梨泰院は米軍竜山基地や各国大使館が近くにあることから、外国の風情が感じられる場所だ。そんな街を、韓国の人々が身近な存在として感じるようになったのは1982年だった。全斗煥政権下の同年1月、午前零時から4時までの夜間通行禁止令が解除された。
ソウルに住む60代男性は当時20代。「米軍関係者や外交官たちが集まる場所に行ってみよう、という雰囲気が盛り上がったのを覚えています」と語る。
韓国の人気ドラマ「梨泰院クラス」でも紹介されたように、狭い路地が入り組んだ梨泰院のあちこちに飲食店が立ち並んでいた。
レストランは、西洋はもちろん、東南アジア、中東料理もある。筆者が特派員だった15年前、韓国にはまだ美味しいソーセージやハムがなかった。今回の事故現場に隣接したハミルトンホテルの近くにあった、ドイツ人と韓国人の夫婦が営むドイツ料理兼肉屋に通ったことを思い出す。
「梨泰院のもう一つの隠れた特徴は麻薬でした」
60代の男性はこうも語る。韓国の麻薬取り締まりは、世界でも有名な厳しさで知られる。情報機関の国家情報院が対テロリズム対策ならび、麻薬対策にも力を入れているためだ。
「今現在はわかりませんが、かつて韓国で麻薬を手に入れようとするなら、日本から流れてきた覚醒剤を扱う釜山か、外国人の売人が大麻などを売る梨泰院くらいしかないというのが通り相場でした」(前述の男性)。酒や外国文化のほか、こうした退廃的な香りにも誘われ、梨泰院は大勢のアーティストが訪れる街になり、クラブが林立するようになったという。
一方、韓国でハロウィーンへの認知度が高まったのはここ4、5年のことだ。韓国のMZ世代(1980年代初めから1990年代半ばまでに生まれた「ミレニアル世代」と、1990年代後半から2010年までに生まれた「Z世代」のこと)がハロウィーンブームを牽引した。
今回の事故で亡くなった人の大半が、この世代に該当する。これには1989年の海外旅行の全面自由化も関係している。
ソウル近郊に住む50代の知人には高校2年の姪がいる。10月29日当夜、姪は知人と連れだって梨泰院に行こうとしたが、人が多すぎてあきらめ、やはり若者が多く集う弘益大前に向かったという。
女子高生の両親は、海外旅行の全面自由化の恩恵を受け、共に米国留学経験がある。知人は「韓国の名節(ミョンジョル、祝日)といえば、これまでは旧正月や旧盆だった。ところが、父母が留学してハロウィーンなどの外国文化に親しんだ。その子どもたちが学生になった昨今、ハロウィーンが急速に韓国でも拡散している」と話す。
MZ世代を代表するのが「トック(덕후)」と呼ばれる人々だ。トックは、日本のオタクがなまった言葉。韓国のトックには暗いイメージはない。「大好きなことを、思い切り楽しもう」というイメージがある。
アニメトックといえば、アニメを徹底的に楽しむ人たちのことだ。ソウルに住む40代の知人は「韓国は最近、不動産価格が急騰している。学歴競争も激しくなる一方だ。厳しい競争を勝ち抜いても、家を買えるわけでもない。結婚にも夢がない。それなら、今のうちに楽しめることを精いっぱい楽しもうという空気がある」と語る。
韓国の人々は元々、集団で行動するのが好きだ。最近でこそ、「ホンパプ(혼밥)=一人ごはん」という言葉が市民権を得つつあるが、それでも大勢で集まって楽しむ文化が根強くある。
ハロウィーンでは仮装して歩くだけではつまらないと思ったのか、一部は「テーマパークに行く日」、一部は「クラブに行く日」として定着して来た。先週末はソウルのロッテワールドも大勢の仮装した人々でにぎわったという。
10月29日の事故当夜、「有名なDJがきている」という話が、梨泰院の事故現場で人流を大きく変える原因になったと伝えられている。
韓国では新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ措置がようやく解除になり、3年ぶりに開放されたハロウィーンだった。押さえつけられることを嫌う気風が、より大勢の若者たちの足を梨泰院に向けさせてしまったのかもしれない。