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遅れる復興、コロナが追い打ち イタリア中部地震から4年、孤立する被災者

World Now 更新日: 公開日:
イタリア中部地震から4年あまり。倒壊を防ぐ補強が施された建物が今も見られる=2020年11月、伊中部ノルチャ、河原田慎一撮影

2016年8月24日。イタリア中部を襲った地震は、600年の歴史を伝えてきたアマトリーチェの石造りの街並みを、一瞬にしてがれきの山に変えた。

町の歴史地区に住んでいたクラウディア・クアランタさん(30)が自宅アパートから飛び出すと、天井が崩れ落ち、住んでいた2階部分は上の階に押しつぶされていた。4歳と8カ月の2人の子どもの姿が見えない。絶望にうちひしがれたが、奇跡は起きた。倒れたたんすが、4歳の子どもが寝ていたベッドとの間に空間をつくった。8カ月の子が寝ていたゆりかごも、地震の揺れで偶然ふたが閉まったらしく、中の子どもは無傷だった。

一連の地震で、3千人弱だった町の人口の1割が亡くなった。「本当に幸運でした。それまで神様をまともに信仰したこともなかったけど、恩返ししたい気持ちになりました」。クアランタさんはいま、キリスト教カトリックの慈善団体「カリタス」のスタッフとして、被災者のサポートを続けている。

震災から4年がたっても、がれきが残されたままになっていた=2020年11月、伊中部アマトリーチェ、河原田慎一撮影

震災から4年がたち、歴史地区の外では住宅の再建工事のつち音が、あちこちで聞こえる。だが歴史的な街並みがあった中心部は、いまだ広大な空き地のままだ。町は、耐震構造を取り入れつつ、外観をかつての街並みの通りに再現するというが、どこから手を付けていいかのめどすら立っていない。全体の都市計画が作れないまま4年がたち、今年1月には国が指定した復興計画の責任者が交代。個人住宅の再建が許可なくできないことへの市民の不満も高まっていたが、ようやく今年11月の法改正で自費での再建ができるようになった。

地震で全壊した教会=2020年11月、伊中部アマトリーチェ、河原田慎一撮影

町の広報担当のジーノ・アレグリッティさん(40)さんは「都市計画の策定にもう1年。町の再建? あと10年はかかるね」と話す。くしくも、私が2年前に町を訪れた時に助役が話したのと、まったく同じ回答だった。

地震で家を失った約2500人の大半は、町の外れにつくられた仮設住宅で暮らしている。アレグリッティさんも被災者で、妻と2人、40平方メートルの1DKで生活している。イケアの家具や食器などが備え付けられた木造住宅は、日本のプレハブ住宅よりも快適そうにみえる。だが、排水が逆流したり、低温のために床が反ったりするトラブルもあるという。「これから10年も住み続けられるだろうか。私たちは地震がトラウマになっている。地震のことを忘れて、安心して眠れる家に住んでみたい」。アマトリーチェは、8月の大地震の後も、10月と翌年1月の3回、大きな揺れに見舞われた。町の主要産業の観光業も壊滅状態。多くの若者が、復興が進まない町を離れ、町の人口は約2100人に減った。

被災者で仮設住宅に暮らす、伊中部アマトリーチェのアレグリッティさん=2020年11月、河原田慎一撮影

長引く避難生活は、残った住民の心もむしばんでいる。

「みんな『私のほうが不幸だ』と言い合うばかり。離婚も増え、家庭内の問題が先鋭化している」。町外れにあるカリタスの事務所で、クアランタさんはため息をついた。ただ、クアランタさんも仮設暮らしで、被災者の悲しみや怒りの気持ちは、痛いほど分かる。

仮設住宅は、地震前のコミュニティをできるだけ残すように、集落ごとにまとめられている。それでも、住民同士の会話は、地震前に比べ格段に減った。将来に希望が持てず、体調を崩しても「どうせ治らない」とあきらめて、医者にかからない人もいるという。

イタリアの仮設住宅。寒冷地のため玄関が壁で囲われている=伊中部アマトリーチェ、河原田慎一撮影

クアランタさんが最も心配するのは、3世代同居が当たり前だった町で高齢者や若者など各世代が孤立すると、世代間の分断が進み「伝承」がなくなることだ。高齢者が住む家を訪ねて心配事などの話を聞く活動をする傍ら、高齢者に集まってもらい、それぞれが次世代に伝えたい「伝統」について語ってもらっている。地震前であれば、子どもや若者はそうした話を家で聞かされていたが、家族の中で亡くなった人が多く「文化の継承が止まってしまった」からだ。

「親は遠くに働きに出るため、子どもがタブレット端末を与えられ、家で放置されている」。カリタスでは、事務所の一部を、放課後に子どもが過ごせるスペースとして開放した。クアランタさんは「子どもにはまず、他人を尊重することを教えないと。その次は親世代。物質的な支援の要求ばかりしてきた親たちが、心の支えと希望を見つけられるような支援を続けていきたい」と話す。

アマトリーチェの歴史的な街並みがあった通りは、更地になっていた=2020年11月、伊中部アマトリーチェ、河原田慎一撮影

だが、こうした地道な支援や地域社会の営みも、新型コロナウイルスの感染拡大によって中断を余儀なくされている。

アマトリーチェから約25キロ、山を越えた先にある町ノルチャのニコラ・アレマンノ町長(56)は、この状況を自らの著書で「二重のレッドゾーン」と表現した。「検査で陽性とわかると、仮設住宅にもいられなくなる。町の広場に集まって過ごす、夕方の楽しい時間もなくなった。住民にとって二重の苦しみだ」

仮設の庁舎で街の地図を広げ、復興について説明する伊中部ノルチャのアレマンノ町長=2020年11月、河原田慎一撮影

ノルチャは1979年にも震災があり、多くの建物が倒壊した。だが当時の最新の耐震技術を取り入れて町を再建したため、16年の地震では幸い死者は出なかった。

とはいえ、地震後も住める状態の住宅は2割だけ。約1500人が今も仮設住宅で暮らす。歴史地区の街並みの外観は残ったものの、精神的なショックを受けた人は多い。

そこで町は、立ち入り禁止地域の解除を急いだ。地震から4カ月後の16年12月には、町の入り口の門と中心の広場をつなぐ通りを歩けるようにし、数軒の飲食店を再開させた。「住民同士が出会い、困難な経験を話し合えるような場所を、とにかく早くつくりたかった」とアレマンノ町長は言う。「だからこそ、新型コロナによるロックダウンは『二重の被害』になっている。家に閉じこもることは、ここでは精神的に、より危険を高めることになるからだ」

伊中部ノルチャの中心街。街並みは残ったが開いている商店はまだわずか=2020年11月、河原田慎一撮影

実は、ノルチャにはもう一つ、住民の心を重く沈ませていることがある。歴史的な街並みが残った一方で、教会は79年の地震後に耐震補強がされなかったため、今回の地震でほとんどが全壊してしまったのだ。

教会の早期再建を求める住民団体のロザマリア・マリーニさんの案内で昨年11月、歴史地区を歩いた。町のシンボルだったサン・ベネデット大聖堂は、正面の壁の一部を残して全壊。エネルギー企業などの寄付で、10月にようやく再建工事が始まったばかりだ。だが、すぐ近くにある別の聖堂は、倒壊を防ぐための足場が組まれたまま、3年以上放置されていた。

正面部分だけ残して全壊した教会=2020年11月、伊中部ノルチャ、河原田慎一撮影

マリーニさんによると、ノルチャは1861年のイタリア統一前のローマ教皇領だった時代から「教会の町」と呼ばれていた。城壁で囲まれた小さな町の中に、20以上の教会があったが、地震でことごとく屋根が落ち、立ち入ることができなくなっていた。団体は、金箔を貼った天井画など、貴重な文化財は一刻も早く保存作業を進めるよう国に働きかけているという。「私の家はなんとか住める状態で残ったが、教会が放置されるのは見ていられない。ここでは教会が、住民の心の支えだったのです」(河原田慎一)