インド北部のパトナ。ガンジス川のほとりにある古都では9月上旬、スマートフォンで見られるグーグルマップ上に洪水の危険地域が赤く示されていた。グーグルと、水資源を管理するインドの「中央水委員会」による洪水予測プロジェクトの成果だ。この実験は昨年夏から始まり、予測の精度は現時点で9割を超えている。
(グーグルマップ上のガンジス川。洪水の危険が高いときは流域が赤く染まる)
「インドの当局は、これまでも警報を出していました。でも対象地域の範囲が広く、人によっては避難が遅れてしまった。具体的にどこに水が来るかを示すことで、避難を促すことになればと考えました」。プロジェクトを率いるグーグルのエンジニア、セラ・ネボさん(30)が言った。
グーグルはここ数年、地図上に警報を出す「災害情報」の機能を強化してきた。さらにAIを社会問題の解決に生かせないかと探る中で、洪水予測がテーマとして浮かんだ。インドを試験地として選んだのは、世界の洪水の犠牲者の20%が集中しているからだという。
川の洪水の場合、雨や川の流量、地形など、原因は目に見えている。とはいえ、実際に水の通り道を計算するのは簡単ではない。ネボさんは「まずは厳密な高さの情報が必要でした」。わずか数メートルの地形や建物の差が、水の流れを左右してしまうからだ。
そこでグーグルの研究者たちは、大量の衛星写真データをもとに、1メートル刻みで高さを割り出す技術を開発。さらに機械学習を使って、衛星写真から橋や立ち木など、一見すると高さはあるが実際には水を通すことができるものを見分けていった。
水の量は、中央水委員会の水位データから割り出した。水がどこにどう流れるかのシミュレーションでは、物理法則をもとに計算するモデルと、機械学習を使ったモデルを組み合わせて計算を高速化させた。
こうして、まずはパトナ周辺の約80キロのガンジス川沿いの地図を作製。今年からはアッサム州など、他の地域でも展開し、数十回の警報を出した。
ところが問題は、予測の先にもあった。洪水の被害が大きい川べりの土地には低所得者層が多く、スマホを持っている人は、ごく一部だったのだ。そこでグーグルは、デリーに本拠を置き、被災者支援などを手がけてきたNGO、SEEDSに声をかけた。現地での情報拡散について相談するためだ。
■「巨人の目」と「虫の目」
SEEDSのマヌ・グプタ共同創設者(48)は「最初にマップを見たとき、すごいと思いました。これほどの情報が直接市民に届けば、パニックや、デマに惑わされることも減るはずです」と振り返った。
グプタさんたちは、パトナのNGO「ユガンタ」とともにグーグルの予測を伝えるしくみを検討し、あわせて地域コミュニティーからの情報を積極的に利用することも考えた。これまでの活動の経験から、地域には、いち早く情報が集まることが分かっていたからだ。正確性をうまく担保できれば、予測とあいまって、避難情報の精度を高めることになると考えた。
グプタさんは言う。「グーグルからの情報はマクロで、技術的。ボランティアからの情報はミクロで、人間的。うまく組み合わせることで、人々を救う力になります」
■情報が必要な人に届ける
実際に今年、SEEDSとユガンタはパトナで活動する「ジャル・プラハリ」(水の守護神)というグループを立ち上げた。ボランティアが予測を地元に伝える役割を担う一方、自分たちが見た水位の情報や写真をスマホのアプリで交換している。これらがまとめられ、正確性をチェックしたうえで地元政府などに送られている。
ジャル・プラハリのメンバーは「伝聞情報を拡散しない」といった、情報を共有する際の基本的なルールも学んでいる。災害時には情報を慎重に扱わないと、あっという間にデマのもとなどになりかねないからだ。
パトナから西に25キロほど離れたマネールでボランティアをしているマノージ・プラサッドさん(34)は、6月からのモンスーンの時期、ほぼ毎日川べりに来て水位を見ている。
ガンジス川と支流ソン川との合流点にあたるこの地域は、洪水も多い。2016年には、大雨にダムの放水が重なり、川べりの家々は2階まで水につかった。
「多くの人は避難したが、家畜などは逃がし遅れ、大きな損害になった。具体的な地図の情報があれば、子どもたちに逃げろという時にも具体的に示しやすい」とプラサッドさんは言う。
同じくジャル・プラハリのメンバーのケマリ・スレカーさん(24)は、ふだんから女性や子どもたちへの教育に携わっていて、災害時には食糧支援活動などにも加わってきた。「これまでは、それほどたくさんの洪水情報があったわけではなかった。いい情報を伝えることが、命を救うことになると思った」と話す。
ユガンタのサンジェイ・パンデイ・エグゼクティブディレクター(55)は、こう言った。「災害でより困るのは、低所得層、お年寄り、子ども、女性など、社会の中心の外にいる人たち。情報へのアクセスも限られています。新しい技術の恩恵は、そんな人たちにこそ届くべきなんです」