる。バレンシア市内と結ぶ地下鉄も不通のままだった。
目抜き通りにある薬局「ファルマシア・デル・メルカト」の従業員バルバラ・ペニャルベルさん(32)は、昨年10月29日午後6時半過ぎ、店が面する道路の浸水に気がついた。「その日は曇りで風が強かったけれど、雨は降っていなかった」と振り返る。
水は2、3分でどんどんかさを増し、渦を巻いて店内に流れ込んできた。「水の勢いがすごくてドアがなかなか閉まらなくて……」。3人のスタッフ全員で必死に押して閉め、ありったけのタオルやぼろ布をドアや窓の隙間に詰めようとしたが水は入り込んでくる。
緊急電話の112にかけても話し中。机の上にあがり天窓を開け必死で助けを呼ぶと、上の階に住む人たちが気づき来てくれた。窓の格子をのこぎりで切り、はしごを下ろしてくれた。「2人が上がったところで、はしごが水の勢いで流されてしまって。あと1人いたのでもうパニック。誰かがもう一つはしごを持ってきてくれて何とか全員助かりました」。同市では今回の洪水で60人以上、全州では200人以上が亡くなった。
目抜き通りの近くにあるのは「ポヨ渓谷」。渓谷といっても川のような感じで、パイポルタのあたりでは幅は70メートルほどだ。ふだんはほとんど水が流れていない。10月29日は上流の地域で、8時間のうちに1年分に相当する豪雨を記録。地球温暖化で海水温が上がっていたことが豪雨の原因と指摘されている。上流から猛烈な勢いで水が押し寄せて濁流となり、水位が急上昇して氾濫(はんらん)したと見られる。
バレンシア市では1957年に市内のトゥリア川が氾濫する洪水が起き、多くの死者を出し、川を迂回(うかい)させる工事をした。その後、ダムが決壊したことはあったものの、近辺では災害がなかった。
ファルマシア・デル・メルカトは営業を再開したが、同じ通りの商店は、3分の1も営業していない。「ありがとうございました。本当に残念だけど閉店します」「新しい場所に移転します」。そんな貼り紙も目につく。
水利事業の専門家であるフェリックス・フランセス・バレンシア工科大教授は洪水の原因について、こう解説する。「今回の地域は、国の公共事業で水はけを良くするための緑化事業が2006年から計画されていたが、経済危機でストップ。2003年に始まった州レベルの洪水対策も、それ以前に計画された建物には適用されず、危険な地域に多くの家が立ったままだった。ハザードマップも警報システムもあったが、一般の人たちには浸透していなかった」
エステル・トリホス・パイポルタ市第二副市長(47)は「当日は州から災害の警告がなく、市民に伝えるシステムもなかった。バレンシアは気候も良く、全くの想定外だった」。災害対応のプランはあったというが、「予想をはるかに超えた規模で、機能しなかった」。避難訓練もしたことがなかったという。
被災地の緊急支援にはトイレ(T)、キッチン(K)、ベッド(B)が必要とされるが、スペインは災害が少なかったこともあり、政府や自治体に災害対応のノウハウが蓄積されていない。避難所は赤十字が運営しているが、トイレが壊れていない場所につくるため、パイポルタには設けられなかった。「体育館のような広い場所も全て被災してしまったため」(第二副市長)だ。州内に設置した避難所では、ケータリングで温かい食べ物を用意。ベッドは病院の大部屋のように並べた。
スペインは州の権限が強いが、パイポルタ市の与党は国と同じで、州とは異なる。同市を含むバレンシア県議会の議長、ビセンテ・モンポさん(43)は「こんなことを言うのは恥ずかしいが」と前置きして、「国、州、市の連携がとれていなかった。州と中央政府の与党が同じなら、こんな事態になっていなかったかもしれない。国はもっとリーダーシップを発揮すべきだ」と話した。
活躍したのは、ボランティアや企業、経営者だった。
バレンシア州のボランティア団体のネットワーク「ボランティアの家」会長のミゲル・サルバドルさん(65)は11月2日に州から要請を受け、ボランティアたちの調整にあたった。「国内、ヨーロッパ、米国からも、計2万4000人が来てくれました」 「ボランティアには本当に感謝している」。パイポルタの人々は口をそろえる。泥をかき出し、がれきを片付け、清掃し……。今でも街のあちこちに「ボランティアありがとう」といった垂れ幕が下がっている。
「それに比べて政府は……。私たちは母親に捨てられた子どものよう」。美容院を経営するフランシスコハビエル・ペドレーニョさん(60)は憤る。店は再開できたが、まだ以前の半分以下の規模だ。下水道の復旧も完璧ではなく、2月11日にはトイレの汚水が逆流して店中が汚物だらけに。「今でも断水も停電もある。政府に支援金を申請したが、まだ届いていない」。国に対する住民の不満は大きく、昨年11月3日に被災地を訪れた国王夫妻が泥を投げつけられた映像は、世界中に流れた。
一方、スペイン最大のスーパーマーケットチェーン「メルカドーナ」を経営するフアン・ロッチさんや、世界的なアパレル企業「インディテックス」を創業したアマンシオ・オルテガさんは私財や自らの財団を通じ、それぞれ1億ユーロ(約156億円)を支援している。
今回の洪水で事前の備えの重要性は政府も認識したようだ。今後災害があったときにどのように動くか、手順を定めておく動きが始まっている。州政府や消防、軍、ボランティア、企業などが集まって検討を始めるという。ただ、パイポルタの第二副市長は「市長には話が来ているのかもしれないが、私は聞いていない」。行政間の連携にはまだ課題が残るようだ。