尹大統領に対する弾劾訴追案は、賛成204票で可決された。野党の全議員(192人)が賛成したと仮定すれば、与党・国民の力(108議席)から少なくとも12人の造反が出たことになる。ただ、世論調査会社の韓国ギャラップが13日に発表した資料によれば、尹大統領の支持率は11%に過ぎない。ほとんどが弾劾に反対した与党議員の投票行動は明らかに民意を反映していない。
国民の力の関係者は同党議員の行動に民意が反映されなかった理由について「尹氏の非常戒厳が、進歩(革新)勢力との政治闘争を理由としていたからだ」と語る。
尹氏は12日の談話で、「巨大野党が支配する国会が、自由民主主義の基盤ではなく、憲政秩序を破壊する怪物になった」と決めつけた。国民の力では、保守の地盤とされる通称「TK」(大邱・慶尚北道)や「PK」(釜山・慶尚南道)選出の議員を中心に、この考えに共鳴する議員は少なくない。
実際、12日に行われた同党のナンバー2にあたる院内代表を選ぶ選挙では、尹氏を支持し、弾劾に反対する権性東(クォンソンドン)議員が72票を獲得したのに対し、尹氏と対立する韓東勲(ハンドンフン)代表に近い議員は34票しか取れなかった。
尹氏が弾劾されても意気盛んなのは、こうした保守勢力の支持に加え、同氏が好んで視聴するとされる極右系ユーチューブなどで、弾劾に反対したり、尹氏に同情したりする言説が流れていることが影響しているようだ。罷免(ひめん)の可否を判断する憲法裁判所の弾劾審判でも争う意向とみられている。
尹氏の強気の姿勢は、極端な主張を掲げるデジタルの世界と、尹氏に直言できない、高校や大学の同窓、検察の先輩後輩などで固めた側近たちによって一緒に作り出されたエコーチェンバー現象(反響室にいるように自分に似た意見が返ってくる状況。反対意見から隔絶されるため自分の持っている思想や考えが強化・増幅されやすい)だろう。
しかし、ここで気になるのは、尹氏が12日の談話を「私は最後の瞬間まで国民の皆さんと一緒に戦います」という言葉で締めくくったことだ。
14日の弾劾直後に出した談話の最後でも「私たち皆、大韓民国の自由民主主義と繁栄のために力を合わせましょう」という表現を使った。韓国政治学者の一人は「2021年1月の米国会議事堂襲撃事件でのドナルド・トランプ氏の言葉を思い出した」と語る。2020年大統領選でバイデン氏に敗北した結果を信じないトランプ氏は当時、支持者たちに対して議事堂に向かうように呼び掛けた。政治学者は「尹氏は、国民を結集させようとしているのではないか」と語る。
もちろん、トランプ氏と尹氏では、政治手法も置かれている政治環境も全く違う。トランプ氏は、「中国」「不法移民」といった「仮想敵」を作りだし、自分がこうした敵を退けることで支持者たちが幸せになれると主張する。
米国政治に詳しい日本の専門家は「トランプ氏は、どのボタンを押せば、民衆がトランプ氏に票を入れたくなるのかを熟知している」と語る。また、米国には経済的に苦しい生活を送る白人層など、トランプ氏の主張に共鳴しやすい有権者も多数存在した。
これに対し、尹氏の主張は、まさに戒厳令が何度も出された1980年までの古い思想と同じだ。「巨大野党」(共に民主党)を生み出したのは、国民の投票行動の結果だ。慶応義塾大学の小此木政夫名誉教授も「反対勢力を戒厳令で排除しようというのは、政治家ではなく検事総長の発想だ」と指摘する。異論を許さない尹氏の政治行動は、日韓関係の改善などの点では一定の評価を得たものの、全体的には「独善的だ」という批判を浴びてきた。
過去、弾劾決議を受けた盧武鉉(ノムヒョン)大統領は、自身への世論の高い支持を知っていたようで、毎日静かに読書して過ごしたという。朴槿恵(パククネ)大統領は、自分も知らなかった友人の不正行為が原因で弾劾され、茫然自失の状態だったという。韓国メディアによれば、尹氏は自ら憲法裁判所の審理に出席し、自分の正義を主張する方針だという。
韓国の人々は、尹氏の闘争に共鳴しないだろう。
尹氏は7日の談話で国民に対する謝罪の言葉を口にしたが、12日には一転、強気の姿勢に転じた。韓国市民は尹氏の7日の謝罪は口先だけのものだったと受け止めている。尹氏が心からの反省や謝罪を示さなければ、国民の怒りはますます高まるだろう。大半の議員が弾劾に反対した保守勢力も力を失うだろう。
同時に、弾劾賛成を表明しながら、大半の議員が従わなかった韓東勲代表も、大きな痛手を負い、12月16日に「これ以上、党代表としての正常な任務遂行ができなくなった」として代表辞任を表明した。もし、大統領選が行われても、保守は統一候補を出すことすら難しいかもしれない。
一方、進歩(革新)勢力からは、今回の非常戒厳を生み出した背景の一端が、自分たちが繰り広げた「なんでも反対」という乱暴な国会運営にあったと反省する声は聞かれない。野党のなかには、自らが運営するユーチューブ番組に戒厳軍将校を呼んで懺悔(ざんげ)させた議員もいる。
韓国政界では今、左右対立が更に極端になり、中道的な意見がほぼ顧みられない状況が生まれている。