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巨大噴火は歴史を動かす 19世紀のヨーロッパを変えたのはインドネシアの火山だった

World Now
タンボラ山の巨大カルデラ photo:Ebuchi Takashi

19世紀の欧米の歴史を動かしたのは、地球の反対側にある火山だった──。インドネシア・スンバワ島のタンボラ山が1815年4月に起こした有史以来最大級の噴火が、科学者たちの注目を集めている。

200周年を記念して現地で開かれた視察会に加わり、タンボラ山頂を目指した。ふもとから20キロ。1973年製のトヨタ・ランドクルーザーで密林の道なき道を3時間以上揺られ、さらにごつごつした溶岩で足をくじかないよう気をつけながら約2時間登ると突然、視界が開ける。

直径約7キロ、深さ約1200メートルの大カルデラ=写真下。切り立った崖の沢筋が作り出す緑の陰影が絵のようだ。標高は2850メートル。もともと約4000メートルで富士山より高かったが、噴火で3分の1が吹っ飛んだ。琵琶湖の水2杯分にあたる50立方キロメートル以上の噴出物を上空にはき出した。目の前のカルデラは、その抜け殻である。

4年前、同じ場所に一人の歴史学者が立っていた。米イリノイ大教授、ギレン・ダーシー・ウッド。大英帝国の歴史が専門だった。気候変動に関心を持ち、同僚の自然科学者の講義で初めてタンボラ噴火を知った。「自分が研究していた時代の出来事なのに、と戸惑った」。それからタンボラ研究にのめり込んだ。

1815年4月5日に始まったタンボラ噴火の爆発音は、1200キロ離れたジャワ島のバタビア(現ジャカルタ)にも届いた。当時バタビアにいた英国のジャワ副総督ラッフルズは各地に報告を求め、まとまった記録が残っている。

タンボラ山の巨大カルデラ photo:Ebuchi Takashi

夏のない年

噴煙は成層圏に達し高さ40キロを超えた。火砕流がふもとを焼き尽くし、海に達して大津波を起こし、計1万人の命を奪った。広範囲に火山灰が1週間降り積もり、飢餓や病気も含めて一帯で約10万人が犠牲になったといわれる。

ウッドが歴史家として関心を寄せたのは、ここから先だ。噴煙に大量に含まれる粉じんやガスが、太陽光を遮る「エーロゾル」となって世界に広がり、上空を数年間漂い続けた。それは「火山の冬」と呼ばれる急速な寒冷化をもたらした。数年前に熱帯地方で起きた大噴火も相まって寒冷化を深刻にしたとみられる。

欧州はその夏から多雨など異常気象になった。翌16年、欧米は近代史上最も寒い年となり、米東海岸で7月に雪が降るなど「夏のない年」として語り継がれることになる。飢えが広がった欧州から北米へ、さらに米東海岸から西海岸へ移民の波が押し寄せた。コレラが初めて世界的に大流行し、何万人も死んだ。

意外な副産物ももたらされた。「フランケンシュタイン」と「吸血鬼」は、夏なのに雨が降り続くスイス・レマン湖畔の別荘で、退屈しのぎの余興として生まれた物語だ。このころ移動用の馬のエサが不足し、ドイツで代わりに考案されたのが自転車の原型だった。

19世紀の欧米の異変がタンボラと関係することは何十年も前から疑われていた。ただ、科学的な裏付けがとれたのはこの十数年のことだとウッドは言う。

天候不順で突然変異

極地の氷の分析で大気の歴史が詳しく分かるようになり、コンピューターで複雑な気候シミュレーションも可能になった。中国やインドにも異常気象をもたらしていたことも明らかになった。インドの風土病だったコレラが、天候不順で突然変異を起こして世界に広がったいきさつの解明も、2000年以降、コレラ菌の全遺伝情報が解析されたことが突破口になった。

「進んだ科学技術と史料をつきあわせて、200年前の出来事を、より的確に再構成できるようになったのです」

世界を危機に陥れた火山は一方で人類に恵みも与えてきた。土壌にミネラルをもたらし、温泉や鉱物資源を生み出し、美しい景観を形づくる。米国の生物地理学者、ジャレド・ダイアモンドは「インドネシアでコメの三期作ができ、多くの人口を養えるのは、火山の存在のおかげだ」と話す。

現代文明を築いたこの200年間、人類はタンボラほどの巨大噴火を経験せず、その恵みを享受してきた。インドネシア政府の火山防災責任者、アグス・ブディアントは「次の被害を最小化するには、過去から学ぶしかない」と語る。「次」がいつなのか、どんな規模になるのか。まだだれも分からない。

インドネシア・タンボラ山の山頂からの眺めと環境史家ギレン・ダーシー・ウッド氏のインタビュー、そしてpart3で紹介する米国イエローストンの風景などがご覧いただけます(撮影:江渕崇、機材提供BS朝日「いま世界は」)

火山噴火のような自然災害は、歴史研究ではずっと脇役扱いでした。人間の精神こそ歴史の中心にあり、自然は背景に過ぎない。そんな「人間中心主義」に支配されてきました。

しかし、タンボラ噴火の影響を調べれば調べるほど、自然が歴史を動かしうるという確信を深めました。

噴火の2カ月後、雨天が続いたことによる作戦の失敗でナポレオンがワーテルローの戦いに敗北。戦乱が終わった後は冷夏で農作物がとれず食糧難になり、欧州に餓死者があふれます。被害の大きいスイスを中心に、穀物の輸出を禁じるなど保護主義的な政策が目立つようになりました。当時優勢になりつつあった「レッセ・フェール(自由放任主義)」の価値観が揺らいでいったのです。

アイルランドなど寒冷化が激しかった土地から、北米大陸への移民が急増しました。米国内でも、中西部や西部の温暖な場所への移住者が馬車の列をなし、新たな居住地をみつけました。1819年の米国初の金融危機にも寒冷化が影響しました。

19世紀を通じてコレラの犠牲になったのは数百万人。これが各国政府が公衆衛生に力を入れ、国際的に協力するきっかけにもなりました。東日本大震災が日本に変化を促したように、自然災害は社会の変化を加速させる力があります。

タンボラ噴火がなければ、シンガポールの繁栄はなかったでしょう。ラッフルズはジャワを植民地にすべきだと主張していましたが、噴火でジャワが荒廃し、新天地シンガポールに移ったのです。

もし再びタンボラ級の噴火が起きれば、世界の食糧生産は数年間、3?5割減る可能性があります。死者は数百万人に上るでしょう。極めて大きな被害があるのに、発生頻度はとても低い。こんな現象に対して、人間はうまく備えることが難しい生き物です。「たぶんすぐには起きないが、被害は大きいので予算を下さい」という話は現実には通りません。

それでも私は、タンボラの経験から、政府や家庭が食糧を数年分ためておく、主な火山の避難計画をつくっておく、ぐらいは必要だと思います。


Gillen D’Arcy Wood
米イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校教授。「タンボラ 世界を変えた噴火」(未邦訳)を2014年に出版。専門は19世紀の環境史。

(聞き手・江渕崇)

世界を揺るがしたタンボラ噴火のさらに20~50倍規模の「超巨大噴火」も、地球は何度か経験してきた。米ワイオミング州などに広がるイエローストン国立公園は、遠い過去の超巨大噴火の跡地であり、将来、再び噴火する恐れも指摘される世界最大級の火山だ。

約9000平方キロと鹿児島県とほぼ同じ広さの公園内には、バクテリアの働きで鮮やかに色づいた温泉が散在する。草をはむ数十頭のバイソンの群れの向こうに、間欠泉からはき出された湯気がもくもくと上がるのが見える。

64万年前に噴火したカルデラの縁だという場所に立ってみた。幅55キロ、長さ80キロという広大さに加え、浸食が進んでいることもあり、どこまでがカルデラなのか、まるで見当がつかない。

ここでは210万年前、130万年前、そして64万年前と、ほぼ70万年おきに超巨大噴火を繰り返してきた。地震が多発したり、地表が盛り上がったりするたび、「次」が迫っているとの臆測が米メディアをにぎわせる。「噴火したら、私たちが知っている合衆国はなくなる」(物理学者のミチオ・カク)との警告も人々を不安にさせる。

イエローストンの地中はどうなっているのか。その様子が最近、やっとわかってきた。米ユタ大学の研究チームは、地表から5~15キロの浅い場所に、従来の想定の2.5倍となる約1万立方キロものマグマだまりがある、と昨年突き止めた。琵琶湖の水380杯分だ。

イエローストンを見張る

さらに今年4月には、その下の地中20~45キロにもっと大きなマグマだまりがあり、体積は約4万6000立方キロに達することがわかったと発表。ここから上のマグマだまりにマグマや熱が供給されているようだという。

ユタ大学研究室の巨大モニターには、イエローストン周辺の数十の地震計が送ってきたデータがリアルタイムで表示されていた。地震学者のジェイミー・ファレルは「周辺や世界で頻繁に起きる地震を活用しました」と説明する。

地震波はマグマのようなやわらかい部分は遅く、硬い部分は速く進む。その性質を使い、マグマだまりの様子をCTスキャンのように浮かび上がらせた。深い方のマグマだまりの様子を探るために、付近で起きた4500の地震だけでは足りず、世界中のマグニチュード6以上の全地震を分析したという。

ただ、マグマだまりの大きさが噴火の規模に直接つながるとは限らない。「もしかしたらイエローストンは火山活動を終え、冷える方向に向かっているのかもしれない。あるいは、過去のようにまた大噴火を起こすのかもしれない。それは、私たちにはまだ分かりません」

米政府や公園当局は、イエローストンに異変がないか常に見張っている。最北端にある「マンモス・ホットスプリングス」に、公園に勤める地質学者、ヘンリー・ヒースラーを訪ねた。一帯は噴き出す温泉の石灰分が固まり、地上なのに鍾乳洞のような奇観だ。遊歩道の脇の地面からゴボゴボと温泉が流れ出している。4週間前にできた噴出口という。

VEI(火山爆発指数):火山噴火の規模を、上空に噴き上げた噴出物の量に応じて9段階で示した指数。溶岩流は噴出量に含まない。

「万一」を視野に入れて

「私たちはイエローストンを診る医者のようなものです」とヒースラー。園内に配置した地震計や温度計などのデータに異変があれば駆けつけて調べる。「地表は浮いたり沈んだりし、地震もある。地熱も日々変わる。ただ劇的ではない。人が呼吸するのと同じ平常なことで、噴火につながるような兆候はありません」

それでも、「万一」を視野に入れた研究は続けられている。もし、64万年前と同じ規模の超巨大噴火が起きたら──。米地質調査所(USGS)は昨夏、火山灰の広がりを初めてシミュレーションした。ソルトレークシティーなどロッキー山脈の近くの都市は1~2メートル以上の火山灰に埋まり、約3000キロ離れたニューヨークにも火山灰が達する。これに「火山の冬」が加われば、世界への打撃は計り知れない。

「イエローストンは超巨大噴火を起こす可能性のあるいくつかの火山の一つにすぎません」とUSGSの地質学者、ジェイコブ・ローエンスタン。例えば、インドネシア・スマトラ島で約7万3000年前に起き、世界最大のカルデラ湖「トバ湖」をつくった超巨大噴火。深刻な「火山の冬」で人類が1000~1万人規模まで減ったとの説もある。ローエンスタンは言う。「私たちは噴火を止められない。超巨大なら被害を和らげることすら難しい。地球上のどこで起きようが、それは現代文明にとって大きな試練になるでしょう」
(江渕崇)(文中敬称略)

「ナポリを見てから死ね」のことわざで有名なイタリア・ナポリ。その景色の美しさは、街から約15キロにそびえ立つベズビオ山(標高1281メートル)抜きには語れない。ポンペイなど周辺の街をのみ込み、多くの犠牲を出した西暦79年の大噴火から約2000年。「次」にどう備えるかを巡る論争がいま、静かに火花を散らしている。

女性の両腕は、顔を覆うようにあがっていた。ひざの上と傍らには、子どもの姿。近くに横たわる男性は眠っているかのようだ。ポンペイの発掘現場などで11月まで開催されている展覧会場に並べられた石膏像。火山灰に埋まった遺体の跡に石膏を流し込んで作られ、亡くなった時の様子がリアルに再現されている。

人類学者ピエルパオロ・ペトローネは像について語った。「最初の犠牲者は、噴石や灰による屋根の崩壊で死亡した。逃げた人も、300~500度にも及ぶガスと灰に包まれた。その温度では、血や身体組織は蒸発する。死は、電灯を消すかのように一瞬だ」

ベズビオ山は紀元後だけでも約30回大きな噴火をしたが、ポンペイを破壊したほどの規模ではなかった。ほとぼりが冷めると、人々は火山灰の上にまた新しい街を築き、住み着いた。そして、1944年の噴火を最後に、火山は再び休み、静かな状態が続いている。

イタリア国家市民保護局による現在の避難計画は、約4000人の犠牲者を出した1631年の噴火をもとに、危険地域とされるレッドゾーンを定めている。だが、人口密集地のナポリ市中心部は除外されてきた。その根拠について、市民保護局のドメニコ・マンジョーネは「1631年の規模の噴火が今後60年から200年の間に起きる確率は27%だが、2000年前の規模となれば確率は1%に過ぎないからだ」と話す。

薄い危機意識

仮にナポリ中心部をレッドゾーンに含めるなら、現在の避難計画は抜本的な変更が必要になる。想定被災者数は倍増し、観光客への対応も考えなければならないだろう。都市計画にも影響が出ることは必至だ。行政側にすれば、最悪の事態を想定するばかりでは市民生活が回らない、というわけだ。

だが最近の研究で、4000年前にさらに大規模な噴火があったことが分かってきた。ナポリ中心部の地下に、厚さ3メートルもの火山灰や軽石の層が発見されたのだ。発掘調査により、その噴火では、ナポリ市全域がすっぽり入るほどの大火砕流が発生したと明らかになった。

この巨大噴火について、2006年に共同論文を発表したのが、ベズビオ火山観測所の火山学者ジュゼッペ・マストロロレンツォだ。マストロロレンツォは、もし再び同規模の噴火が起きれば約300万人が被災するとして、政府などに避難計画の改定を呼びかけてきた。「噴火は確率の問題ではない。ベズビオ周辺は人口密集地だ。最悪のシナリオを考慮しなければならない」と指摘する。

国側も手をこまぬいてきたわけではない。昨年、レッドゾーンの範囲を18自治体から25自治体に広げ、山に近いナポリ市東部も対象地域に入れた。想定避難人数も70万人に増やした。だが、自治体に任せられている避難計画の整備は多くで進んでいない。地元の州は03年にベズビオ山周辺地域の住民に補助金を出して移住を促したが、失敗に終わった。06年に周辺自治体を巻き込んで行われた大規模訓練の参加者は、計約1800人に過ぎなかったという。

今年レッドゾーン内に病院が新設されたのも危機意識の薄さの表れだ。犯罪組織も絡むベズビオ山周辺の違法建築物は、約4万5000軒にも及ぶという。マストロロレンツォは懸念する。「これでは、第2のポンペイが生まれかねない」
(ラファエラ・ミニコーネ、山尾有紀恵)
(文中敬称略)