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噴火繰り返す鹿児島・桜島 いたるところに「退避壕」 災害大国ニッポンのシェルター

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海に面して設置されている退避壕。後方の山頂は雲に隠れていた=2023年5月29日、鹿児島市、本間沙織撮影
海に面して設置されている退避壕。後方の山頂は雲に隠れていた=2023年5月29日、鹿児島市、本間沙織撮影

鹿児島港からフェリーで約15分。この日の気温は30度を超え、湿気を帯びた生ぬるい風が頰をつたう。もくもくと噴煙のあがる山の全景が、デッキから見渡せる。フェリーを降りると、道路に黒く細かい火山灰が散らばっている。桜島の周囲は36キロ。車で走れば1時間ほどで一周できる。

国道沿いを運転して数分も経たないうちに、鉄筋コンクリート製の四角い小屋のような建物を見つけた。山に背を向けて建てられており、背面と側面の三方向に壁がある。上部には日、英、中国、韓国の4カ国語で「退避壕(ごう)」と書かれた掲示がある。観光客にも分かりやすい。中に入ると、現在地と退避ルートを示した案内板、ハザードマップが貼ってあった。

再び車を走らせると、すぐにまた退避壕を見つけた。島内を走っている間、次々と退避壕が現れた。どれも鉄筋コンクリート製で、大きさや壁の厚さは場所によって異なる。アーチ状のもの、バス停の待合所を兼ねているものもある。

道路沿いにあったアーチ形の退避壕=2023年5月28日、鹿児島市、本間沙織撮影
道路沿いにあったアーチ形の退避壕=2023年5月28日、鹿児島市、本間沙織撮影

鹿児島市危機管理課によると、退避壕は島内の道沿いに32カ所設けられている。1カ所に20100人が入れるという。ほとんどが噴火が頻繁にあった197080年代に建てられ、最も新しいものは2017年に観光地に建てられた。フェリーで島外へ避難するための「避難港」とその前に過ごす「退避舎」も20ずつある。

桜島のふもとにある京都大学防災研究所付属火山活動研究センターの中道治久准教授(50)は「桜島は噴火の頻度が高いが、逃げることが必要なほどではない状態が続いている。だが、噴火の大きさや風向きによっては、人がいるところに火山礫(れき)などが降ってくる可能性があるため、退避壕のようなパッと入ることのできる建物は一時的な避難場所として有効だ」と説明する。

京都大学防災研究所付属火山活動研究センターの中道治久准教授=2023年5月29日、鹿児島市、本間沙織撮影
京都大学防災研究所付属火山活動研究センターの中道治久准教授=2023年5月29日、鹿児島市、本間沙織撮影

桜島は1471年から4回、大きな噴火が起きている。

1914年の噴火の際には海に大量の溶岩が流出し、埋め立てられたことで大隅半島と地続きになった。

1914(大正3)年1月の「桜島大正噴火」。噴煙がおよそ1万8000メートルまで上がり、大量の軽石や火山灰が降り積もった=1914年1月12日午前11時30分、鹿児島湾の向こうに桜島を望む、鹿児島県立博物館提供
1914(大正3)年1月の「桜島大正噴火」。噴煙がおよそ1万8000メートルまで上がり、大量の軽石や火山灰が降り積もった=1914年1月12日午前11時30分、鹿児島湾の向こうに桜島を望む、鹿児島県立博物館提供

この噴火で積もった火山灰に埋まり上の部分だけ見えた状態の鳥居は今もそのまま残っており、噴火の激しさを伝えている。

1914年の噴火で積もった火山灰に埋まり、上の部分だけ見えた状態の鳥居
1914年の噴火で積もった火山灰に埋まり、上の部分だけ見えた状態の鳥居=2023年5月28日、鹿児島市、本間沙織撮影

2011年には996回もの爆発を観測。昨年7月には、気象庁が運用開始した2007年以来初めて、噴火警戒レベルを最大の「5」に引き上げた。

バス停の待合所を兼ねる退避壕には、ベンチやソファーも置かれていた=2023年5月29日、鹿児島市、本間沙織撮影
バス停の待合所を兼ねる退避壕には、ベンチやソファーも置かれていた=2023年5月29日、鹿児島市、本間沙織撮影

鳥居の近くで飲食店を営む大山眞弓さんは、近くの避難所に1週間避難した経験がある。ドーンという大きな音の後、玄関前に数センチの鋭利な火山礫がいくつも落ちていたこともある。「日常的に退避壕に逃げ込むことはないけれど、毎日、山と空の様子、風向きをみるのは習慣になっている。危険と隣り合わせという認識は常にある」と話した。

島内には約3300人が暮らす。島内の小中学生は登下校時に黄色のヘルメットをかぶる。島民は、「降灰予想」をもとに、洗濯物を外に干すかどうか決めるという。島の南部、火口から2、3キロの急な斜面にある集落では、市が1985年に一戸に一つ退避壕を整備した。その家に今も住む山下シゲ子さん(96)は「十数年前までは防災無線が流れると、よく退避壕に駆け込んだ」と振り返る。

山下シゲ子さんの自宅玄関前にある退避壕=2023年5月29日、鹿児島市、本間沙織撮影
山下シゲ子さんの自宅玄関前にある退避壕=2023年5月29日、鹿児島市、本間沙織撮影

取材を終え、2日間を共にした白いレンタカーを見ると、うっすらと黒い灰で覆われていた。

最後に会ったのは、NPO法人桜島ミュージアム理事長の福島大輔さん(49)。自然の驚異が人々の身近にあると感じた、と伝えると、「みんな島民がどんな風に日常生活を送っているのか関心をもって訪れるけれど、普通に過ごしている。いつも噴火のことを考えていたら、とてもここでは暮らせない。でも、噴火が起こりうるのも事実。高齢化が進む島で、いざというときに備えながら、折り合いをつけて暮らしていくしかない」と話した。

桜島ミュージアム理事長の福島大輔さん=2023年5月29日、鹿児島市、本間沙織撮影
桜島ミュージアム理事長の福島大輔さん=2023年5月29日、鹿児島市、本間沙織撮影

総務省消防庁によると、気象庁が常時観測する火山から硫黄島を除いた49のうち、退避壕が設置されているのは13の火山にとどまる。最も多く設置されているのは桜島だ。

2014年の噴火で63人の死者と行方不明者を出した御嶽山(長野・岐阜県境)には当時設置されておらず、噴石の直撃で多数の犠牲者が出た。火山にシェルターの設置義務はないが、事故を受けて国は防災基本計画にシェルターを充実させる方針を盛り込み、各地で設置が進む。御嶽山には事故後、4カ所のシェルターが設置された。

登山客の多い富士山にはほとんど設置されていない。山梨県富士山科学研究所研究管理幹の吉本充宏さん(52)は「富士山はどこから噴火が起きるのかが分かりにくく、退避壕の設置に効果的な場所を見つけるのが難しい。桜島のように大きな噴石の到達範囲が絞り込めていないこともあり、整備が進みにくいのが現状」という。

山梨県富士山科学研究所の研究管理幹の吉本充宏さん=本人提供
山梨県富士山科学研究所の研究管理幹の吉本充宏さん=本人提供

日本各地に災害用の緊急避難場所が設けられている。消防庁によると、津波時の避難タワーなど全国で約39000カ所、地震時には約85000カ所が指定されている。民間で開発された操縦も可能な小舟型シェルター、普段はベッドとして使える耐震性の高いシェルターなどもある。