視察が絶えないヒノキの森 生き物をつなぐ「厚さ1cmに100年かかる」土づくりとは

「これからみなさんが立っている土の状態を調べます」
紀伊半島の東側に位置する三重県紀北町の山林。ここでヒノキを育てている速水林業代表の速水亨さん(71)が、T字形の金属製の「検土杖」を地面に深く突き刺し、ねじりながら引き上げた。
円筒になっている先の部分から採取した土の断面が見える。土の上の方は茶色だが、下に行くほど黄色になっていた。色の濃い土壌は有機物が多いことを示している。地面に近いほど微生物や虫たちが分解する落ち葉などの量が多いからだ。
「厚さ1センチの土をつくるのに約100年かかる。土が1センチ流れれば100年分の森林機能が失われることになる。落ちた葉っぱや土を動かさない林業を重視しなければなりません」
速水さんが、主宰した林業塾の一コマだ。企業や自治体、環境NGOの職員ら約30人が集まった。森林の生態や管理方法を学ぶ参加者とともに私も山林を歩いた。
「尾鷲ヒノキ」などのブランド木材で知られる地域で、速水は江戸時代の1790年から林業を営む家の9代目。約1160ヘクタールの山林の8割はヒノキの人工林だ。
広葉樹の自然林に比べて針葉樹の人工林の評価が低いことに納得がいかず、2000年に環境に配慮した森林管理の証しである国際NPOの森林管理協議会(FSC)の認証を日本で初めて取得した。
脈々と続けられてきた、行き届いた間伐と枝打ち(余分な枝を切り落とすこと)のおかげで、ヒノキの巨木が並ぶ林の中にも日の光が差し込み、思いの外明るい。常緑の広葉樹も交じっており、林床を下草のウラジロシダが覆っている。人工林とは思えない豊かな生態系は、カナダで歩いた原生林を思い出させた。
『マザーツリー』の著者のスザンヌ・シマードさんも、昨春に来日した際、速水林業の森に立ち寄った。シマードさんは本の中で、森の木々が、巨木(マザーツリー)を中心に栄養分や情報をやりとりするネットワークをつくっていることを解き明かしている。
速水さんは「彼女といっしょに私の山を歩きました。共感するところは多かった」という。
シマードさんは元々、林業従事者だ。生きものとの共生は、多様性などの環境のためになるだけではなく、良質な木材の生産にも有効であることを二人とも知っているのだ。
この森にはキノコは見当たらないが、地中には別の種類の菌根菌ネットワークが広がり、ヒノキの生育を支えている。
尾鷲は元々、痩せた土地で、雨が多くて、急峻(きゅうしゅん)だ。ちょっと油断すると、菌根菌を含む表土を雨水がすぐに流してしまう。
ヒノキから落ちる葉の量はとても多いという。下草を生やすことで落ち葉は動かないようになり、微生物によって分解されていく。そうやって、100年後の豊かな土壌を生み出していく。
日本では、国産材の価格低迷や林業従事者の高齢化で、管理の行き届かない人工林の増加が指摘されている。全国から林業や自然保護の関係者の視察が絶えず、訪れた人たちは、その森林生態系の豊かさに感嘆の声を上げる。
「私には美しい森をつくりたいという思いがある。あらゆる命を育む森のことです。ほかの植物や動物、微生物も森を形づくる仲間なんです」
人工林の場合も、親木の周りには種が落ちて、植林をしなくても、子どもの木が自然に育つ。大きな親木が切られて土がむき出しになっているところは芽が出やすい。
幹を切った針葉樹の切り株は、10年ぐらいかけて腐っていくが、隣の木と根同士が癒着して、残った切り株の周りがこぶになって盛り上がってくることがある。
「私の森にいるたくさんのヒノキも、根を通じてお互いにつながりあっているのかもしれません」
マザーツリーの森を歩いてきた後で、人は森とどう付き合ったらよいのか、を考えた。
人類が拡散した道のりを逆ルートで旅したドキュメンタリー「グレートジャーニー」で知られる探検家で医師の関野吉晴さん(76)を訪ねた。
2年前から全国の森で、ナイフもなしで寝る場所や食料を確保する旧石器時代の生活体験プロジェクトに取り組む。現場の一つ、東京都青梅市の山林に同行した。
青梅市は面積の3分の2を森林が占める日本の縮図のような場所だ。訪れた同市成木地区では、急な傾斜にスギの人工林が張り付き、都内とは思えない風景が広がる。
その先に三角屋根の形をした小さな木の「家」があった。昨年1月に関野さんがつくり、10日ほど過ごしたところだ。
一人で石器をつくり、ひもを編み、食料を集めた。身にこたえる寒さで、火をおこすのも一苦労だ。
森でのプロジェクトは、関野さんが2024年、初監督を務めたドキュメンタリー映画「うんこと死体の復権」ともつながっている。森の中で人間がした野ぐそや動物の死骸、それに群がる虫たちが、全編にわたってスクリーンに映し出された。
「あの映画を撮ったのは、植物が地球上の生きものたちの循環の基礎で、我々が植物に寄与できるのはそれぐらいだから。野ぐそや土葬は土壌を豊かにする。うんこをトイレに流し、死体を焼いてしまったら、ほかの生きものたちの役に立ちません」と関野さんは言う。
循環の中で、最も重要な役割を果たしているのが、うんこや死体を分解し、植物の生育を支える土の中の微生物たちだ。
「植物と微生物、昆虫、草食動物、肉食動物は、全部つながっている。鼻つまみものも含め、生態系で不要な生き物なんていない」