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山田洋次監督の歩みや作品の解説書 フランス人ジャーナリストが800ページに込めた愛

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「くるまや」のセットでフォトセッションを行う(左から)倍賞千恵子さん、前田吟さん、浅丘ルリ子さん、山田洋次監督、夏木マリさん、後藤久美子さん、吉岡秀隆さん=2018年10月31日、東京都世田谷区、山本壮一郎撮影
「くるまや」のセットでフォトセッションを行う(左から)倍賞千恵子さん、前田吟さん、浅丘ルリ子さん、山田洋次監督、夏木マリさん、後藤久美子さん、吉岡秀隆さん=2018年10月31日、東京都世田谷区、山本壮一郎撮影

山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズや『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』といった作品に加え、監督の生い立ちや、歩みを解説した『山田洋次が見てきた日本』(大月書店)が9月、出版されました。著者はフランス人のクロード・ルブランさんです。この本はフランス語で書かれたものを日本語に訳したもので、約800ページの大作です。ルブランさん自身、原著を書くのに「心血を注いだ」と言います。なぜそこまで寅さんや山田監督に引かれたのか、ルブランさんに聞きました。(聞き手:丹内敦子)

――ルブランさんと『男はつらいよ』の出合いは、1984年に栃木県で、ホームステイ先の家族と映画館で観(み)たときだったそうですね。この作品や主演の渥美清さんの最初の印象はどんなものでしたか。印象はシリーズを見るにつれて変化しましたか。

1984年に初めて『寅次郎真実一路』を見たとき、私の日本語の知識は非常に限られていました。(日本語の教科書に出てくるような)いくつかの丁寧な表現以外はよく分からなかったのですが、それでもこの映画を楽しめました。

最も感動したのはヒューマニズムの側面です。これは山田監督の映画の特徴のひとつです。彼の映画は、登場人物たちのやりとりに温かみがあり、それがとても印象的で、最後は観客自身の心に響きます。2022年にパリ日本文化会館で開かれた「寅さんとの1年」と題する企画上映会でも、映画が終わると観客は笑顔で映画館を後にし、作品について語り合い、大きな幸福の瞬間を持ち帰るのです。

渥美清さんの演技も素晴らしい。チャップリンがサイレント映画で見せたように、彼には感情を伝える能力があります。ですので、言葉がほとんどわからなくても、この最初に出合った作品を十分に楽しむことができました。そして数年後、日本に住むようになったとき、この監督のほかの作品にも出合いたいと思いました。 

「山田洋次が見てきた日本」の著者クロード・ルブランさん=2024年9月、東京都内、丹内敦子撮影
「山田洋次が見てきた日本」の著者クロード・ルブランさん=2024年9月、東京都内、丹内敦子撮影

――ルブランさんにとって『男はつらいよ』との出合いは「運命」であり、山田監督の作品を日本やフランスで多くの人に知らせることが自分の「使命」だと書いています。山田監督の作品の魅力はどこにあると思いますか?

山田監督の映画のおかげで、私は地理的、社会的、経済的に多様な日本を発見できました。作品をとおして、日本が進化するのを目の当たりにし、断絶の瞬間を把握し、日本が直面している課題を理解することができました。

監督には鋭い観察眼があります。少年期を旧満州で過ごした彼は、少し引いて客観的に日本を見る習慣を身につけました。同時に、日本人が外国人に批判されているように感じることなく、日本人に受け入れられやすく伝える方法を知っている。これは彼の映画の強みのひとつであり、彼のメッセージが観客の心に響く理由でもあると思います。

クロード・ルブランさんの著書『山田洋次が見てきた日本』
クロード・ルブランさんの著書『山田洋次が見てきた日本』

――山田監督の幼少期についても詳細に書かれています。監督には何回ぐらい取材をしましたか。監督はこの本について何と言いましたか。

回数は数えていませんが、監督には何度もお会いしました。手紙のやりとりもしました。彼の素朴さと心の広さにはいつも感謝しています。

彼は私が真剣に取り組んでいることをすぐに理解してくれました。監督への取材を重ね、しまいに彼は、自分よりも私の方が彼のことをよく知っていると言うようになりました。私は旧満州に行き、彼の映画人生についての理解を深め、彼の人生を語るために多くのリサーチもしました。 

――あとがきに「作品の質を決めるのは結局たった一人の監督の感性、彼の内なる微妙な心の動き、そして彼の思想と人間的品性なのだ」と書いています。山田監督と会って話をされて、その思いを強くしたのですね。

もちろんそうです。山田洋次は、天才的な映画監督のビリー・ワイルダーが『アパートの鍵貸します』 (1960年)で示したような意味において、「正直な男」であり、「メンチュ(Mensch、人間)」です。彼の映画の登場人物の多く、特に寅さんがそうであるように、彼も人格者です。

監督は仕事に力を注いできた世代でもあり、それが社会に対する確固としたビジョン形成に影響しています。だから、彼の静かな強さにいつも感心します。

山田洋次監督=1970年10月、東京都千代田区、朝日新聞社
山田洋次監督=1970年10月、東京都千代田区、朝日新聞社

――「日本人は『寅さんは日本人にしか分からない』とか、『その心情はとても日本的だ』と言うが、それは間違っている」というあなたの指摘に驚きました。日本人であっても昭和時代を知らないと、寅さんの味わいは分からないと思っていました。しかし、2022年にパリで寅さんの上映会を1年にわたって実施。平均180~200人の観客が集まり、うち70%がフランス人だったそうですね。現代のフランス人が寅さんの魅力が分かるのは、なぜでしょう。

山田監督の深い人間性に、人びとは引かれるのです。この本を執筆していた2020年、コロナウイルス危機の最中に、私は近所の人たちを誘って山田監督の映画を観に行きました。彼らは特に日本や日本映画に興味があったわけではありません。しかし1作目の『男はつらいよ』を観た後、ほかの作品も全部観たいと言うのです。彼らは、山田監督が映画の中で強調する人間の絆に感動したのです。パリの上映会で観客の心を動かしたのも同じことです。

フランスでも日本と同じように、グローバル化という現象は限界に達していると思います。『男はつらいよ』シリーズの映画は、グローバリゼーションに対するアンチテーゼなのです。

グローバル化はライフスタイルを標準化しますが、結局のところ、人びとは昔と同じように違いがある環境の中で生きていく必要があるのです。ライフスタイルの標準化が違いを一掃し、ある意味、山田監督の映画は違いを再現するのに役立っています。興味深いことに、画一化の波は(寅さんの故郷の)東京・柴又にも広がり始めています。寅さんと妹のさくらの像が立つ、柴又駅を出てすぐのところにまで、日本各地にある画一的なカフェができました。

「見送るさくら」の銅像と記念撮影に応じる俳優の倍賞千恵子さん(右)、山田洋次監督=2017年3月25日、東京都葛飾区、恵原弘太郎撮影
「見送るさくら」の銅像と記念撮影に応じる俳優の倍賞千恵子さん(右)、山田洋次監督=2017年3月25日、東京都葛飾区、恵原弘太郎撮影

山田監督の映画は抵抗の形を体現しており、それが、どこにいても同じブランドに囲まれることを望まない人びとに訴えかける理由なのだと思います。 

――ルブランさんが指摘するように、『男はつらいよ』シリーズは確かに日本の戦後史をドキュメンタリーで観ているように感じます。こうした映画シリーズは世界にも例がないのでしょうか?

これほどの長さのシリーズは、世界中どこを探してもないと思います。それこそがこのシリーズの真骨頂であり、山田監督は、日本の経済力の台頭から金融バブルの崩壊まで、日本の現代史における重要な時期を記録することに成功したのだと思います。

2019年の『お帰り 寅さん』では、「いま、幸せかい?」というシンプルな問いかけで、それまでの10年間の日本の逆説的な状況を浮き彫りにしています。

寅さんを演じた渥美清さん
寅さんを演じた渥美清さん

――本書を書くのに1年かかったそうですね。ジャーナリストの仕事をしながら作品を見直し、さまざまな文献を読み直したのは大変だったのでは?

執筆に1年かかりました。しかし、取材や研究は数年に及びました。まるでライフワークのようです。

いずれにせよ、山田監督の90本の映画を何度も繰り返し観ることは、いつも大きな喜びでした。なぜなら、観るたびに多くのディテールを発見でき、それによって作品につながりが生まれ、彼の作品を首尾一貫した全体として観ることができるからです。これこそが、山田監督を単なる映画監督ではなく、真の作家たらしめているものなのです。 

――『男はつらいよ』シリーズの50作品から3本を選ぶとしたら?

『寅次郎恋歌』(1971年)、『葛飾立志篇(へん)』(1975年)、『寅次郎あじさいの恋』(1982年)です。でも本当は、ほとんどすべての作品を挙げたいです。 

――『男はつらいよ』のような大衆的な作品がなかなか芸術として高評価されない理由をどう考えますか?

コメディーは一部の例外を除いて、一般的に映画評論家に評価されていません。笑う映画は原理的に作りやすい、という一種のスノビズム(教養人を気どったきざな俗物的態度)があるのでしょう。

山田監督の作品がすべて傑作だとは言いませんが、多くの映画評論家が知的怠惰のために探求しようとしなかった深みが、どの作品にもあります。しかし結局のところ、最も重要なのは、彼の映画に対して大衆の関心が高いことなのです。

阪神大震災から9カ月後。「寅さんに来てほしい」という地元の声を受けて「男はつらいよ」のロケが神戸で行われた。右端が山田洋次監督。渥美清さんはがんが進行していたが、病気のことは誰にも知らせなかった=1995年10月、神戸市長田区、後藤正撮影
阪神大震災から9カ月後。「寅さんに来てほしい」という地元の声を受けて「男はつらいよ」のロケが神戸で行われた。右端が山田洋次監督。渥美清さんはがんが進行していたが、病気のことは誰にも知らせなかった=1995年10月、神戸市長田区、後藤正撮影

山田監督の『こんにちは、母さん』(2023年)とヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』(2023年)を検討してみましょう。

両作品とも東京スカイツリーを背景に置き、舞踏家で俳優の田中泯をホームレス役に起用しています。しかし、この二つの作品でスカイツリーの意味するものも、田中泯が演じるホームレスもまったく違います。

ヴェンダース監督の作品は美しいが、現実味はなく、社会性もない。カンヌ国際映画祭で紹介され、主演男優賞を受賞しました。他方、山田監督の作品は人間的なものであり、物質主義への批判が込められ、観客から好評でした。

社会は「きれいなもの」ばかりに目を向けようとする状況だと思います。 

――ルブランさんが山田監督と協力して、『男はつらいよ』最新作の脚本を書くとしたら、どんな内容にしたいですか?

山田監督はとても厳しい脚本家だと思いますが、一緒に脚本を書けたら夢のようです。

高知県安芸市にある寅さん地蔵=ルブランさん提供
高知県安芸市にある寅さん地蔵=ルブランさん提供

私のアイデアは、高知県安芸市の伊尾木にある「寅さん地蔵」が目を覚ますというものです。寅さんは四国の予土線の美しい女性の駅長と恋に落ちるが、彼は(赤字の)予土線が廃線の危機に瀕していることに落胆する。寅さんは廃線になることを阻止するために地元の人びとを動員することに成功します。ところが、その若い駅長は四国で計画されている新幹線の駅長になることに同意したと知り、寅さんは結局、寅さん地蔵に戻るというものです。