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「ナッツ姫」事件から8年、パワハラ告発が相次ぐ韓国 「カプチル」撲滅の道は遠い

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
Park Chang-jin, center, a former Korean Air flight attendant who campaigns against abusive behavior at work, participates on May 3, 2022, in a protest rally in Seoul for a temporary worker who died in an industrial accident. A backlash against abuse from bosses has erupted in what is a deeply hierarchical society. (Chang W. Lee/The New York Times)
職場での「反虐待行為運動」を展開している元大韓航空客室乗務員パク・チャンジンたちは、労災事故で亡くなった臨時従業員のための集会を5月3日、ソウルで開いた=Chang W. Lee/©2022 The New York Times

上司が部下に対し、愛犬にエサをやって糞の始末をするよう命じる。航空会社のオーナーの娘は、(自分が乗った)旅客機が滑走路を走行し始めたが、ゲートに戻らせ、彼女をイラつかせた客室乗務員の一人を降ろさせた。ある新聞社の実力者の孫娘は10歳だが、お抱え運転手を侮辱し、役立たずだからクビにすると脅した。

こうした言動は韓国ではとても一般的で、今では「カプチル(gapjil)」(訳注=直訳は「甲乙」だが、転じて「パワハラ」や「モラハラ」の意味)という言葉が生まれている。

この言葉は、「gap(カプ)」と「eul(エウル=嫌がる言動)」の混成語で、パワーがある「カプ(甲)」が下位の人(乙)に「嫌がる言動」をするという意味だ。社会的地位が職業や肩書、資産によって決まる韓国の根深い階級社会では、誰であれカプチルから逃れるのが難しい。

ところが最近は、カプチルに対する反発が起きている。政府機関や警察、市民団体、企業などはウェブサイトや道路に張った横断幕、公衆浴場のステッカーを通じて、「カプチル・ホットライン」の開設を知らせ、権限を乱用する役人や上司を告発するよう人びとに促している。脅迫する言葉遣いをしたり、ワイロを贈ったり、下請けを食いものにしたり、賃金の支給が遅れたりするのは、いずれもカプチルに当たる。大学のキャンパスでは、学生たちがセクハラの「カプチル教授」を非難するプラカードを掲げている。

このキャンペーンはうまくいっているようにみえる。政治家も政府高官も企業の有力者たちも、カプチル・スキャンダルが表面化すれば評判が台無しになるのを誰もが見てきた。カネ持ちや有力者が一気に転落するのを見て、民衆は誇らしく、また、他人の不幸に留飲を下げるのだ。

カプチルは大統領選挙キャンペーンの争点の一つにもなった。有力候補の李在明(イ・ジェミョン)の妻は、李が道知事だった時、道政府職員を彼女の召使のように扱い、彼女のために持ち帰り用の食べ物を取ってこさせたり休日のショッピングをさせたりしたとして謝罪を余儀なくされた。李は選挙に小差で敗れた。

「韓国の人たちは虐待に対して非常に忍耐強く暮らしているが、受け入れられなくなると、それをカプチルだと呼んで強く反発する」とパク・チャンジンは言う。大韓航空(KAL)の元客室乗務員で、小規模な野党「正義党」を率いて反カプチル運動を展開している。

パクにはその気持ちがわかる。

KAL会長だった趙亮鎬(チョ・ヤンホ)の長女、趙顕娥(チョ・ヒョナ)は2014年、米ニューヨークのケネディ国際空港で滑走路に向かっていた(KALの)旅客機をゲートに戻らせた。ファーストクラスにいた彼女へのマカダミアナッツの出し方が気に入らなかったからだ。彼女はパクともう一人の客室乗務員をひざまずかせ、パクを機内から追い出した後、ようやく同機を離陸させた。

KALの会長一族は18年にもカプチルの典型を演じた。趙家の次女、趙顕旼(チョ・ヒョンミン)と母親の李明姫(イ・ミョンヒ)が従業員に対し大声を上げて侮辱する音声と動画が明るみに出たのだ。KAL前会長は謝罪に追い込まれ、2人の娘を同社の管理職から追放した。

そうした行いに対して、韓国人たちがもっと寛容だった時期がある。特に、「チェボル(財閥)」として知られるこの国の複合企業群を運営する超富裕層が関与した場合がそうだったとパク・ジュンギュは言う。パワハラ被害者に法的な助言をする市民団体「Gabjil 119」の幹部の一人だ(この団体は「カプチル=gapjil」に、「gabjil」という別のローマ字つづりを使っている)。

「しかし、人は今や、行動の可否について、もっと高い基準を求めている」とパクは言う。「ある人が権威者に対して『私にカプチルをするのか』と言う時、その告発には強力なパンチ力がある」

Yun Ji-young, a human rights lawyer, second from left, and Park Jum-kyu, of Gabjil 119, a civil group that provides legal counseling for gapjil victims, center, during a meeting with colleagues in Seoul, South Korea, on April 28, 2022.  A backlash against abuse from bosses has erupted in what is a deeply hierarchical society. (Chang W. Lee/The New York Times)
「カプチル」被害者のため法的助言活動を展開している市民団体「Gabjil 119」のメンバーは4月28日、ソウルで会合を開いた。左から2人目が人権弁護士ユン・ジヨンで、中央はパク・ジュンギュ=Chang W. Lee/©2022 The New York Times

韓国は世界の裕福な国の中では1週間の労働時間が最も長い国の一つで、カプチルはこの国の悲惨な労働条件の背景にある理由の一つによく挙げられる。この現象には、残業代の出ない超過労働や監督者によるいじめなどさまざまな形態がある。

ホン・チェヨン(30)は、彼女が以前に働いていた企業の年配の男性管理職たちについて、「おまえたちが結婚できないのはそんな服装をしているからだとかつぶやいて、女性従業員の服について何かと文句をつけながらオフィスをぶらぶらする以外、彼らにはすることがないらしいのが嫌だった」と言う。彼女がその企業を辞めた理由の一つは、彼らのそうした行動だった。

企業や政府のエリートたちは「皇帝の作法」として知られるタイプのカプチルで悪名高かった。部下たちに傘を持たせて並ばせたり、一般の人には階段を使わせて自分たちだけがエレベーターに乗ったりすることだ。

政界実力者の一人、金武星(キム・ムソン)は17年、空港で助手にスーツケースを相手の方を見もせず寄越したが、それがある種の「皇帝の作法」の象徴になった。そして後日、彼は人びとの嘲笑の対象になった。

カプチルの起源がかつての軍事独裁政権にあるとみる人もいる。軍事独裁政権の支配者たちは、今日でも浸透している命令順守の文化を押しつけた。メディア研究者のカン・ジュンマンはカプチルに関する自著の中で、韓国社会の「基礎構造」と「根深い沈滞」が、国民が中毒症状を起こしている序列至上主義に投影されていると指摘している。

「職場でカプチルに苦しんでいる人は、電話でコールセンターの従業員と話すときのように自分の方が立場が上にあると自らカプチルを犯すのだ」とチョ・ウンミ(37)は言う。彼女は、経営者の暴言が理由で4月に事務用品工場を辞めた。

最近のカプチルに対する内部告発の傾向は、韓国の司法制度への深い不信感も反映している。自分たちは超法規的存在であるかのように振る舞う企業エリートたちを、裁判所はめったに罰することがないと人びとは言っている。ハンファ企業グループの会長、金昇淵(キム・スンヨン)は07年、従業員に暴行したが、ほんの短期間収監されただけだった。

また、SK企業グループを運営していたファミリーの一員チェ・チョロンは10年、アルミ製の野球用バットで労働組合員を殴打したが、執行猶予つきの刑を言い渡されただけだった。

カプチルの被害者が自分たちの苦情を法的に訴える手段を使い果たした場合は、通常、携帯電話のカメラやソーシャルメディアを使って世論という「法廷」にパワハラをした者をさらすのだ。18年には、ネット上のファイル共有会社の代表者ヤン・ジンホが、元従業員を情け容赦なく平手打ちにした動画が出回った。

17年には、医薬品会社・鍾根堂(チョングンダン)の会長イ・ジャンハンがお抱え運転手に罵詈雑言(ばりぞうごん)をあびせる音声ファイルが登場した。「おまえのような倅(せがれ)を育てた親父はどんな野郎なんだ」。イは、そう罵倒したのだ。

ヤンは暴行や他の犯罪で投獄され、イは謝罪のための記者会見を開くことを余儀なくされた。

反カプチル運動にもかかわらず、韓国が労働環境の公正さや社会の平等性を高める道のりは遠いかもしれない。職場におけるハラスメントを罰する法律が19年から施行されているが、違反者に対する罰則は懲戒処分か最高8000ドル相当の罰金が科せられるだけである。昨年のGabjil 119による調査だと、29%近くの労働者が職場での虐待を報告した。

「カプチルは今でも、その会社内で対処すべきものとみなされている」と、カプチル被害者を支援する人権弁護士ユン・ジヨンは指摘する。「その問題を外部に持ち出す人には、強い敵意が向けられる」とユンは言う。

Gabjil 119のパクは、さらなる説明責任が求められなければ、上司の虐待に苦しめられている韓国人労働者たちにとって、状況はほとんど変わらないだろうと懸念している。「韓国人は軍事独裁に幕を引いたし、大統領を弾劾した」とパクは指摘する。「しかし、我々はまだ、職場文化を変えなければならないのだ」と言っている。(抄訳)

(Choe Sang-Hun)©2022 The New York Times

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