大地にたたきつけるようなスコール。それがやむと、深い森からは湯気のようなもやが立ち上っていた。
インドネシア、ボルネオ島東部の「バンキライ」の丘。数十メートルの樹木がある熱帯の森でも、足元の土は脆弱だ。
藤井さんが、巨樹の足元を掘って見せてくれたのは黄色い土。この島に多い「強風化赤黄色土」は、風化が進み、酸性でやせた土だ。
熱帯の森では、樹木からは落ち葉などの有機物が地表に集まってくる。これらが養分になりそうだが、実際には微生物が分解してしまうスピードも速い。高温多湿の夏に、食べ物が腐りやすいのと同じ理屈だ。おかげで土には養分が残りにくい。さらに大量の雨も、土の養分を押し流してしまうという。
この土でも生きられる樹木などには都合がいいが、作物を育てようとすると、とたんに困難が待ち受けている。こうした森を焼き払って畑にしても、数年で木の灰が持っていた養分を使い果たし、不作が続くようになる。
熱帯雨林を切り開くと、なかなか元には戻らない。そんなイメージはあった。でも、それが土の貧しさから来るとは、思いもつかなかったことだった。
ボルネオ島東部では1980年代から90年代にかけて山火事が相次ぎ、原生林の多くが失われた。畑にしたものの思うように作物がとれず、荒れた草地として放置されたままの土地も少なくない。
ただし、土に手を入れれば、農業ができないわけではない。たとえば藤井さんは、土の養分や腐植を増やす性質の植物を特定し、それを使うことで荒れ地の土も改良できることを明らかにしている。
世界には、高価な化学肥料に手が届かない小さな農家も多い。それでも、手に入る材料をうまく工夫すれば、土を農業向きに変えていくこともできる。そこに科学が貢献できる道があるという。
■「土の経済」の現実
だが、翌日に見せつけられたのは、「土の経済」をめぐる現実だった。
藤井さんが長年調査している草地に向かう途中に現れたのは、削り取られた真っ黄色の大地。石炭の露天掘りの現場だ。「4年ぶりに来ましたが、広がりましたね」と藤井さんは言った。
薄い表土の下に、数メートルの養分の少ない黄色い土、さらに下に真っ黒な石炭の層がむきだしになっていた。
養分の少ない土地で無理をして農業をするよりも、穴を掘って石炭を売った方がはるかに早く大きな稼ぎになる。
だが、おかげで土は傷む。藤井さんが試しに近くの水たまりで酸性度を測ると、PH値はゼロに近い。強い酸性で、ほぼ植物は育たない環境だ。空気に触れると硫酸を生む鉱物が、石炭とともに掘り出されるためだという。
インドネシア政府は、こうした採掘場は後で埋め戻すことを義務づけている。表面の土をきちんと保管しておいて埋め戻せば、元の植生が戻るのも早い。
だが、そのまま放棄されている跡地も少なくない。「土を戻すには、手間も時間もかかります。この石炭は安さを売りに取引されていますが、土を戻すコストまでは考えられていないんじゃないでしょうか」。藤井さんが嘆いた。
ボルネオ島の石炭の多くは、日本を含む海外に輸出され、発電の燃料などとなってその地の暮らしを支えている。そう考えると、複雑な気分になった。
たとえ日本が輸入している石炭の採掘場はきちんと埋め戻されるのだとしても、私たちは「だから問題ない」と言えるだろうか。土を傷めるコストは、本当はどれぐらいなのだろうか。
■石炭跡地を森にする試み
一方で、石炭採掘場の跡地に木を植える試みも始まってはいる。ボルネオ島東部、ムラワルマン大学熱帯降雨林造林研究センターのスカルティニンシー所長(56)もその研究に取り組むひとりだ。
東京大学大学院で林学を学んだスカルティニンシーさんは「簡単ではありませんが、できないことではありません」と言う。
まず跡地の土を肥料などをまぜて改良する。そこに雑草などを生やし、さらにマメ科の樹木など早く育つ木を植える。3年ほど手をかけて大きくなったら、在来種の長寿命の木を植えていく。
それが放っておいても育つと確認できるまでに、さらに3年ほど手を入れる。そこから元のような森に戻るまでは何十年、何百年だ。
生命力の強い熱帯の森なら回復力は早そうだとも思ったが、そうでもないのだという。スカルティニンシーさんが大学の演習林を案内しながら説明してくれた。「たとえば種の問題があります。この演習林でも、元々あったフタバガキの植生が失われてしまったので、どこかから種が運ばれてくるのを待たなくてはなりません。それには大変長い時間がかかるのです」
2万ヘクタールを超える広さの演習林は、1980年代から90年代にかけての山火事で元々の豊かなフタバガキ科の巨樹を失った。その後は荒れ地の草原になったり、外来種のアカシアなどが侵入したりしてきた。
演習林の一部は、比較のために手つかずにしてあるものの、それよりは人の手を入れた方が森の回復は早いという。
ただし、木を植えるだけでは育たないケースも多い。自分で育つようになるには、細かな手入れが必要だ。たとえばつる草が絡んでしまっては、若い苗木はそのままでは枯死してしまう。「木を植えるだけなら簡単です。大切なのは森の成長にきちんと目を配り、手を入れ続けていくことです。もちろん土がどうなっていのかも大変重要です」
しかも硫酸で酸性に傾いた石炭採掘場の跡地の土は、火事で焼けた演習林よりははるかに厳しい環境だ。「石炭採掘の跡地は、言わば重い病気です。風邪のように休めば治るものではありません。強い薬や手術が必要ですが、手段はあります。むしろ求められているのは、元に戻すという意志でしょうね」
■火山がもたらす豊かな土
ボルネオ島の熱帯雨林の足元は、思いがけず脆弱だった。たが、同じインドネシアでもすぐ隣のジャワ島には、まったく違う豊かな田園風景が広がっている。
その違いを実際に見ようと、ジャワ島東部のスラバヤから南へ車で4時間。藤井さんとともにめざしたのは、ジャワ島最高峰の火山、スメル山のふもとに広がる高原地帯だ。
標高1000メートル近い高原では、急斜面に牧草地や野菜畑が広がっていた。日本なら段々畑にしそうなところだが、ここではそのまま。土は焦げ茶色でフカフカだ。唐辛子、白菜、にんじんなど、様々な野菜が植わっていた。
案内してくれたのは、ボゴール農業大学の土の専門家、アリエフ・ハルトノさん(50)。「ジャワ島の高標高地帯には、日本と同じ黒ボク土があります。スメル山など、火山からの灰が、降り積もって土の材料になったと考えられます。非常に軽くてなめらかで耕しやすいので、野菜畑などとして使われています」
東ジャワでは、低地には水田が広がり、少し標高が上がればバナナ畑や果樹園、さらに高地では野菜などがつくられるのが一般的だという。
黒ボク土というのは、日本では北海道から関東を中心に広く分布する黒みを帯びた土だ。火山灰をもとに、そこにすみついた動植物の死骸や排泄物などが混じっていくことによってできあがった土だと考えられている。
標高1300メートルまで行ったところで、藤井さんが土を調べ始めた。黒っぽい土の中に、ひときわ真っ黒な層が見える。少し掘ると、ミミズが出てくる。「いい土ですね」と藤井さん。「成分を分析してみないと分かりませんが」とことわったうえで教えてくれたのは、これが昔の地表面かもしれない、ということだった。
土はふつう、表面に養分が多く、黒っぽくなる。表面近くで植物や動物などの生物が活動し、その死骸や排泄物が土の養分になっていくからだ。
ところがそこに新たに火山灰が降り積もると、地中深くに黒い層が残される。日本の黒ボク土にもみられる現象で、農業をするなら、耕してこの層を掘り返すことで土を豊かにできるという。
日本にもある黒ボク土だが、ボルネオ島のやせた黄色い土を見た後では、それがものすごく豊かに見える。それは火山がもたらす豊かさだったのだ。
インドネシアも日本もたびたび噴火や地震といった災害に見舞われ、多くの犠牲者を出している。だが、同時に火山があるからこそ、農業に使える土があるとも言えるのだ。