人類史的に見れば、森は明らかに減少し、劣化しています。地球上に原生林はほとんど残っていないと言っていいでしょう。アマゾンやボルネオの森もほぼすべて人の手が入っています。森の中に暮らす先住民が、自分たちにとって便利なように森を利用してきたのです。
人が手を入れることで森がすべて劣化するかというと、そうではありません。日本の里山のように、草刈りや間伐をすることで、かえって生物の種類が増している場合があります。人が手を入れた方が、むしろ森が豊かになるケースも多い。
でも、ここ100年、200年で、人間の手の入れ方が急速に激しくなった。そのため森は劣化して減少しているのです。
「U字仮説」と呼ばれる仮説があります。経済発展するときに木を利用するので、森はいったん減りますが、経済発展が一段落して、教育が行き届き、国情も安定すると、森の面積は回復する、というものです。南米やアフリカでは今でも森が減り続けていますが、欧州や東アジア(日本・韓国・中国)ではむしろ増えています。
欧州は「石の文明」というイメージがありますが、もとはと言えば「木の文明」でした。ゲルマン民族は「森の民」です。経済発展したときに森は減りましたが、このまま伐採を続けると森がなくなってしまうという考えが生まれ、18世紀から19世紀にかけて「林学」が登場しました。木の生長量とバランスをとって伐採量を決めて、切った後は植林するようになりました。
今のドイツの林業はさらに一歩進んで、「近自然林業」「合自然林業」と言われています。「自然に近い林業」「自然に合った林業」という意味です。天然林と人工林を区別しない。いろんな樹種が交ざった混交林を理想とします。同じ樹種の森をつくって、一斉に全部切ることはせず、必要なときに必要な分だけを抜き切りします。
一つの樹種だけを植えた森の方が木材の生産量は多いかもしれませんが、嵐が来たら一斉に倒れたり、病害虫で一斉に枯れたりします。自然に近い多様な森の方が、被害を最小限に食い止められて、結果的にプラスになるのです。
ドイツ人が今の日本の林業を見たら、「100年前のドイツだ」と言うでしょう。日本は天然林と人工林を明確に区別して、人工林にはスギなどを全面的に植えています。日本は明治維新の時代に欧州に留学した人たちがドイツから採り入れた林業を、いまだに引きずっているのです。
ドイツは平地が多いですが、隣のスイスでは日本よりもきつい急斜面で林業をして、成功しています。「スイス・クオリティー」と呼んで木材に付加価値をつけ、高い値段で販売しているのです。
ドイツの人に趣味を尋ねたら、「森歩き」という答えが普通に返ってくると言います。森を利用しながら森とともに生きてきた、という歴史的な背景があるのです。日本でもアンケートで「森が好きか」と問えば、「森は好き」という答えが返ってくるかもしれません。でも、実際はどうでしょう。森に入ると虫に刺されるから嫌だ、という人も多いのではないでしょうか。
人は森と、もっと交わるべきだと思います。森から収奪するのではなく、手つかずにするのでもなく、もっと柔らかく交わることで新しい関係を築けるはずだと思っています。
たなか・あつお
1959年生まれ。静岡大学農学部林学科を卒業後、出版社や新聞社を経て、森林専門のジャーナリストに。著書に『森は怪しいワンダーランド』(新泉社)、『森林異変』『森と日本人の1500年』(平凡社新書)、『樹木葬という選択』(築地書館)など。