「人は建築のせいで死ぬ」紙管を使った間仕切りを考案 坂茂さんが考える建築家の使命

能登半島に何度も通っていて、一番ショックだったのは、昨年の豪雨水害でした。地震で建物が駄目になったのに、水害で田畑も駄目になった。被災者の疲労を見て、「心が折れるってこういうことなんだ」と思いました。
石川県珠洲市と輪島市に「恒久仮設住宅」を建設しました。仮設住宅の入居期間は原則2年で、被災者はまた家を探さなきゃいけない。
プレハブの仮設住宅は1カ月で完成するが、住み心地がとても悪い。木造の恒久仮設住宅は温かく、隣の音も聞こえない。つくるのに3カ月かかるので、避難所にその分長くいなければならないが、入居者からは「待っててよかった」と言われます。今回、プレハブの仮設住宅と同じ金額(30平方メートルで約1500万円)でつくれる」ことも実証しました。
紙管を初めて使ったのは1985年、展覧会の会場構成に、木の代わりに紙管を使いました。バブルの時代で、エコロジーとか環境問題などがあまり注目されていなかったが、1カ月ほどの展覧会に貴重な木を使って、ゴミにするのが嫌だったのと、木より安い材料を探したところ紙管にたどり着きました。
今、環境ブームで木を使うことがはやっているが、はやりで木を仮設で使うべきじゃない。木は大切な材料ですから。
紙管が良いのは何度でもリサイクルできること。建築の強度や耐久性と、材料の強度は関係ありません。珠洲市で2023年5月の地震後に、学生と紙管で仮設住宅をつくりましたが、昨年1月の地震後も壊れず、崩れて寄りかかった隣の家にも耐えていました。
間仕切りをつくろうと考えたきっかけは、1995年の阪神・淡路大震災です。神戸市内の避難所で、被災者が雑魚寝をしている悲惨な状況を見たからです。2004年の新潟県中越地震、翌年の福岡県西方沖地震を経て、2006年に紙管をベニヤ板で接続する間仕切りを開発しました。
2011年の東日本大震災の時に、ベニヤ板を使わない今のPPSを開発しました。計約80カ所の避難所を回って設置しようとしたが、30カ所で行政に「前例がない」と断られた。しかし、津波被害にあった岩手県大槌町の避難所で採用され、約500世帯分を1週間でつくりました。それが前例になって少しずつ普及し、50カ所で計2000ユニット近く設置しました。
この経験から、事前に災害時協定を結ぶのが有効だと実感しました。1995年にNGOとして設立した「ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)」を2013年にNPO法人化し、2015年の京都市をはじめ、VANと協定を締結した自治体は約70になります。2016年の熊本地震の際は、協定を結んでいた大分県からPPSを持って行きました。
ただ、PPSが政府に初めて認められたのは2020年のコロナ禍のときです。飛沫(ひまつ)感染防止に間仕切りが有効とのことで、内閣府が避難所開設の標準品に認め、備蓄し始めました。
そもそも支援活動を始めたのは、1994年にルワンダ難民の記事を読んだのがきっかけです。紙管を使い、もっと良いシェルターを提供したいと、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に手紙を書きましたが返事がなく、アポなしでジュネーブの本部に行きました。
当時、シェルターに木の骨組みが使われていたのですが、森林伐採が問題になっていました。代わりにアルミのパイプを支給しても、お金のために売られてしまう。そしてまた木が切られる。そんな時に提案が採用され、UNHCRとコンサルタントとして契約を結んでプロジェクトが始まりました。
阪神・淡路大震災では、ベトナム難民が悲惨な生活をしていることを新聞で知り、神戸市長田区に紙管の仮設住宅と教会を建てました。教会は約10年後に台湾の地震被災地に移築され、ホールとして使われています。
ウクライナ難民の支援もしています。現地やポーランドなどの避難所にPPSを設置しました。間仕切りのなかで泣き出した母親もいました。子どもを連れてずっと気を張って泣くに泣けなかったのでしょう。やっと1人の空間を与えられてほっとしたんでしょうね。
ウクライナの復興を見据えた住宅システムも準備しています。断熱材の外側に繊維強化プラスチックを塗ったパネルは軽くて断熱性があってすごく強い。工場も不要で、学生が1日で組み立てられます。
自然災害や戦争が起きると、建築資材が値上がりします。その影響を受けにくい材料を使い、プロに頼まなくても素人が組み立てられる住宅は必要です。
スタッフを送り込むのではなく、まず自分で足を運び、現地の人たちと新しいチームを作り、自分がリーダーシップを取って仕事をしています。
年齢を重ねると誰しもおごります。人間はおごったら終わりだと思っています。そうならないため、自分自身のトレーニングだと思って支援活動をしています。
この30年、日本の被災地支援はずっと場当たり的で、今までの経験が全く蓄積されず、改善されていません。防災庁を設置して、イタリアのようにシステム化していく必要があります。避難所を改善して仮設住宅をなくし、恒久的に使える復興住宅をすぐに建設することが重要です。
人は地震で死ぬのではなく、建築のせいで死んでいるんです。災害関連死も住環境が一因です。それを改善するのは我々建築家の役割です。医者が被災地で医療行為をするのと同じで、住環境で困っている人がいたら何とかするのが我々の使命です。特別なことではいけないんですよ。